2012年6月 1日 (金)

「亦奇録」は面白い(3)

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小原鉄心に会いに来た子安鉄五郎(のちに峻)は

「先生、ぜひ明日は横浜にお寄りください。
お待ちしております」と誘った

この日(4月4日)は保土ヶ谷で一泊

翌5日朝、鉄心先生、一行を引き連れて横浜へ行くことになった

神奈川宿から田舎道を進むと港に着いた
番所で通行手形を見せて中に入る

子安が勤務しておる運上所を訪問
今で言う税関ですね

子安は
「ようこそいらっしゃいました」と歓迎して酒を出す
彼は通訳に仕事をしていた

余談ですが、明治になって彼は読売新聞を創刊
初代社長に就任している

まあ、当時の大垣藩は随分人材が揃っていたんだ

その彼の案内で一行はあちこちに見物に行く

まず、製鉄所、次に木工所
そしていろいろな異人館だ

2階、3階建て中には5階建てもある
どの建物も切石が貼られた、しっかりした造りで
その様子は宏壮で構築の美を極めたものである

公館、宗教施設、商業地区があり、
占いの店、酒場、肉屋など何でもある

まるで外国に来たような感じだったらしい
そりゃ胸ワクワクで楽しかっただろうな

酒場に若い女がいて、つまみや酒を勧めてくる
そこは酒大好きの鉄心先生だ

グラスになみなみ注がれた洋酒をぐい、と飲む
酒の名はピーチ、チェリー、ワイン
肴は肉汁で煮た鯵とポテトだ

美味かったからかお礼を言って金を払おうとしたが
受け取らなかったので、それじゃ悪い、と思ってか
ボトル2本を買ったようだ

このあたり、いかにも日本人的だ
こういうサービスは初めての体験だったのかもしれん
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移設された鉄心の別邸(無可有荘)

そのあと、一行はオランダ人スネルさんと会う

この男、越後・長岡藩の河井継之助などに
武器・弾薬を売ったいわゆる「死の商人」で
司馬遼太郎の小説「峠」にも登場するが
謎の多い人物とされる

このスネルさんの案内で異人館やら賭け事をやってるところ
などを訪問した

そして「ボウリング場」に来たのだ

「20間強の奥行きがあり、十数個の木製の壺を
20歩ほどのところに立て並べ、10斤ほどの重さの
木の球を投げ転がして勝ち負けを競う」

大夫(鉄心のこと)は腕力があり、転がした球がすべて当たった

ナイス、ストライク!とハイタッチ、はなかっただろうが
スネルさんは感嘆してすばらしいと誉めた、とか

日本で最初のボウリングサロンは
文久元年(1861)長崎の居留区で
3年後に横浜にも登場した、と注釈にあるが

いずれにしても、鉄心さんは、何でも積極的で物怖じしない
度胸があるし、どんなスタイルで投げたのかろうか、と
考えるとちょっと可笑しい

そのあと、中国人(清人)と漢詩について筆談で会話した
内容が長々つづく

こうして横浜滞在の出来事がが「亦奇録」では最も読ませるし
また興味深い内容となっている

また、佐久間象山、佐藤一斎、勝海舟、梁川星巌など
多くの学者、文化人との交友があったのも驚きだ

参勤交代や、各藩の江戸詰というシステムは多くの地方や
各藩相互の人材交流に大いに寄与したこともある

ローカルな大垣藩の家老の旅日記から見えてくる幕末の
世相や社会がリアルに想起され、年表的な幕末維新とは
また違った面白さがある
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なおこの「亦奇録」は「奥の細道結びの地記念館」で
有料(確か500円とか)で手に入れることができるらしい

興味ある方はどうぞ!

2012年5月25日 (金)

「亦奇録」は面白い(2)

大垣藩・家老の小原鉄心御一行が
江戸まで旅をした記録「亦奇録」ですが、
この中には多くの人が登場する

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傍島良仲、千秋老泉という人が出てくる

この二人、御一行を見送るため大垣から木曽川を越え
起(おこし)宿までやってきた

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しかしだ、
ここで「旅への思いとみに湧いて、
ぜひご一緒させていただいて
横浜港をみたい
」と二人が言いだした

「大夫(たいふ、鉄心のこと)が良いと言われたので
連れて行くことになった
これまた奇である」

オイオイ、いいのかい
路銀はどうすんだよ、家の人の了解取らなくていいの
通行手形とかどうするの 
                 moneybag

こっちが心配しちゃうよ

江戸時代は、もっと旅が厳しいかと思っていたんだが
そうでもねぇな

まあ、時は幕末も幕末の1866年だ
幕府にとってそれどこじゃなかったのかもね

一行が3月30日、浜松を出立した
この日の日記に海鴎がこう付記している

「傍島良仲は茶屋に出くわすたびに酒を注文する
この日も5,7回
そのうえ鰻を食い団子を食い
山路のうんと険しいところにくると、
若い連中と走り比べをやって先陣争いをする

すでに齢60を超えているんのだから、
その元気は驚くべきものだ」


道中が嬉しくって、楽しくって仕方がない
その情景が実にリアルで笑える


こういう「年寄り」って今の世の中にもいるよなぁ

この傍島さんの素性は不明だが、
まあそこそこ金持ってるんだろう

毎日が退屈で何か面白いことないかな
好奇心一杯で、あれこれ見ておきたい

この積極的人生は、なかなかですなぁ
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さて、4月3日に三島宿を立って、箱根越えをする
アップダウンできつい道のりだ

箱根駅伝でもその辛さは相当なものだとわかる 
芦ノ湖の箱根の関所を無事通りぬけると

鉄心先生「オイ、みんな、これから温泉に寄るかね!」
全員「行きます、行きます」

本来なら官費で赴任の旅だ、
こんな寄り道はしないはずだ
しかし、
今回は文人らを引き連れての旅だ

こんな心遣いも見せております
      
 
 

で、温泉につかり酒を飲んで、
それから、また急坂を下って歩いて
小田原宿まで行くんだから凄すぎる

ところがあくる日の4月4日
出立しようとしたら腹の調子が悪いものが5人もいた
湯あたりらしい

重い二人を残し駕籠やら馬に乗って出発
旅先での病は心細いもの

私も旅行中に風邪と疲れで発熱し、
医者も閉まっていて
売薬で何とか治ったけど、
ホント大変だった

旅先は日頃のストレス発散で気分が高揚し
どうしても羽目を外しがちだ

水戸黄門の印籠もそういう時の薬入れだ

さて、鉄心さん、酒飲んで駕籠に揺られて居眠り
誰かが馬上から呼びかける

子安鉄五郎という人が横浜からやってきたのだ

ここからが、この旅最大のクライマックスで
鉄心さんが初めてボウリングなるものを
体験することになる

(つづく)

2012年5月22日 (火)

「亦奇録」は面白い(1)

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先月オープンしたばかりの
大垣市奥の細道むすびの地記念館で

「小原鉄心没後140年記念祭」があり
記念講演会が5月19日開催された


小原鉄心の名前ぐらいは
以前からちょっと知っていたが

いや、なかなかの人物だったことが
清水進センセイの講演
「小原鉄心のエピソード」でよくわかった

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・鉄心は藩政改革を行って嘉永元年の藩の
借財32万両解消に努めたが、藩士からは
批判された
・鉄心は鳥羽伏見の戦いが起きると大垣藩を
勤王に導いた
・鉄心は由利公正と対立し参与を辞職する
松平春嶽は鉄心の活躍を高く評価する

こうして聞くと大垣藩は一地方の小藩ではあるが
意外に歴史の表舞台に深く関わっていることに
驚くのだ

次々に鉄心の業績や大垣藩との関わりが
流暢でわかりやすいく
清水センセイは話される

まあ、このあたりは今回の講演では前置き的であります


鉄心という人はどういうひとだったのか

家老なんて聞くと、まあ堅物でやっかいな奴
こんなイメージを描いてしまう

が、どっこい!
なんのなんの
・鉄心は文豪・人豪と評された
・鉄心は酒豪として名を高めた

で、今回の本題はこちらだ
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「亦奇録」(えききろく)は、
幕末の大垣藩・家老・小原鉄心が
江戸に旅した時の記録で
まあ、旅日記といったほうがよい

原本は漢文でとても難解すぎて
シロウトでは読めない

アタリマエダのクラッカーだ

そこで、現代語版ができた
横山 正センセイのご尽力で
われわれも楽しめるわけです
感謝、感謝!

鉄心顕彰会という勉強会で
酒を飲み飲み、読解が進んだそうである(笑)

なんせ、この会の事務局が「三輪酒造」さんとか
頷ける

講演:『亦奇録』を読む、

横山センセイの講演はじつに面白かった

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「亦奇録」と名付けられたゆえんは
慶応二年、鉄心が江戸藩邸詰めになるが

今回の赴任の旅、藩士でもあり儒学、文人、絵画などの
才も深い、野村藤蔭、菱田海鴎、菅竹州らも同行することになる

皆が風流を解するものばかりなので鉄心が

「どうだ、今回の旅の日記を変わりばんこに書いたらどうかね」
「そりゃいいですね」

「よし!決まった、じゃそうしよう。それも亦(また)奇だねぇ」

まあ、こんな調子だったらしい

慶応2年(1866)3月26日(新暦で5月10日)
大垣を旅立つ
美濃路を通り宮宿から東海道を東へ
江戸に4月6日(新暦で5月20日)着

11日で400キロだから、毎日40キロくらい歩くんだ
むちゃむちゃ健脚だな昔の人は

鉄心50歳、藤陰40歳、海鴎31歳

私、1回だけ渥美半島を40数キロ歩いたことあるけど
死ぬほど辛く足がひきつってガタガタになってしまった

慶応2年って、幕末も終わりの明治維新が1868年だから
2年前だよ

この年、第二次長州征伐の最中とかで
世情は激動期のはずなのに、
なんかこの旅日記は
のんびりしてるようだ

とにかく、道中で酒ばかり飲んでる
名古屋城下に入り、友人の鷲津毅堂家では
「お、ひさしぶりだな、よく来てくれたな、酒飲もう」
「よし、飲もうぜ」
堀川の舟でもまた飲む
宮宿では妓楼に上がってドンチャン騒ぎ

こんな調子で続くのだ

しかし、ただ酒を飲んだくれているばかりではない
行く先々で会う学者、詩人、絵画師など談笑し
世情について話をしている

そして相手の求めに応じて書を揮毫している
余りに希望者が多いものだから、旅立ちを延ばしたりしている

だからか、旧家には、こうした書画骨董が残ってるんだ
今じゃお宝ウンヌンだけど当時は著名人のサイン色紙みたいな
ものだったんだろうな

「亦奇録」はまだ途中までしか読んでないんだけど
とにかく面白いし楽しい

一人で読んでは笑ったり、驚いたり、感心したり
歴史がホント身近に感じられる

(つづく)














 

2007年3月17日 (土)

ヘンリエッタの中山 咲

このコーナーでは、西美濃から生まれた
今やちょっぴり有名人となった人を取り上げていきます。

最初はこの人です!
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大垣市内のある書店。
「ヘンリエッタ」という本が山積みされている。

著者は『中山 咲』という18歳
現役の大垣北高3年生だ。

第43回文藝賞を受賞した作品が
「ヘンリエッタ」だ。

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文藝賞は、河出書房新社の文学賞で、
小説ジャンルにおける新人の登竜門である。

第18回には「1980アイコ16才」で
名古屋の堀田あけみが受賞しているし

第39回は大垣出身の中村 航が
「リレキショ」で受賞した。

       ☆彡
「ヘンリエッタ」の受賞理由に
作者の聴覚・耳のよさがすばらしく
音というものをていねいに描いている、とか

センスよし、文章よし、
あるいは、完成度の高さに文句のつけようがない、

などべたほめである。

私、読んでみました。

確かに、音、空気など、こんな表現はうならせるものがある。

たとえば、
「カタリと箱が空く音、カチャンとなにかが触れあう音、
コツリという音で作業は終了。届け物は箱におさめられた。

ふぅふぅは少しの間だけその場にあって、ふいにカチャカチャにとってかわった。
来たときとまったく同じリズム、同じ速さで帰っていく。」

これは牛乳配達がやってくる情景。
読んでいると、音が聞こえてくるようだ。

主人公はまなみ、という高校生。
でも登校拒否し、通えないらしい。

あきえさんの家に、みーさんの女ばかり3にんの奇妙なくらし。

劇的な展開があるわけじゃないけど、
ついつい読んでいってしまう。

「水をまいたように、しっとりとつめたい畳」に寝ころがり
「わたし、死体みたい」とつぶやく。
「天井の木目をみつめる。」

こうした表現は、なかなかうまい。
状況を、空気感で表わす。

ところで、「ヘンリエッタ」って何のことかって?

それは、読んでみてください。


この先が期待できる有望な新人

中山 咲ちゃん、がんばってね!

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