2009年10月31日 (土)

1000円ドライブで信州へ行った

ETCを取りつけた後、始めて土曜日に高速道路を使った
いわゆる1000円ドライブというやつだ

天気もよさそうなので紅葉を見ながら信州へいこう、
そう思って朝8時自宅を出た
大垣インターに入る
やはり車は多い
今まで渋滞が気になってETCを土日に利用したことがなかった

平日に通勤割引というのを使って一度滋賀県に出かけたことがある
このとき、うっかり大垣ICから上り線に入ってしまい、羽島ICでいったん降りた
再び西に向かうという不合理な行動で、大垣~羽島間が150円に割引適用という笑い話になってしまった
ETCご利用初めてということもあってゲートが無事開いてくれるのかだけ注目し
ハラハラドキドキで方向を見失っていたらしい

交通情報を聞くと
小牧~小牧JSで4キロ渋滞という
やっぱ、そうか、まあ仕方ないよな、という気分
なんせ千円なんだから少しは辛抱しないとね
005

中央道を走る
名古屋、大阪、神戸ナンバーがスピードをあげて追い越していく
恵那SAはどんどん車が入っていく
混雑を避けて次の神坂PAに入る
ここでもほぼ駐車場は満杯状態

カップコーヒーとお菓子を買ってすぐ出発
恵那山トンネルに入る
路面がかなり傷んでいる
すごいスピードで走る車
「速度を落としてください」やら「進路変更禁止」など無視しての暴走が目立つ
車間距離も開けず、前照灯も付けず勝手気ままに走っている車が多い
久し振りに自分がこうした中に身を置いてみるとほとんど死と隣り合わせの中で運転していることが怖くなってくる

トンネルを抜けると園原、飯田IC
車も少なくなってきた

今日は松川ICで下車
リンゴ園がみたい
紅葉がみたい
そして温泉に入りたい

高速1回千円といっても、遠くへ行けば良いというわけでもなかろう
自分のお気に入りのところにいってゆっくりしよう、

そこで「まつかわ温泉清流苑」に行くことに決める
数年前に3度ほど宿泊したことがある
町営でありながらなかなか美味い料理を出してくれる
けっこうお気に入りだった
日帰り温泉としても地元からの人気も高い
久し振りのご利用であります

午前10時過ぎには着いてしまう
010

一人400円タオル100円、ふたりで千円だ
風呂もまだ10人前後で空いている
ラジウム泉、薬湯(ワインロゼ)泡湯、ジエット風呂、
露天風呂など一通り入って気分上々
風呂から南アルプスが一望できる
009

併設のレストランでお昼にする
そばと五平もちのセット
700円だ
007
まだ12時前なのにお客がどんどん入ってくる
家族連れ、老夫婦、賑やかな団体さま御一行もいる
送迎バスが着く
黒服の一行が入ってくる
どうやら法事のようだ
019

清流苑を出ると道路沿いにはリンゴ畑が左右に広がる
下車してリンゴの木を眺める
じい様?と嫁の二人が畑の一角で店番していた
017

りんごはサンつがる6個300円
梨が南水4個で300円
ラ・フランス(洋梨)5個300円
それぞれ買ったらラフランス1個、リンゴ1個をおまけしてくれた
014


そのごいたるところにリンゴ園と即売所がびっしり
パンフをみると松川くだもの狩り会員加盟の農園が何と58もある
025


途中、素晴らしい紅葉をみた
1本の木が黄色に染まり思わずうなった
024
でも場所が幹線道路でもなく脇道だったのでほとんど地元以外知られていないだろうな
ともかく素朴な紅葉で感激だった
028

伊那谷を走っていると信州が実感できる

西に中央アルプス、東側下方に天竜川、遠くに南アルプスが見える
そして曲がりくねった道路
なまこ壁の蔵、道祖神、石仏、などなど
豊かな自然と文化が感じられる
035_3

帰路は飯田市美術博物館へ立ち寄りプラネタリウム鑑賞、菱田春草展を見た
これは結果的にそうなったわけで…
プラネタリウムは偶然入ったのです(ツレアイの希望で)
029
暗闇の空から秋の星空になりペガサスの四辺形、夏の大三角、北斗七星
学芸員さんがやさしくお話してくれまして、後半はふたりともすっかり眠ってしまいました

さいごに「これは本当の星空ではありません。
ぜひお家に帰って夜空の星をご自分の目で見てください、
なんでも自分の目で見、耳で聞き、口や舌で確かめてください。
五感を働かせてみてください」という投げかけは、
なるほどね、良いこと言うなと感心した次第

3時過ぎ飯田ICに入り大きな渋滞もなく無事帰宅とあいなりました。

家で3種類のフルーツを食べますと、
1位はラ・フランス、2位サンふじ 3位南水という結果でした。
039

初めての「1000円ドライブ」はまずまずの成果でした。

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2009年7月17日 (金)

高野山へ行った

世界遺産・高野山へ行った

といってもバス会社募集の日帰りの安直な旅
まあ、雰囲気だけでも感じてきましょうという程度であったのだが。

(でも、もう少し期待しておったが‥)

021
大垣を8時頃出発する。
お客はもちろんアラ還以上で夫婦連れが多い

20数人でゆったりした車内
バスガイドなし。ただし運転手が二人で交代する

それにしても、とにかく高野山は遠い
紀の国・和歌山県の山岳地帯にあるんだ

日帰りで行くのが無謀といえば無謀かも

バスツアー名も
世界遺産高野山奥の院めぐりと四国西国霊場お砂踏み」
という長ったらしいタイトルだ

大垣から国道258号線を走り桑名東ICから東名阪道、
さらに亀山ICから名阪国道、天理、橿原、御所を経て
五条北ICから京奈和道で高野口大野ICをでて紀ノ川を渡り
高野山道路を登って高野町に到着するのだ。

086

途中2回のトイレ休憩のみで、とにかくバスはひた走る
それでやっと午後1時ころ到着した

ざっと4時間もバスの中。往復で8時間ダァ!

アラ70のおばあさん達はその間ずっとおしゃべりしっぱなし
同級生か?やはりアラ70の3人の男は酒を飲んだり
菓子食べたり、あとの人らも何か飲み食いしたり
外の景色眺めたり
眠ったりの時間つぶしに暇もてあまし気味
012

じっとしていてはエコノミック症候群になりかねない状態
弘法大師に導かれへたすると
そのまま冥界へストレート直行の旅!
なんて冗談にもならん

まあ、全員無事に高野山についてやれやれという間もなく
すぐお昼ご飯です
050
「宿坊赤松院での精進料理の昼食」なんて書いてあるから
少し期待してました
でもアレレ。
049
ホント、情けない素朴な精進料理に間違いナシ!
お腹空いておりましたので完食はいたしましたが
あわただしさと日帰りバスの旅につきものの昼食のトホホ感
連れあいは、ガッカリした顔で少し手をつけただけ。

観光案内書に見る宿坊でのいわゆる精進料理の面影はドコにもなし
まあ、腹を立ててみてもしょうがない

昼食もそこそこにお寺の説明と参拝
また、バスに乗って3分。奥の院の駐車場に着く
ここでは高野山の専門ガイド(男)がついて案内してもらう
054

このガイドが、なんとなく彦麻呂似で
話しっぷりはきみまろ風お笑い解説

とにかく、次から次へと説明が続き、
笑わせたり、有り難がらせたりでサービス精神は大盛だが
全神経を耳に集めていないと話題から取り残されて、ダメ印
他を見たり考えたりする余裕すらない

洗脳とはチト言い過ぎだが、くたびれる

ともかく、こんな調子だ

「天国と地獄」というのはおかしいのですよ
天国はキリスト教ですよ、仏教では極楽とか、お浄土ですよ

今日、皆さん、お数珠を持ってきた方、何人みえます?
11人ですか!あと手ぶらですか!

数珠、どうやって持ちます
こうやるんですよ、いいですか。


こんな具合に話の機関銃。バババ

もちろん私らは落ちこぼれで、後ろのほうにいます
すると
「あなた、もっと前に来て。ここ空いてるよ」
とにかく指図されるし、ありがたい豆知識をどんどん
投げつけてくれますがね

アラ還の認知症気味の私らには、ちと荷が重過ぎる

もっとゆっくり、少しだけでいいので
お家に帰ってもちゃんと覚えていられることをお願いしますわ
056

まあ、そんな風にして奥の院を歩きます
とにかく右も左もお墓、お墓の団地です
もはや空きはなさそう。朽ちたお墓もあるし、最近のもあります
ナントカ工業とかの企業の物故者、
謙信、信長、秀吉、前田家なんて歴史的な武将から
芭蕉やら、戦没者慰霊塔、となんでもあり宗派も問わずです

古いお墓はいわゆる五輪塔で苔なんか生えて歴史を感じますね
それに敵味方どうしで闘った人が冥界では仲良くしてるんでしょうか

055

耳も足も疲れたが、周囲に樹齢何百年という大杉が立ち並び、
大きく手を触れて元気を貰うのが精一杯の行為

あたりを死者の霊が飛び回っているようでもあり、
まさに魔界というのか霊場というのか、
確かに何か異様な雰囲気が漂い
とても一人では歩けそうもない

随分、歩いて奥の院の燈篭堂
その奥に弘法さんの御廟がある
空海すなわち弘法大師が即身成仏されたのが835年
それから仏の世界で生きておられ、毎日食事も運ばれているとか
その御廟前で手を合わせて
いわれたとおりに「南無大師遍照金剛」を唱える

でもちょっと、私ら浄土真宗門徒としては、多少抵抗感があります
まあ、空海さんは日本の仏教の先達ですから、親鸞さんも
ダメなんておっしゃらないはず。
心広いお方のはずだからね。
帰りは同じ道は通ってはいけないらしい
また、別のコースで駐車場まで歩く

さて次は、お砂踏み。
奥の院からまたバスに乗って数分のお寺・持明院
062
弘法大師の四国88箇所と西国33箇所観音霊場が
ひとつにまとめられたところがあるのだ
石仏が1番札所から並び、その下に白い砂利石がある
手を合わせ足を白石に軽く乗せる

柔和なお顔や邪気払うお不動さま、お地蔵さま、十一面観音様など
一つづつ違うのだ。

例のヒコマロガイドが「セントレア空港に出張してお砂踏みをやりましたら
30万人の人が来ました」と自慢げに話す

ここをお参りしましたという印が必要な方は受付で200円で出します
何でもお金だ。
ハイ、パス!
063
それにしても「高野槙」というのは美しい
木曽五木にある「コウヤマキ」と違うのだろうか

それともここが本場だから黄緑色が瑞々しくて
チョッピリ感動したな。

次はショッピング
またバスで数分のとあるお土産店で下車
高野豆腐は絶対買いといきたいところだが
ふだんあまり好きじゃないから
胡麻豆腐、佃煮(麩でつくったもの)を買う

土産といっても最近食べ物以外あまり買わないことにしている

個人での旅なら町を歩いて気にいった店に入って
ゆっくり吟味してなんてできるが、パック旅行はそれがダメ
この店以外寄る時間がない

再びバスの人になる
066

「高野山の本当のお寺はどこ?」と、連れが聞く
「ああ、金剛峯寺だけど、今日は行かなかったな」

じゃ、ナニを見て来たわけ?と原点にもどると
けっこう思いつきであったとしばし反省?

そんなわけで高野山の日帰り旅行は
究極の目的もあいまいなままに帰途についたのでありました

高野山の奥の院やお砂踏みは
ちょっと私には
俗世への欲がまだまだありすぎて
真摯な気持ちで極楽浄土での再生を願うとため
手をあわせるまでには至らず
観光気分で世界遺産の風景、うまい精進料理なんて
いうことばかりで、少し安直な手段を選んでしまったようです

ただ、往復のバスの車窓からみる南大和の素晴らしい山並み
独特な大和の民家の瓦や白壁の美しいフォルムが
印象強く、ああこの辺りをのんびり歩いてみたいな
それが、今回の思いがけない収穫でありました
087

高野山は明治まで女人禁制の真言宗の山岳の修行の場であり
気軽に来るところではなかったのです

もし、次に訪れるチャンスがあれば、雪が舞う寒い時期に宿坊で泊まり
壇上伽藍や金剛峯寺や町並みをゆっくり一人で歩いてみたいと思った。

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2009年6月19日 (金)

海を見たくて蒲郡に行った!

急に海が見たくなった
JR東海道線の上り快速電車に乗った
名古屋まではおなじみの車窓
通勤でイヤというほど見ている

金山を過ぎ、共和、大府、刈谷、安城、岡崎へと続く

三河の広い平野には新しい建売住宅が多く
西濃地方独特の農家は少ない
トヨタ系の会社が並び高層マンションもある

幸田を過ぎると始めて海が見えてきた
蒲郡だ
下車する

004
駅が立て替えられ駅前広場が整備されている
最近はどこの駅も同じ風景になり個性がない
まるで金太郎飴だ

観光案内所で地図をもらう
ツッケンドンで事務的なオバさんの応対に腹がたつ

知らない街を歩くときはまず地図を見て
主なポイントを頭に叩き込んでおく
そうすれば誤差はすくない

民俗学者の宮本常一は、
「村でも町でも新しく訪ねていったところでは
まず高いところへ上がってみよ、
方向を知り、目立つものを見よ」と言っている

今度の目的はズバリ海を見ることだ

008

まずは有名な「竹島」をめざす

単調な道を歩く

それにしてもなんて殺風景なところだろう
まるで生活感がない
生きている臭いがない

道路の南には、かつての防波堤がある
しかし、その先には埋め立てられた雑草が生い茂る
広大な土地が海を遠くへ追いやり
ますますツマラナイ風景にしている

011

約15分ほど歩く

竹島水族館などがある公園に着く
老朽化してるが頑張っているようす
今日はここへは入らない

とにかく海にごあいさつだ
目の前に竹島が浮かぶ
ふんわりした丸い形の独立した島だ

019
汐風が吹いてくる
顔に当たる
やっと海の臭いがしてくる
6月でも太陽の光はきつい
すこしひんやりした海風が心地よい
018

無粋な看板が集まっている
アサリがうんぬんなんてことばかりだ
本日の潮干狩りはありません?
そうでしょうね
こんなに潮があっては無理だろう!

024

竹島橋を渡る

橋の長さ387m
まっすぐに伸びている
海の中に浮かぶ島
森が全体を包む神秘のエリア

029

まるで異次元空間に突入していくような気分
海の上に鳥居が建っている
八百富神社という
島全体が神域である
039
竹島八百富神社社叢は天然記念物に指定されている
木々が鬱蒼として昼なお暗いところだ
不思議なことに
この島は対岸と林相が違い暖帯原始林だとか
やはり、異次元だな
041
これが八百富神社の本殿
祭神は市杵島姫命で
平安末期頃、藤原俊成という人が
近江琵琶湖の竹生島から勧請したものだという
いわゆる竹島弁財天という
046

福種銭というのがあった
お金がたまるらしい
さっそく初穂料100円納めた
貯まる前に散在してしまったようだ(笑)

絵馬があった
045
父ちゃん思いのやさしい子だ
ホロッとしますな

043
よい教え子をお持ちです
親しまれているんですね
絵もユーモアがあっていいですね
羨ましいです

面白い、というか
自分のことより他人を気遣う内容がけっこうあったのは
ここに来ると、何かが優しい気分にさせるのですかね

本殿横を抜けるとパッと明るくなった
展望が開けた
急な石段を下りる

050

龍神岬といういかつい名がついている
雨風をよぶのはやはり伝説上の動物・龍だ

052
眺めが素晴らしい
向こうに見えるのは三河大島かな
055
石柱が真ん中で真っ二つに割れたのがつないであった
強風に折れたとは思えないし
なにかあったのだろう
060
映画のロケに使われそうな風景だ
三河湾内だから波は比較的穏やかだ

062
島が遊歩道になっている
岩肌をゆっくりゆっくり歩いても良し
すわって遠くの海を眺めて
日がな一日過ごしてもよし

あ~、気持ちいいな~
海はやっぱりいいよな

067
竹島から竹島橋をみる
山の上にあるホテルは蒲郡プリンスホテルだ
以前は蒲郡ホテルで昭和9年に名古屋の繊維商社の
滝信四郎らが建てたものとか
ちなみのこの竹島橋も昭和7年に始めて架けられた
それまでは、船で渡っていたとか

また、弁天様の特別な御開帳の時だけ
仮橋がつくられたとか
078
橋の東にある「海辺の文学記念館 」
この地に常磐館という料理旅館があったが
老朽化して壊された
その跡地に建てられたのがこの記念館

菊池寛、川端康成、与謝野晶子、三島由紀夫、
谷崎潤一郎など多彩な文人がこの旅館を訪れた

小説の舞台にもなったし、エッセイにも出てくる
それほど昭和の景勝地でも有名だったようだ

吉田初三郎の描いたパノラマ観光図が展示されていた
その絵にはやはり竹島橋は描かれていなかった

今訪れる若い人はこんなこと知らない
それほど感動もしないかもね
まあ観光地としては古い部類に入るだろう

西美濃地方の養老の滝といったところかな

思いつきでやってきた蒲郡
海を見たさに、潮風を感じるために来た

どこに行ってもやはり過去と切り離しができない
単なる海の風景でも歴史はある

帰途の快速電車では心地よい疲れと振動で爆睡した




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2008年1月25日 (金)

冬枯れの近江八幡

ようやく本格的な冬という感じだ

雪が降る、と何度も予報されながら西美濃では降らない
今日あたりは、池田山や小島山など北の方では
いかにも雪が降っているようだが、平野では降っていない

でも、風は相当冷たい

先日のこと、久しぶりに滋賀県・近江八幡へ行った
名神高速・八日市IC下車して西に走る

JR東海道線を過ぎると八幡山が眼の前だ

めざすは、そのふもとにある日牟礼八幡宮だ
003
大きな鳥居、しかも木造だ

002
八幡宮の前の駐車場に車を止める
平日とあって、ガラガラの状態だ

まずは、八幡宮を参拝する
001
静寂があたりを包んでいる
参拝客は、ほかに中年の男性一名のみ

さりげなく節分祭のお知らせが張ってある

日牟礼(ひむれ)八幡となかなか読めない
近江商人の信仰が厚いといわれている

もともと近江八幡は、豊臣秀次がここに城を設け
全長6キロの掘割を作り
琵琶湖を通行する船は必ずこの港に寄り
一種の税金を支払わせたことから発展した

もちろん秀吉の甥として関白まで上りつめたのだが
秀頼が生まれてからはことごとく秀吉に疎まれて自害させられた

町は一時は衰退したが、
その後、日本中を又にした近江商人の町として江戸時代は発展した

「八幡堀」は観光パンフレットに必ず登場する
でも、なにかが違う
いつもの雰囲気が失われている

冬枯れなのだろうか

029
遊歩道を歩いている人、
あるいはスケッチをしている人
屋形船が浮かび賑やかなときが多いのに
この冷え切った空気はなんだ!

オフシーズンとはいえ寒々としている

006
鳥居を抜けて、白雲館を通り
旧西川家住宅、郷土資料館などあるが
今日はどこも素通りだ

こんな季節はいつもとは違った歩き方で街をみよう

ふだん行かないようなところまで行ったりするんだ

008
この「朝鮮人街道」というのは
琵琶湖沿いの街道で「朝鮮通信使」が通った道からつけられた

というのも中山道は草津、守山を経て、
武佐宿から少し琵琶湖から離れている
このため近江八幡を通る道がこう呼ばれるようになったらしい

009
小幡町通りを渡り京街道商店街を歩く
さすがに、観光客はここまでは来ない

アーケード下は人がいない
どの店も廃業か休みかシャッターが下りたりして活気がない
どの中小都市もこれが実態だ
疲弊した地方都市の現状だ

かつて、昭和30年代ころだろうか
随分賑わっていたはずの街が今や死んでしまった

011
これは冬枯れではない
商店街として機能しなくなっている

歩いていても、まるで動いている気配がない

018
なつかしい雰囲気の電気屋さんがあった
これこそ、「町の電気やさん」のイメージで
かつてはよくお世話になったことだろう

松下電器の名が消え、パナソニックに変わるらしい
時代を支えた町の電気やさんを切り捨てていくんだろうか

026
再び、八幡掘に戻り観光用に整備された歩道を歩く
どこを見ても人がいないのは寂しい

大都会に人が集まり、こうした地方都市は観光でしか
集まらなくなったのだろうか

027
静かな旧い屋敷を通る
多分老人夫婦だけで住んでいるのだろう

030
寒さも手伝って、身も心も切なくなってきた
昼も過ぎているのでまた日牟礼八幡まで戻る

有名な「たねや」でお昼にする
さすがここだけは、人が多い
「季節のおうどん」を注文する
032
にゅうめんのような細いうどんで美味かった
最初に「きなこ餅」が出て
食後にも「豆羊羹」が出たのは嬉しかった
さすがに有名和菓子屋だけありますな

帰りは向かいにあるたねやの洋菓子部「クラブ・ハリエ」で
バウムクーヘンを買った

この店もおばさんやときどき若い女性がグループで来て
ワイワイ騒いで買っていく

まあ、ここだけは冬枯れから縁遠いような空気でした

私としては、「和た与」の丁稚ようかんも好きだし
アンデルセンのチーズケーキも好きですが
今回は止めました

本当に春が来るのが待ち遠しい近江八幡でしたね

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2007年12月11日 (火)

中仙道・柏原宿

中仙道を京に向かって、赤坂、垂井、関ヶ原と進むと
次の宿が「柏原」です

中仙道六十九宿のうち江戸から60番目の宿場だ
もう、近江の国、今でいう滋賀県に入る

私なんぞ、子供の頃、
岐阜県は米原までと思っていた

関ヶ原までとわかってからも
何となく米原駅が
JR東海と西日本と別れるので
気分的に「ああ、関西に来たな」と感じる

ともかく、関ヶ原と柏原が県境なのです
070
国道21号線から右折してJR東海の踏み切りを渡る

063
すぐにこんな案内板が立っている
「近江美濃両国境寝物語」
溝のようなものがあり岐阜県・滋賀県という杭が打ってある
064
反対側に「寝物語の里」の碑と
「寝物語の由来」の説明書きがある

国境を溝ひとつ隔てて宿があり
壁をはさんで寝ながら話ができた、という

司馬遼太郎も「街道をゆく・近江散歩」に
この寝物語の里のことを書いている

068
さて
この国境(今の県境)の北側に溝を隔てて家が2軒並んでいるが
右が美濃側、つまり岐阜県関ケ原町で
左が近江、滋賀県米原市(合併前は山東町)だ

学校も岐阜県と滋賀県で全く反対方向に行くのだろうが
毎日の「おはよう」やらのあいさつや世間話をするし
子供たちだったら一緒に遊んでいるはず

でも行政区が違うとゴミの出すところも出し方も違うはずだし
税金も違うだろうからつい何で?なんて比べたり
実際のところ、どう思っているんだろうな

056
寝物語の碑の近くに
芭蕉の句碑がある
「正月も美濃と近江や閏月」
野ざらし紀行における句らしいが
司馬氏の指摘するようにあまりよい句ではない

053
柏原宿へは、JR「柏原駅」で下車するのが便利だよ

050
でも駅舎は何もない殺風景なものである
無人駅ではないもののチョット寂しい

さて、降りてからどうするか
観光案内所もないし
駅前には店なんかナ~ンもなし
自販機で飲み物と新聞を売ってるだけ

駅から少し出ると左右の通りが中仙道だ
002
街道の面影はよく残っているが
とにかく店がない

そこでだ
柏原宿を理解するには「柏原宿歴史館」がお勧めだ
右(つまり西)に向かい5分も歩くと北側にある建物がそれだ

031
豪壮な旧家を改築したもので国の登録有形文化財になっている
入館料300円を払って中に入りまず紹介ビデオを見よう

030
ほかに宿場全体の模型や、蔵には中仙道六十九次の浮世絵があるし
江戸時代にタイムスリップした感が味わえるかも

まあ、柏原宿の概観や歴史はほぼ理解できるぞ

西美濃四宿と近江8宿中、
この柏原宿が13町(約1.4キロ)と1番長いとか

宿場の規模も家数344軒、旅籠22軒
そして名物のもぐさ屋が10軒と大きな宿だったようだ

023
映画監督の吉村公三郎の生家が柏原とは始めて知った

歴史館は喫茶コーナーもあって地元のおばチャンが集まっていて
サロンのような雰囲気だった
私は気後れがして中へは入らずだった
004
歴史館を出てブラリ散策する
どの家にも、昔の屋号と職業が書かれた看板が架けてある
014
街はひっそりしている
ときおり車が走り抜ける

しかし、国道21号線が旧道から南に少し外れたため
こうした旧い町並みが残ったのだろう

034
旧銀行跡が補修工事の調査のため井桁が組まれていた
保存に向けてそれなりの声が上がっているのだろうな

017
柏原宿で有名なのが伊吹もぐさの「亀屋左京」だ
亀屋の何代目かの松浦七兵衛が江戸吉原で散在し
芸者に唄を歌わせた
「江州柏原 伊吹山のふもと 亀屋左京のきりもぐさ」
まあ、これがCMソングのはしりで中山道の行き帰りの土産に
よく売れたという

あいにく、この日は店が閉まっていたが
この店の大きな福助がトレードマークでもあるらしい

026
さきほどの歴史館で福助がたくさん並んでいたのは
福助の「発祥の地」ともいわれているからだ
044
唯一の店屋?
ともかく食堂もコンビニも土産屋も何もないから
有名観光地のような歩きかたは無理だ

006
街道からの横道に猫が道の真ん中でこっちを見ていた
「あ どうも!」という感じで目を合わせてしまった

003
街道横にはこんな洗い場があった
谷川の清水がここに流れている

045
もうひとつの亀屋の跡地に当時を偲ばせる
大きな蔵が2つ残っていた

それぞれの家の繁栄と没落の歴史をみるようだ

年に1度「やいと祭」つまりお灸の祭りがあり
その時は大いに賑わうという

象徴的で何か神々しい伊吹山の下にある柏原宿である

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2007年12月 1日 (土)

奥びわ湖・菅浦を訪ねて

いよいよ師走だ

いっこうに寒くならないのは、やはり温暖化なのかな

紅葉の名所は車で一杯、渋滞でイライラ
人があふれて、花より団子

それよりも、ゆっくり、静かなところへ行きたい

というわけで、奥びわ湖の隠れ里「菅浦」に行った

022
国道8号から303号線を通り
西浅井町に入る

湖岸沿いに走るがほとんど人、車がいない
桜の季節、夏の時期を除けば閑散としている

そして「つづら尾崎」の行き止まりの集落
菅浦である

004
大きな2本の公孫樹の木がお出迎えだ

001
赤く染まった蔦もキレイ
この道で見かけるのは老人ばかりである
若モンはおらんのか
050
須賀神社は淳仁天皇が祭神と言われている
奈良時代からの古い神社らしい
イチョウの黄色もなかなかのもの!
007
集落の入り口にある「四足門」
四脚の草葺の堂々たる門だ

018
ハッサク?がびっしり実をつけている

009
干し柿が吊るしてある
西美濃地方では、こんな干しかたはしないぞ
なんかイカ・タコ風にみえる
011
蔵のある家に、梯子がかけてある
当時の繁栄した頃の面影を残している
012
菅浦の港だ
かつて海運が盛んだった頃は賑わったはずだ
湖北の飯浦、塩津浜、大浦など湖上交通の港として
京、大津から北陸と結んでいた
013
湊には、淡水魚を獲る船が停泊している
びわ湖はバス釣りやボート遊びのレジャーの人がいるばかり
020
大根を干して漬物にするらしい
037 
この菅浦の集落の真ん中に見つけた古い門の家
かつてはここを取り仕切った家であろう
044
庇の裏にスズメ蜂の巣があった
ウヒャ!怖ア!
030
集落のはずれにあった廃屋
誰が住んでいたのか
この家にも繁栄と没落があった
029
ウォーキングしている集団に出会った
ほとんどが中高年で、
静かに歩いていたのが印象的だった
010
この菅浦には民宿が2軒、料理旅館が1軒?ある
「すっぽん鍋始めました」が、なぜか面白い
この看板からして、いつから始めたのだろう
036
風もない師走の土曜日
時間が止まったような、静かな「菅浦」は
幼い頃のなつかしい風景を思い出させました

冬の菅浦もおすすめです

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2007年11月11日 (日)

正倉院展を見た!

正倉院展へ行った

もちろん、奈良国立博物館で毎年行われているアレです
今年で第59回を迎えるということだが
とにかく生まれて初めてです
001
大垣あたりにおりますと京都と違い
何か奈良って遠~い存在なんです

まあ、前から一度は見たいと思ってましたから
行くぞ!と決めてやってきました
10日の土曜日で、着いたのが10時前
001_2
鹿がのんびりしているけど、アナタにかまってる場合じゃない

004
時間待ち60分の看板
行列もテントをはみだして並んでいる
長い列だよ!
アア、どこでも並ぶのは苦手だけど並ぶ
002
並んでいるのは、やはり中高年だが小さな子供連れもいる
こんなのわかるのかな?
土曜日朝には20万人目達成だって!
すごいよ
人気ぶりがわかる
けっこう学校の歴史で「正倉院」は習ったもんね

005
長い行列の割りには動きが早く40分位で入ることができた

パンフレットによると『正倉院』には9000件の宝物が1200年以上も
守られてきており毎年展示物を少しかえており
今年は70件が出されているのだそうです

とにかく奈良時代、聖武天皇の御遺愛品を始め、
東大寺ゆかりの仏具、天平時代の遊戯具、文房具、
染織品、文書、経典などが出展されている

と、いってもどれがどれだけの価値があるのか、正直言ってわかりません

「墨絵弾弓」「紫檀金鈿柄香炉」「金銀平脱皮箱」「花氈」「花鳥背八角鏡」
などとそのままでは、読めない、意味も価値もわからない、

ひとつひとつに簡単な説明がついています。
もっと知りたければ音声ガイダンスで知ることもできます

でも、とにかく人が多くて押されてじっくり見ていられない
流れが入り乱れて、途中入りしたり、抜けたりで大変忙しい

でも、さすがプロ的な人もいる
ルーペを持ってる人、けっこういましたね
これだと細かい細工の部分がみれますよね

これには感心しました

でも、ほとんどの人は「すごいね」「きれいだね」「これはなんだろう」
なんておしゃべりしながら観ている
1300年前のものが残っていることが素晴らしい
そう素直に思えばいいか!

芸術的なものばかりでなく、蜜蝋をドーナツ状にしたものや
エプロンのような衣類品など租庸調として
各地方から集められたものが残っていました

私が驚いたものがひとつありました

正倉院文書のなかで、現存する最古の戸籍です
大宝2年(702年)のものです

それがナント!この西美濃のものなんです

正式には「御野国味蜂間郡春部里戸籍」です
つまり「みののくに・アハチマゴオリ・カスカベサト」なんです
アハチマは安八郡ですが昔は池田郡も含まれていたとか
春部はどこのことかチョットわかりません

ともかくホンモノが見られるなんて予想外でしたから感激です

美濃国分寺が垂井に置かれ、美濃国府も近くにあったので
天平年間は相当美濃と奈良とは関係が深かったのでしょう

初めての正倉院展が印象深いものになりました

016
おみやげに、こんなもの買いました
コンパクト鏡です
聖武天皇遺愛の品「羊木臈纈屏風」に書かれた羊です
なかなかかわいい
009
昼食は館の仮設テントで販売していた「正倉院記念弁当」
という中華風の薬膳弁当を食べた

011
そのあと、東大寺の北にある正倉院を見に行った
開催期間中は、近くまで特別に入れるとのことでもちろん無料

今年は期間も短く12日で終了してしまう
思い切って足を運んでよかった

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2007年11月 5日 (月)

中仙道を行く(東赤坂~美江寺)(下)

037

さて、続きです
巣南町呂久地区(現・瑞穂市)は
揖斐川の堤防のすぐ下にある

045
洪水対策で家屋敷が石垣で高くしてある
このあたりには、よくみられる風景だ

049
ここ馬渕家の紅葉が、皇女和宮の歌になったところ
「明治天皇御小休所跡」の碑がある

039
呂久の集落から坂道を少し上がると堤防にでる
揖斐川である
そこの架かる橋は「鷺田橋」
このあたり鷺が多いからそう呼ばれたのだろうか
確かに田んぼにはコサギがよくみられる

橋を渡ろう
橋からは東に岐阜の金華山が遠望できる

013
橋を渡り、堤防を降りて、北東に進む
旧道はほとんど失われている

耕地整理が実施されると正方形の農地と農道ができる
そして味気ない直線の舗装道路となる
農業の機械化で日本の農地が金太郎飴のように
どこも同じ風景になっていく

旧道は集落の中で生きているのだ
耕地整理が困難な場所にこそ、なつかしい風景が残っている
巣南中学前で県道にぶつかると北に沿って歩く


左にはかつての巣南町役場など公共施設がある
現在でも瑞穂市巣南支所や図書分室として使われている
トイレはここを利用させてもらいましょう

050_2

長護寺川の赤い橋を渡ると右に曲がると旧道に入る

049_3
赤い橋がなんとなく不釣合いな気がする

020_2
犀川の流れを見ながら歩く
自然豊かなこの川にはカワセミがみられるとか
右の河川敷にはこの地方特産の「富有柿」が栽培されている

それもそのはずで、巣南町は富有柿の発祥の地である
明治時代に福島才治が改良し新品種を誕生させた

ここから少し、北の集落に顕彰碑がある


034
まだ少し青いが11月中ごろには甘くておいしい柿になる

柿は果物の中ではイチゴなどと違い
それほど人気があるわけではないが
ビタミンやミネラルが豊富で
柿が赤くなると医者が青くなるといわれるほどだ

富有柿は、特に甘くて食感がいいので私は大好き
柿の季節になると柿畑沿いの道路には無人の柿販売所がつくられる

一袋5~6個入って100円、200円が多い
それでも十分甘くておいしい

その季節に歩かれたらぜひ買ってその場で食べてください
歩く楽しみがまた増えること間違いなし

024
犀川を渡るとすぐ美江寺の千手観音像

そして美江寺宿である
028
車が通り抜けるだけでひっそりしている

034

美江寺宿は江戸から55番目の小さな宿場町であった
明治24年の濃尾大地震でほとんど全滅したので
古い建物は残っていないようだ

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農家の前に本陣跡の碑があった

031
美江寺神社と美江寺観音に突き当たると
中山道は右に(東)曲がる

岐阜市にある美江寺観音は
もとはここにあった
斉藤道三が岐阜に移転させたという話もある


洪水に悩むこの地の人たちが伊賀の国から勧請した
「美しき長江のごとくなれ」とかで美江寺の名が付けられた

子供が自転車で遊んでいるほかは、
誰もおらずひっそりしている

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こうした酒屋も見かけられるが不思議にも人がいない

幅員が狭いうえ、車が頻繁に行き交うので
歩くのは大変危険が伴う

042
やがて踏み切りがある
樽見鉄道で、いまレールバスが通過中
たった1両で走っている

春の薄墨桜のシーズンは超満員で車両を増結して走る
地元の通勤、通学の大切な足である
セメント工場からの貨物が廃止されて特に経営が苦しい

途中に大型ショッピングモール「モレラ岐阜」がオープンし
駅を造ったが、はたしてどれだけ乗客が増えたのか
041
今も残る道標が旧街道らしい
「右 岐阜加納 左 北方谷汲」 と書いてある


043
踏み切り手前で北に少し行くと
樽見鉄道の「美江寺」駅だ

大垣行、樽見行、
どちらも昼間は1時間に1本程度しかないので要注意だ
あらかじめ調べておこう


もし時間をもてあます場合は
一歩街道から外れた道を散策するとよい
柿畑があり、また家の屋敷内にも柿木が植えられている

もちろん、富有柿オンリーだ
それも大きくてりっぱなものがたわわに下がっている

こうしたのどかな風景を見ながら時を過ごすのもよい
040

街道から北に入ったところには「瑞光寺」もあり
なんとなく歴史的な石碑が多いから
それもよいし

養老鉄道と樽見鉄道を利用してのミニウォーキングを
ぜひ楽しんでください

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2007年11月 2日 (金)

中仙道を行く(東赤坂~美江寺まで)(上)

中仙道を歩いてみようぜ!

今回は、西美濃の
ローカル私鉄路線をふたつ利用してのコース

養老鉄道の「東赤坂駅」から東京(江戸)に向かう

揖斐川を渡り中仙道・56番目目の美江寺宿を見て
樽見鉄道の「美江寺駅」から大垣に戻るというもの

歩くのは、9~10キロ程度だから、ゆっくり楽しもう

スタートの大垣駅から養老鉄道に乗る
10月1日に近鉄から経営を引継ぎいだ新会社だ
「揖斐方面行」の赤い電車で、およそ7分、
3つ目の駅「東赤坂」で下車

012

田園風景ののんびりした駅だ
店もトイレもないよ


023
この駅で上下電車が行き交う

駅のすぐ南の踏み切りのある道路が中仙道だ
今は、県道230号線になっている
わかりやすいがダンプなど交通量が多いから気をつけよう

踏み切りを渡る
東に歩く

015

珍しい生卵の自販機がある
300円と600円の2種類
ネッカ玉子とかいう品名だ
新鮮で、味が濃い
車で来て買っていく人がいる
この卵に穴を開けてチュと吸い込むと元気が出るかも!

200メートルくらい歩くと枡形になって右に曲がる
さらに左に曲がると眼の前が中沢の交差点

県道は東へ真っ直ぐだが、旧中仙道はひとつ南の狭い道だ
民家が両側に張り付いていていかにも街道らしい

018

三ツ屋町をとおり、民家が途切れたら
左(つまり北)をチョット向いてみよう

001
白亜の建物が並んでいる
岐阜経済大学だ

あたりは、まだ田んぼが広がっている
大垣駅北口からここまでは
学生さんの通学用に近鉄バスが運行されている

003
前方に見える堤防はこの地方独特のいわゆる「輪中堤」だ

004

歩いているとこうした曲がりくねった道路がある
こうした道路は、ほとんどが旧道なのだ

とても柔らかな曲線なのがイイな!
曲がりくねった道をのんびり歩いていると心が和んできますね

006
道が輪中堤に突き当たる
西美濃には、
こうしたかつての洪水防止のために
村落を囲った堤防がまだいくつも残っている

この大島堤は、
たぶん大垣では最も北部のものだろう
064
堤防を少し進み向こう側に降りると橋がある
平野井川である

かつて、揖斐川はこのあたりを流れていた
中仙道は
大垣市から、わずかに神戸町をかすめて
本巣市(旧・巣南町)に入る

018

右手に木々豊かな公園がある
小簾紅園(おずこうえん)である

幕末の中仙道といえば、皇女和宮の降嫁だ

京から江戸へ行列が何日にも渡って続いたのだ

文久元年(1861)10月26日、皇女和宮一行が
この呂久川(今の揖斐川)を船で渡られた

021

船の中で和宮は
東岸の紅葉をみて感動され
「落ちていく 身と知りながら もみじ葉の 
        人なつかしく こがれこそすれ」
と詠まれたという

022

明治11年には明治天皇がこの地を巡幸された

そして、昭和4年にこの遺跡を保存するため
小簾紅園が誕生したのである

015_2
この紅園がある呂久はもともと揖斐川の東にあったが
たび重なる洪水のため、
大正年間に河川改修工事があり
新しい川(現在の揖斐川)が東に造られたのだ

今の地図をみるとちょうど本巣市が揖斐川をはさんで
飛び地になっているのは、そのためである

公衆トイレもあるので小休止するのにはちょうどいい

          
                        (次回へ)

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2006年9月24日 (日)

中仙道を歩く/落合宿~馬籠宿

落合川にかかる下桁橋を渡ると急な坂道が続き息が切れる。
断続的に民家や竹やぶがあったりする。
十曲峠である。
Photo_66
平坦になり、左にカーブすると山中薬師
いわゆる医王寺に着く。
本尊は薬師如来さま。
傷に効く狐膏薬が江戸時代は名物だったとか。
いつの時代も病気と死は苦だ。
特に旅に病む者が多い。
先を急ぐ者も手を合せて通ったであろう。
Photo_67
秋らしく、コスモスが咲いていた。

道がふたつになり右手の坂を上がると石畳が続いている。

Photo_68
案内表示に「中仙道落合の石畳」とある。
しかし、ちょうど道を塞ぐようにして7~8人の男が清掃作業している。
うっかり通り過ぎてしまうところだった。
「石畳はこちらだよ」と声を掛けてくれた。
どこかのボランティアグループがゴミ袋を手にしていた。
そして入り口で全員が記念写真をパチリ。
「滑るから気をつけてね」
「ありがとう」
Photo_69
雨に濡れて、石が黒くひかる。
日が射す部分と陰になる部分とのコントラストが絵になる。
言われたように、確かに滑りやすい。
慎重にゆっくり進む。
中年の夫婦に出会う。
「こんにちわ」「どうも」のあいさつ。

石畳はかなり整備され、年数も経過して苔が生えていたりもする。
江戸時代はわらじ履きだから滑らなかったのだろうか。
今の靴は滑りやすく相性はよくないようだ。

いっぱい荷を乗せた馬や牛は砂をまきながら石畳を進んだらしい。
泥んこ道よりは歩きやすかったかもしれない。

Jpg_18
峠を上がったところが国境。
美濃から信濃に入る。
「是より北 木曽路」
有名な島崎藤村の碑がある。
ここからいよいよ山の中の旅が始まる。
そういう気分でここから美濃路を振り返る。

Jpg_19
新茶屋がある。
かつては立場であった。
今は2軒の民宿になっている。
ひっそりしている。
江戸時代、この街道が賑わっていた頃は
馬籠の宿役人はここまで西国大名や尾張藩使者を迎えたり、見送ったりしたのだ。
美濃や尾張の経済文化がこのルートで入ってきた。


Photo_70
ここから道は広くなっている。
濃飛バスが1日3本ある。
しかし観光客らしき人はいない。
静寂につつまれている。
Jpg_20
街道筋にはこうした水飲み場がある。
旅の人への心づかいである。
冷たい水で一息ついたことであろう。
今はあまり生水は飲まなくなった。
ペットボトルのミネラルウォーター世代だ。


Photo_71
諏訪神社の横に碑がある。
「夜明け前」の主人公青山半蔵のモデルといわれる人
藤村の父・島崎正樹の碑である。

Photo_72
荒町や馬籠城跡を通る。
「夜明け前」に書かれている地名の配置関係がよくわかる。
歩くことの意味はここにもある。
マイカーでは見落としてしまう目が養われる。

石屋坂は馬籠宿の南入り口にある。
この坂を登ったところが駐車場で観光客でごった返している。
しかし、
不思議にも、ここまでは誰もこない。

Photo_73
相変わらず、馬籠宿は大勢の人でごった返している。
藤村記念館を中心に歩いて、五平餅やそばを食べて
記念写真を撮って、わいわい雑談して
お土産買ってさっさと帰っていく。

地元はこの現状をどう感じているのかな。
木曽11宿の最南端の宿場町。
しかし、今やこの馬籠は行政的には岐阜県だ。
信州の馬籠ということばが消えていこうとしている。

藤村翁は、このことを知ったら何というだろうか。

槌馬屋資料館に入る。
「夜明け前」関係資料、幕末に近い当時の行政、歴史文献や書がガラスケースに収められている。
貴重な資料らしいが、あまり手が入っていないのか管理状態がよくない。
それに、こういうものは説明者がいるといないとでは格段に違う。
ただ、入館者が少なく台所は苦しいようだから
それもかなわないと思えた。

街道沿いに多くの民宿がある。夜の明かりが灯る馬籠も一度見てみたいものだ。

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2006年9月23日 (土)

中仙道を歩く/中津川宿~落合宿(その2)

与坂の立場は坂を登ったところだ。
一息つきたくなるのは今も同じだ。
かつては越前屋という茶屋があって名物餅を食わせたらしい。
今は、この家も静かである。

今度は急な坂道を下る。
国道19号線に突き当たる。
このあたりで少し道に迷う。
標識が分かりにくい。
Uターンするようにして19号線のアンダーパスを潜り抜け反対側に出る。
やや下って橋を渡る。

再び19号線を今度は陸橋を渡るが、橋の北側に神社がある。
Photo_61
落合五郎兼行の館跡とある。
木曽義仲に武将として仕えた。
小高いところにあり、トイレも完備されているので小休止にはちょうどいい。

おがらん橋を渡る。
いよいよ、落合宿に入ってくる。
下の枡形というところに道標が立っている。
その前にあるのが善昌寺である。

Photo_62
街道に沿って石垣と白壁が続き、大きな松ノ木が道にせり出している。
まだ、お昼を食べていない。
そういえば、この道筋コンビにはおろか自販機も目につかないくらいなかった。

少し街道をそれて、19号線に出てみるとすぐ近くにサークルKがあった。
お握り2個とお茶を買う。
すぐ手前の信号機は見覚えがある。
この19号をここで右折すると馬籠に行けるはず。
改めて考えると落合宿の位置関係が頭の中で判明した。
車ではこうはいかないだろう。

街道の善昌寺まで再び戻る。
道路をへだてて小公園があった。
イスに座って遅い昼食だ。
どうやらここは元落合村役場跡らしい。

元気を取り戻し歩き始める。

Photo_63
落合宿の本陣跡があった。
なかなか立派な建物だ。
落合宿は街がわずかである。

かつてJRさわやかウォーキングで歩いたが全く印象が違うように思う。
その時振舞われた「豚汁」を作った千人鍋が飾ってあった。
イベントの賑わいもなく、街の人もまばら。

常夜灯から左折する。
ここが「上の枡形」だ。
Photo_65
すぐ前の幹線道路を渡り坂道を下る。
落合宿の高札場跡の標識が右手にある。
少し民家が続くがすぐに左折して行くと川に突き当たる。
落合川だ。
Photo_64
下桁橋を渡る。
山手に滝があり、ドーという轟音とひんやりした水しぶきが凄い。
高いところにある橋は、中央高速道路の赤い橋だ。
いつもは、あの橋から下を見ている。
写真を写していて車が来たのが気がつかなかった。
しばらく止まっていてくれた。
私がやっと気がついて道をよけるとドライバーが軽く手を上げて
にっこりして通過していった。
ちょっとしたことだが気遣いがうれしい。
さあ、いよいよ美濃と信濃の国境、十曲峠に近づいた。
(つづく)

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2006年9月18日 (月)

中仙道を歩く/中津川宿~落合宿

前回から1週間後の9月16日土曜日、また中仙道を歩くことにした。
雨の心配があったが決行した。

JR東海が土・休日限定で発売の『青空フリーキップ」を使う。
1枚2500円だ。
中央線は木曽平沢まで一日乗り降りフリーのお得なキップだ。
中津川駅に11時過ぎに着いた。
Photo_54

江戸・日本橋から45番目の中津川宿から落合宿を抜け
43番目の木曽路・馬籠宿までをめざす気ままな一人旅である。
  
美濃路から山深い木曽路に入る時に覚える緊張感を味わうことが今回の目的のひとつである。
そして、多くの旅人が西から東の向かった。
芭蕉、皇女和宮、赤報隊など
思い思いの心を秘めながら木曽路をめざした。

すでに雨がぱらついている。
難儀な旅になるかもしれない。
しかし、昔の人は雨降りでも嵐でも、雪が降る厳寒の冬でも、炎天下の夏でもふさわしい格好で歩いたのだ。
少々の雨なんか平気さ!という気分でスタート。
Photo_55

宿の東の茶屋坂

整備された駅前を直進する。
栗きんとんの「すや」を右に見て、アピタ手前の信号を左折し東に進む。
突き当りの坂道には高札場がある。
この「茶屋坂」は中津川宿の東端にあたる。
達筆な定め書きが何枚も掲げてある。
デジカメを持った男が「素晴らしいな!」とシャッターを切る。
そして車で走り去る。
どうやら観光地点だけを写真に記録しているようである。
あちらがピンポイントなら、私は連続した曲線の旅である。

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急坂を登ると幹線道路に出る。
横断すると中津高校だ。
横道に沿ってさらに登ると旭丘公園がある。

芭蕉句碑
片隅に芭蕉の句碑がある。

「山路きてなにやらゆかしすみれ草」

Photo_56

大垣と芭蕉
すこし話題がそれるが
芭蕉は東海地方に縁が深く、大垣もその中心だった。
何度も大垣を訪れている。
芭蕉は少なくとも江戸から「野ざらし紀行」の帰路と、「更科紀行」の2度、木曽路を通ったようだ。
その都度、大垣には滞在している。
大垣は美濃派の谷木因がいた。

また「奥の細道の結びの地」として大垣・船町に史跡が残っている。
中津川も東濃の商業の中心地、俳句など文化的には進んでいたはず。
芭蕉はそうした地方ファンに頼りつつ旅を続けたのであろう。

     
中山道は、ゆるやかなカーブを描きながら東に進む。
しゃれた黄色っぽい石を混ぜたカラー舗装が続く。
携帯用傘をさしながら小雨のなか、街道を歩くのも悪くない。

国道19号線をくぐって緩やかな坂道を歩く。
大型トラックが轟音をたてて通り抜けていく。

Photo_58
道沿いに農家が点在し静かなたたずまいを見せている。
常夜灯が何気なくあるとほっとする。
小雨に濡れて光る路面は風景をしっとりさせる効果がある。

子野(この)石仏群
Photo_59
庚申塔、石仏などさまざまな石造物がならんでいる。
枝垂桜の老木がある。
旅の途中で息途絶えた人もいるだろう。
まさに人生は旅。
そっと手を合わせた。

与坂の立場跡
Photo_60
坂道が続き、ゆるいカーブを登って行く。
小高いところに民家が両側に立ち並んでいる。
ひときわ古いが立派な建屋が目に付く。
与坂の立場跡の標識があった。(次に続く。)


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2006年9月17日 (日)

中仙道を歩く/中津川宿~大井宿

中津川宿から西へ

この頃、運動不足だ。体力は足腰から衰える、という。
じゃ、というわけでもないが、久しぶりに歩いてみた。
9月9日土曜日、青春18キップを使用して中央線中津川行きに乗る。
セントラルライナーは310円が別に必要だ。
多治見からは不要という変則的なものだ。
だから、車内はガラガラ。
JR東海の「秋のさわやかウォーキング」も始まって、常連さんはそちらへお出かけらしい。
お昼前に中津川駅に着く。
駅の左手にある観光案内所でパンフをいただく。
歩く人が増え、どの自治体も観光に力を入れている。
そのせいかパンフが行く種類もあり、しかもデザインや写真がきれいだ。
Jpg_10
駅近くの店「おふくろ」で五平餅の昼食をとる。
ここはみたらし団子の形のもので3つが串に刺してある。
五平餅5本と漬物がついて577円なり。
甘さは控えめ。
焼き立てでうまい。「ハフハフ」しながらお茶を飲んで食べる。
商店街をぶらつきながら西に向かう。
街がのんびりしている。
人もほとんどいない。
Photo_50
四つ目川を渡る。
何度も水害で川筋が変わった。
四つ目が今のここの川らしい。

中津川は歴史資料の宝庫
中津川市中仙道歴史資料館に入る。
常設展「激動の幕末から明治維新へ」、特別展「付知村 田口家展」
文書・画が主に展示されている。
特に幕末期の中津川をめぐるさまざまな動きは時代が確実に変わり始めていることが伝わってくる。
皇女和宮の降嫁、天狗党の西進、赤報隊の進軍など中山道の宿場は何かと動きが大きく、当時の人がどういう対応をしたのか興味深い。

資料館を出て進むとやがて枡形に突き当たる。そこに栗きんとんの「川上屋」本店がある。銘菓「栗きんとん」は中津川が発祥の地だそうである。
Jpg_11
さらに西に向かって歩いていくと大きな川だ。
これが中津川だ。かつては川上川と呼んでいたとか。

西に向かうと小高い壁に突き当たる。
石屋坂である。馬頭観音などの石柱がある。
Photo_46
私の住む西美濃にも馬頭観音は数多くあるが、こうした石仏はあまり見られない。
地方によりさまざまな祭りかたがあるのだろう。
坂を上がって曲がりくねった道を行く。
久しぶりの歩きで体全体が苦しい。
まだ、本格的にエンジンがかかっていない。
引き返すことも考えたが、少し辛抱してみる。
それにしても昔の人は丈夫だったと思う。
旅をすることは自分で歩くしかないのだ。
ひたすら歩き続けるしかない。
Photo_47
上宿の「一里塚」跡があった。
榎など植えて木陰をつくる。
ここで旅人は小休止したのだ。

Jpg_15
このあたりの旧街道は、車もあまり通行しないので比較的歩きやすい。
それに案内板が適切に建ててあるので道に迷うことはない。
国道19号線にぶつかり中央高速道中津川インターの進入道路で中山道は突然消えた。
案内地図をみて迂回する。
近くをJR中央線が走っている。
美濃坂本駅はこの先だ。
すっかり秋で稲が黄金色に輝く。
一番豊かな季節だ。
_
そして農家は忙しい季節だ。
機械化でどこでもコンバインが活躍している。
そして軽トラで収穫された米を運ぶ。
あたりののんびりした風景を見ながら歩くと楽しい。
時々、史跡案内板がかつての街道の様子を伝えている。
「立場跡」はかつての茶屋などがあった休憩所のこと。
「常夜灯」も街道には欠かせない。
夜になってしまい心細い旅人が常夜灯の明かりを見つけてほっとしたことだろう。
今の時代はともかく闇というものがなくなった。
自販機、街路灯、民家も点在して怖い場所もほとんどない。
ナイトウォーキングでもそれほど困難ではない。

Jpg_12
「白木改番所跡」というのは、中仙道独特のものだろうか。
木曽五木は「木ひとつ、首ひとつ」といわれ持ち出しはご法度。
大木の運搬は木曽川を利用するが、小さな木は街道を運んだ。
そこで厳重に持ち出すことを禁じた尾張藩が厳しく取り締まった関所がこれだ。
馬籠峠付近にも存在していた。

茄子川の町に入ると大きな庄屋屋敷がある。
「明治天皇茄子川御小休(こやすみ)所」という石碑がある。
明治天皇が巡幸の折、ここで一休みしたということだ。
なぜ石碑まで建てたのか。名誉の誇示か。
それもあるがそれだけではない。
江戸の封建時代から明治国家に変わるとき、政府は天皇をいかに人民に「見せる」かに苦慮した末に全国を回り、意図的に天皇が最高権力者ということを知らしめたのだ。
明治5年から6回にわたり全国を巡幸している。
この中山道は第4回目にあたり、明治13年6月東京を出発し、甲府、松本、木曽路を抜け名古屋、大阪をたどるコースで7月23日まで費やしている。
政情不安のなか、政府首脳や護衛の巡査も随行しての大集団の移動だった。
迎える地元もさぞ大変だっただろう、と思う。
しかしどこも大勢の人が熱狂的に出迎えたという。

 大井宿へ入る

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中津川市から恵那市に入る。
道路沿いに栗の木がある。
さすが本場だ。
焼き栗、ゆで栗、栗ごはん、栗ようかん。
何でも美味そうだ。
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甚平坂をカーブしていくと恵那の町は近いぞ。
昔はもっときつい坂だったらしい。
が、明治天皇の馬車が通られるということで地元が総出で坂をなだらかに作り変えたとも言われる。
まあ、今でも天皇陛下がご訪問となるといろいろ直すもんね。
時代は変わっても一緒かな。
下呂温泉の水明館のお手伝いさんから聞いたことがある。
天皇が宿泊される半年以上も前から警察や保健所など大変厳しい監視体制が続くらしい。

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いきなり、眼下に恵那の町並みが見えた。
旅人はこんな風景を見て、どう感じたのだろう。
今の車時代と違い、歩き続けた結果、「着いた!」といううれしさは表現できないくらいだったのかもしれない。
やはり、歩いてみると本当に感動する。
車で10分程度、電車で2駅なのに、2時間も3時間もかかって歩くのだから。
その喜びは歩いた人のみが感じることができるのだ。
大井宿、今の恵那市はこれまた魅力ある町並みであった。
いたるところに江戸の面影がある。
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そしてここにも明治天皇の石碑が建っていた。

中津川宿から大井(恵那市)宿まで10キロ程度だがなかなか味わいのある歴史の道であった。

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