2006年6月23日 (金)

煙突と夕暮れ

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こんな風景は寂しくなるなあ!
お家に帰りたくなるよぉ~

エントツという言葉も今ではめったに使われなくなった。
お風呂屋さんや町工場のシンボル的存在だった。

時代と共に消えていく風景。
しかし、これは現役だ。

夕暮れの景色は一瞬に変化していく。
西の空が赤く染まるとただごとではない。

何かが起きる予兆だ。
そう思う瞬間、思考は停止する。待て!

身動きできないほど美しい光景に
恐れを抱く。

どうあがいても自然には勝てないと思う。
神にひれ伏す瞬間がこの時間である。

2006年6月22日 (木)

治水神社の守り猫

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我輩は猫である。
みりゃ分かる。

一見平凡な猫に見える。
違う!

こう見えても、新聞にも登場した有名人、でなく猫なんだ。
猫 ひろし、でも猫田議員とも関係はない。

私、実は、治水神社の守り猫なんです。
あの木曽三川公園にいるんです。

2006年4月22日(土)中日新聞朝刊の岐阜県版に
ぎふ国境物語「海津」の記事でばっちり、
私の写真が載ってるんです。
治水神社の前でリラックスして座っている優雅な姿。

あの記事が出てから、モノ好きが私を見に来るのです。
ほっといて欲しいんです。ホントはね。

でも、わざわざ来てくれたんでこうしてポーズとってあげてるの。
毎年、遠く、薩摩からも来るので喜んでるんです。

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あの宝暦治水事業は大変だったと、何代か前から伝え聞いてます。
尾張の人は知らないけど、美濃や海津の輪中に住む人は
そりゃ、難儀しましたよ。

輪中根性なんて馬鹿にしますけど、命からがらの毎日でした。
島津藩は莫大な藩の金と八十名あまりの藩士を犠牲にしたんです。
その悔しさや悲しみが強い意志となって明治維新へと発展したのでしょう。

今では三川公園を訪れるのは、年間200万人近くにも。
しかし、治水神社まで足を伸ばしてくれる人はほんの一握り。

でも、いいの。
すこしでも昔のことを偲んでくれる人がいればそれでいいの。
満足してるのだニヤ~。

(岐阜県海津市)

2006年6月17日 (土)

徳山村はいま!

昭和61年に移転し村が消えた。
いまどうなってるのか。
うす曇のなか、現地(岐阜県揖斐川町)へ行った。

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ダムの形はほぼ完成している。
ロックフィル式、さすがにでかい。

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最後まで残っていた小学校が寂しそうだ。
工事関係者のダンプやらが走り回っているのと対照的だ。

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映画「ふるさと」が製作された記念碑がひっそり建っている。
途中、工事関係者からこの先の進入は止められたが
記念碑までならOKということだった。

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映画「ふるさと」は徳山の自然がいっぱいで、認知症の老人や
やさしい子供たちが普通にふれあう懐かしい映画だった。

増山たづ子お婆ちゃんの写真をみると、楽しい暮らしをしていた
お金はなくとも、心は豊かだった。穏やかだった。

あのころの生活はどこへ行ってしまったのか。
モノに溢れ、何かを失ってしまった僕らの生き方。

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この橋を見つめていると、当時行き交った人々の話し声や笑いが
聞こえてくるようだ。

もはや、永遠に渡ることがない。
ガードレールがむなしい。

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ダムに水が貯められ、湖底が沈むと
この近代的な橋を観光バスが走り、

かつてここに村があり人々が生活していたことを
昔話のようにガイドするだろう。

しかし、人々の哀しみは、いつまでも湖底の石に残って
決して日の目を見ることはないだろう。

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