2010年6月 3日 (木)

守屋多々志美術館

久し振りに守屋多々志美術館に行った

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大垣では、唯一の美術館だ

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今、「守屋多々志のふるさと大垣」展が開催中だ


守屋多々志は、大正元年、大垣市船町に生まれ
幼少を大垣で過ごした

画家を志し岐阜県出身の前田青邨に師事、
やがて東京美術学校に進学

歴史画を多く描いたほか、
高野山金剛峯寺の障屏画、
高松塚古墳壁画模写事業などに活躍した

平成13年、91歳で亡くなった

ずっと鎌倉に住んでいたが、ふるさと大垣を
こよなく愛し懐かしんでいた

この美術館は、寄贈された作品を中心に
平成13年7月に大垣市守屋多々志美術館として
開館した、というわけだ

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今回の「ふるさと大垣」展は、
なつかしい大垣の町をスケッチしたもので
私の一番のお気に入りである

素朴な筆遣いでありながら、独特のタッチ
構図が抜群で、とてもあたたかい絵だ
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ふるさとに対するなつかしさ、とともに
やわらかな自然や周りの風景が
いつまでも心に残っている

一枚一枚ゆっくりながめていると
ゆったりした気分になるから不思議である
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平日の午後のせいか、来場者は私ひとりのみだ

個人の作品の美術館だからリピーターが
やはり少ないのだろうか

季節ごとに展示替えされるので、ぶらり散歩で
立ち寄っても、そのつど新鮮な思いがするのになあ

奥の細道結びの地を訪ねて全国各地から
大垣へ来る人はけっこういるけど

この美術館を知る人は少ないかもしれない

大垣の観光パンフでも美術館の紹介くらいはあっても
内容まで詳しくはないはず

守屋は、「扇面 芭蕉」シリーズを描いている
「奥の細道」の結び、大垣ももちろん描かれている

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 大垣から桑名に旅立つ芭蕉を見送る木因達

さすがに、歴史画を得意とするだけあって
描くと時代考証に優れ、
その時の情景が生き生きとした絵になり
観るものを感動させる

こんな作品をみると、
大垣の印象もさらに深いものになるだろう

また、守屋は大垣名産柿羊羹の「槌谷」、
味噌せんべいの「田中屋」などのパッケージも
描いたりしているので、大垣との結びつきは
多面的なのである
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美術館を立ち寄った帰りには
水の都、大垣の名物「水まんじゅう」も
近くに売ってますからどうぞ

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駅前通り(東側)にある守屋多々志の記念碑
「青雲之地」も必見だよ

今回の「守屋多々志のふるさと大垣」展は
ぜひお勧めしたい
(平成22年6月27日まで開催中)

入館料は、大人300円です

2007年9月29日 (土)

梁川星巌展・開催中!

梁川星巌・150年記念特別展が始まった
2007年は星巌が没してから150年
これを記念して、9月22日~10月21日までの1ヶ月間開催される

会場は、大垣市スイトピアセンター
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ところで、ヤナガワ・セイガン?
梁川星巌って、いったい何者?
地元で聞いてみても、案外「知らないなあ」という

「日本の李白」なんて言われているなんて
にわかには信じられな~い

ちょっと大げさではないかな

もっとも、漢詩自体が誰でも関心があるわけでなし
芭蕉のように、ポピュラーではないですから

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星巌という人を一口にいうと
幕末の漢詩人で勤皇思想をもち、
西郷隆盛、吉田松陰など交友をもち
その考えが
倒幕の志士に影響を与えたという

こういう有名人と交友関係があった、といわれると
そうか!じゃ大物じゃん、て見直したりする


今回の特別展のポスターがこれだ

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このポスターになっている二人の銅像については
私は、以前から知っています

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これでしょ?
これは、大垣市の北部、神戸町と隣接する曽根城公園に建っている

星巌と妻・紅蘭の旅立ちを表わしたものだとか

梁川星巌についての履歴を少し

寛政元年(1789年)安八郡曽根村(現・大垣市曽根町)の大垣藩士・稲津丈太郎の長男として生まれた
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               (華渓寺)

幼少のころから、近くの華渓寺住職に詩文・書道など学んだ
12歳で両親をなくす
18歳で江戸に出て漢詩を勉強した

文化14年(1817年)29歳で故郷にもどる
自宅で私塾「梨花村草舎」を開いて習字・漢文を教える

その塾生のなかに、お景(後に妻となる紅蘭)がいた

そして、星巌32歳、紅蘭17歳の時、ふたりは結婚した
15歳も離れていた
うらやましい(笑)

でも、星巌は、すぐ単身で旅に出てしまいました
2年後に帰りましたが、紅蘭は家で待っていることに絶えられませんでした
(ま、このあたりは想像ですが‥)

そこで、文政5年(1822年)、今度は西国に旅に出るとき
「私も連れって!」と嘆願。

まあ、ここで「わかった」と承知して、二人で旅に出たのである
ここんところが星巌の偉いところだろうな

もともと星巌は女好き!だったらしいからね

江戸に漢詩の研鑽に行くといって、遊郭で遊び三昧
借金を華渓寺の和尚に助けてもらっているくらいだ

本当はひとりで行きたかったらしいよ(わかるなあ)

旅は、大垣を出て、伊勢、大和、奈良、浪速、広島、下関、長崎まで行き
帰りも日田、広島、四国にも寄って、文政9年に大垣に帰ったのです

足掛け5年の長旅でした


今と違い、昔の旅、特に夫婦での旅はけっこう大変だったらしい
金もないしね

だから旅に行く前に文人・知人に片っ端から手紙を書いて頼んでおく
(これも推測だが)
そこで、気が向けば、というか訪問先の人が歓迎すれば
一月も滞在したりする、というような、あてのない旅だったようだ

当時、広島にいた頼山陽とはここで知り合った

風光明媚な場所で漢詩を読む
当然、酒に女だ
だから、紅蘭という妻を連れてのふたり旅は異色ではありました
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     (日本の旅人12・大原富枝著)

旅から帰り、天保3年(1832年)江戸に出て
お玉ケ池で「玉池吟社」を起こす

弘化3年(1846年)京に出る。二条木屋町に住む

吉田松陰、西郷隆盛らとの交流する

安政5年(1858年)コレラ大流行する
星巌、9月に死す。(70歳) 南禅寺天授庵に葬られる
紅蘭、捕らえられる

明治12年(1879年)紅蘭没。76歳。
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             (パンフ裏面)

世の中が大きく変化した幕末に生きた星巌と紅蘭

京を舞台に竜馬や、西郷、新撰組といった
ドラマで華々しく取り上げられる英雄たちの裏側で

西美濃から幕末、維新に関わった人物像を通して
歴史を振り返ることは意義が深い
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自分の住む足元にも、国を憂い、将来を語り、行動した偉人がいた。

今日でも、ダムに沈む村や
年金が、郵便局が消えていく現実

東京や霞ヶ関で起こることばかりが歴史ではない
足元にも、政治が、経済が、文化が、歴史がある

それを見据えていくことが大切なこと

今回の「梁川星巌150年記念特別展」は、そうした意味でも興味深いイベントである

ぜひ、一度足を運んでください

観覧は無料ですよ!

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