2008年9月11日 (木)

東海道本線の車窓から(尾張一ノ宮~名古屋)

大垣を出て、やっと「尾張一ノ宮」駅まで来ました

大垣から快速で20分、朝の通勤時で25分で着きます

さて尾張の一宮というのは真清田神社のことです

駅の東北約1キロくらいにこんもりとした森がみえます

その神社の境内に服織神社というのがありますが
機織のカミサマが鎮座しております

ここ一宮は、昔は大垣と同じく紡績業が盛んでして
女工さんが集団就職でやってきた時代もありました

繊維産業自体がすたれ、街は元気さを喪失

いまや完全に名古屋のベッドタウンです

そのためか駅前あたり高層マンションの建築ブームです

そりゃ、名古屋駅から10分ですよ

東京では考えられないですよ、この近さは

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さあ、一宮駅を出ましょう

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名鉄線の高架がだんだん離れていきます

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やがて高架を降りると名神高速道の下をくぐります

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東海道線から分離し西側を並行して走る線路

草が覆い繁ったなか徐々に坂を上がる

やがて本線を跨いで東に降り東側を並行して走る
これが貨物専用線である

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東側には、エスフーズや丸八製版などの新築工場が並んでいます

このあたりは旧国鉄時代の稲沢操作場の北端かな

国鉄からJRに変わり操車場も駅南に縮小され、
その広大な跡地に大規模な街づくりがやっと始まったのだ


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東側の中ほどにアピタが建設中である

「リーフウォーク」という名になるようだ

大型SC建設で周辺はどう変わるのか

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駅に近い一部のマンションではすでに入居しているし
さらに多くのマンションが建設されるのだ

JR稲沢駅は2000年4月に新しくなったが
駅前は目だった店もなく寂しい限りだった

快速も一部を除き通過していくが

普通電車でも名古屋までたった10分で着いてしまう

すごく近いのだ

これまで開発されなかったのがおかしいくらいだ

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まあ、稲沢と言えば誰でも国府宮の裸まつりを思い出すでしょう

真冬の2月に裸男のもみ合いは迫力満点ですね

名鉄「国府宮」駅のすぐ東にありこちらが近くて便利だから

どうしてもJR稲沢駅前は発展できなかったのでしょうね

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稲沢駅東はJR貨物の操車場です
コンテナ貨物を繋いでいく作業がみられます

私など操車場というと日活アクション映画など想い出しますね
逃げるヒーロー追うやくざ達、貨車に隠れて足だけ見えたり
蒸気機関車の「ボー」という警笛、動き出す貨車

そんなセピア色の世界は消えてしまいました

そう、まさに時代は変われリなんですねえ

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さてと、右側の車窓にも注目しましょう

稲沢駅をでてすぐに白亜の高いタワーが目に付きます

173メートルあり世界一高いエレベータ試験塔で
「ソラエ」なんていう名がついてるんだそうで

これ三菱電機の稲沢製作所です

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(2007年、建築中のタワーを稲沢駅の陸橋から撮影)


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4本のレールが走る
複々線のようにみえますが
左の複線は貨物専用線の「稲沢線」です

JR貨物の稲沢駅から名古屋駅まで走っているんです

次の清洲駅も快速は通過します

清洲駅は東にのみ改札口があるが駅前商店街もなく小さな駅です


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清洲駅のホームから西側を見ますと大きな工場がみえます

頭痛薬ノーシンでおなじみのアラックスです

西側には駅がないのです

畑が見えて、どう見ても大都会の近郊なんて思えませんね

ところで、この清洲駅のあるのは稲沢市なのですよ

稲沢市にあって清洲駅なんです

なんだか変ですよね

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清洲駅を過ぎると西側から東海道新幹線が接近してきます

そして名古屋までず~と並行して走ります

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東名阪自動車道の高架下をくぐります

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左手の東側には五条川をはさんで公園と再建された清洲城が見えます

本来の清洲城址は五条川の北側です

桜の季節が一番で朱塗りの橋が美しく映えます

お薦めのビュースポットです

貨物線が本線をまたいで右手の西側に移動する頃

やがて左手に大きな工場が見えてきます

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キリンビール名古屋工場です

できたてのビールが名古屋周辺の店に運ばれていきます


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左手の東側から城北線の高架が近づき本線を越えて西に入ります

城北線は奇妙な経過をたどりました

国鉄時代に東海道と中央線をつなぐ路線として計画されました

しかし、財政難と需要が見込めないため計画が萎み

枇杷島駅~中央線の勝川駅間を繋ぐ路線として中途半端なものになりました

非電化で1両、運営もJR東海の子会社・東海交通事業に任せきり

しかも1時間に1本しかない不便な電車なんです

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新川を渡ります

どんよりとした川という印象です

新川といえば東海豪雨で決壊し大きな被害を出しましたね

新川は江戸期に庄内川の洪水対策としてバイパスの役目を果たすため

新たに開削された人工河川なんです

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枇杷島駅です

快速は通過します

城北線ののりばと車両がみえます
都会の鉄道で1両とはなんとも情けない

ただいま駅は工事中です

駅の東にあったセメント工場跡地に

大きな滞水池をつくり、上を駅前広場に整備して
東側にも駅を造っています


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枇杷島駅の近くにこんなレンガの通路がありますよ

いつだったか途中下車して発見しました

NHKの「中学生日記」のロケにも使われてましたね

ちょっとドキドキしていい感じでした

一度探検してください

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枇杷島駅を過ぎてすぐ名鉄線が下を抜けていきます

名鉄の西枇杷島駅が見えます

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庄内川を渡ると、いよいよ名古屋市に入ります


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名鉄電車が、今度は左手から接近してきます

名鉄病院が見えるとすぐに名鉄栄生(さこう)駅があります


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名鉄線が地下に入っていきます

豊田の産業記念館を過ぎると
高層ビルのルーセントビルが近づく

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駅前の高層ビルが見える

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元気な名古屋も言われるほどに東京や大阪の大都会ってこともないし
横浜や神戸のような洗練され集積された都会のイメージもない

でも、名古屋駅前付近は確かに変わりました

愛・地球博をきっかけにずいぶんきれいにもなったようにも思われますね

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大いなる田舎でもある名古屋だったり

ナゴヤめしが話題になったり、馬鹿にされたりしても
けっこうナゴヤって面白いといって遊びに来る人も増えましたが

車窓を眺めながら、そんなことなんかボンヤリ夢想しているうちに
車掌のアナウンスが入ります

「まもなく、なごやです。ご乗車ありがとうございました。

お乗換えのご案内を‥、新幹線東京方面は‥  ‥」

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名古屋駅だ

さあ、今日も一日がんばりましょう

                            (終)

2008年8月31日 (日)

東海道本線の車窓から(岐阜~尾張一ノ宮)

岐阜駅は3階建てなので展望がききます

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名古屋へ行く上りでは、北つまり左の席からは岐阜の駅前の景観がいいですね

かつては駅前も路面電車が走ってとてもにぎやかでした

廃止寸前の頃は珍しい路面電車が多く、全国の鉄道フアンが集まりました

その名鉄岐阜市内線も廃止され、揖斐、谷汲線も美濃町線もなくなりました

広島、松山、富山、豊橋なんか行きますと路面電車が街をにぎやかにして

何となく人間的で私は好きなんですがねえ‥

さて、岐阜駅を出ますとすぐ左手に名鉄岐阜駅が見えます

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名鉄の岐阜駅前には最近まで「新岐阜」としてデパートや
パルコ、ダイエーなどがあり若者中心に大いに賑わってました

いまはその繁栄はなく、名古屋に吸収されてしまうほど
寂れて見る影もありません

北側には、金華山の山頂に岐阜城を見つけることができますよ

あの、信長の城です
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最近では、JR、名鉄の駅周辺に中高層マンションが建ち始めました

駅を出ると大きく線路が右旋回して南の方向に進みます

高山線は東に直進して高架から下におります

高山線はまだ単線非電化ディーゼル車なのです
ちなみに「ワイドビューひだ」もディーゼルです

岐阜から途中、各務ヶ原市の鵜沼までは名鉄線が並走してますが
これは複線電化ですから勝負はJRが負けてます

面白い話をひとつ

名古屋への通勤客は、季節によって座席の優先順位が変わります

夏は、名古屋行では右側の座席が、冬は左側席が人気です

つまり、岐阜からは南に向かって走るので夏の朝、暑い日差しは左から入るので
ブラインドを下ろします
それでも暑いのです、冬はその反対ですね

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岐阜駅から次の木曽川駅までは8キロくらいあります

いつ頃だったか岐南町あたりに駅をつくろうという声がありましたが
消えてしまいました

高架から下におりると
右側に笠松競馬場の厩舎が見えます

地方競馬の笠松競馬場は何度も廃止の動きが出ています

最近でも地主との土地問題でもめていますね

アンカツこと安藤勝巳騎手も有名ですね

たまに競争馬が走っているのが見られます

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木曽三川の最大の川、木曽川を渡ります

川幅も広くさすがという感じです

ところで、この木曽川に橋が架かって大垣~岐阜~名古屋へというルートが
完成したのは、明治20年4月でした

大垣~岐阜(当時は加納)間は明治20年1月、また熱田~木曽川間が明治19年6月開業しています

どうして木曽川が最終になったのか?

それは、始めは幹線ルートが中仙道を通ることになっていたからです

理由はいろいろありましたが、名古屋を経由するルートでの建設に決定され現在に至っているのです

ですから、東海道線とはいいながら、名古屋~岐阜~大垣~米原~草津のルートは

昔の美濃路~中仙道のコースをたどっているんですね

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東(左側)が上流側で、国道22号線の新木曽川大橋があります

名古屋まで続く幹線道路です

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木曽川を渡って右側をみますと
木曽川の堤防はずいぶん頑丈にできているようにみえます

江戸時代は左岸の尾張側が右岸の美濃側より三尺高く築かれていました

このため増水したときは、必ず美濃側で氾濫し、農民泣かせでした

徳川御三家の尾張藩を守るためです

文句ひとつ言えなかったのです

このことが、今でも岐阜と愛知の間の水問題にしこりとなって残っているようです



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東側にツインアーチが見えます

正式には「ツインアーチ138」で国営木曽三川公園のシンボルタワーで

高さ138メートルはイチノ(1)ミヤ(38)にかけてあります

放物線のアーチがふたつあるユニークな形で岐阜付近からでも見えます


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木曽川駅です

新快速は通過します

現在、駅工事中です

2階に改札を設け東西の自由通路をつくるなどしています

木曽川町は、今は合併して一宮市になっています


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西を走っていた名鉄・名古屋本線が右側から接近し並走します

かつては、名鉄特急とJRの新快速がスピード競争したりしていました

乗ってる乗客も隣の電車を見て「追い越せ!」と心で思っていたりします

確かにJRになってから岐阜~名古屋間は競争区間です

でも安全第一でお願いしますね

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一宮駅に近づくと高架になります

赤い電車が名鉄です

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JR,名鉄ともに2階がホームです

尾張一宮駅に到着です

新快速、特急なども停車します

2008年8月28日 (木)

東海道本線の車窓から(穂積~岐阜)

大垣駅から約5分で穂積駅です
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穂積駅は、平成15年に巣南町と穂積町が合併して瑞穂市になったが
駅名は、ホズミのままですが、
市名はひっくり返したようにミズホ市に変わったのがややこしい

まあ、どちらにしても濃尾平野の豊かな稲作を想起させますね


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昔ながらの商店街があります

さあ、穂積駅を出発しましょう!

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出るとすぐ鉄橋です

この川は木曽三川のひとつ、長良川です

「長良川」という響きはどことなくロマンチックですよね

五木ひろしの「長良川艶歌」なんて唄にもなるし‥

しかし、このあたりどこを見ても車窓からはその雰囲気はありません

左手・北側が上流になりますが、長良川はこの先大きく右にカーブしていきます

約1キロ北には中仙道・河渡宿があります

さらに少し先、鏡島弘法の西に「小紅の渡し」があり現在も運営されています

今と違い、昔は、川や海を利用した舟運が主流でしたから

ここらあたりも上り下りの舟でずいぶん賑わったでしょうね

美濃市にある上有知湊も有名です

今の川は堤防で遮断され、人々の生活とは無縁な存在になっています

長良川と言えば岐阜の鵜飼や夏の全国花火大会が有名ですね



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長良川を渡ると右手に「宇部日東化成」の工場、
さらに少し離れて高いビルがふたつ見えます

右側が岐阜県民ふれあい会館で14階建て
その左に岐阜県庁の12階建が遠くに見えます

岐阜県庁は岐阜市内の中心部・司町にありましたが
1996年(昭和41年)に現在地の薮田南に移転しました
当時は田んぼの中でよく目立ちました

今ではその周辺には岐阜県美術館などの公共施設、スーパー、レストランなど
立ち並び国道21号線沿いに賑わいをみせています

続いて右手に貨物ターミナル駅が見えてきます

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たくさんのコンテナが積まれていますね

この貨物ターミナル駅は岐阜駅高架事業のため、貨物専用駅として移転し
昭和61年に開業しました


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力強い機関車によってコンテナ貨物を引っ張っていきます

貨物駅が途切れたところに西岐阜駅が見えてきます

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西岐阜駅は貨物ターミナル駅と同じ昭和61年に開業しました

南と北に駅前広場がありますがほとんど人はいませんね

とにかく周りを見ても人が集まるような店がなく、閑散としています

岐阜駅へたった3分なのに、マンションもあまり建ちません

20年たっても当時とあまり大きな変化はなく
駅の南には田んぼが残っていてのんびりしたムードです


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駅前の一等地でも開発されていないのはどうしてかな?

この駅から県庁やふれあい会館など無料バスも出ていますが
利用客も多くはないようです

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そのためか、駅の南側、北側周辺は小さな民間の月極、
時間貸し駐車場が多く見られます

1時間100円、一日最大800円らしいです

ほとんど「美濃善不動産」という看板が目立ち独占状態です

岐阜西部、北部から名古屋へ出るにはこの駅までマイカーで来て
JRに乗り換えるという人が多いですね

いわゆるパークアンドライドです

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西岐阜駅を出るとすぐに岐阜環状線が下を走っています

それを越えると線路はすぐに高架になります

岐阜駅周辺の高架事業は、名鉄電車が2階相当を縦断しているので
3階建ての高さになります
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その分、眺望が抜群です

左側(北側)窓には密集した民家やマンションが立ち並んでいます

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駅西の村上記念病院周辺もマンションが建って賑やかになりました

さらに話題の高層マンションも昨年10月オープンしました

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「岐阜シティタワー43」 の名が示すとおり43階建です
岐阜では飛びぬけて高いので遠くからでもよく見えます

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(2006年、建設中の高層マンションを岐阜駅南口から撮影)


いよいよ岐阜駅に近づきました

上り線からはあまり見えませんが南側には全国的に有名な場所があります

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知る人ぞ知る金津園という特殊歓楽街です

地元としてはあんまり嬉しくはないのでしょうがね

あの小沢昭一様が涙オロオロにして喜ぶところです

詳しくは「小沢昭一的東海道ちんたら旅」(新潮文庫)を
読んでくださいね

夕闇せまり灯が灯るころ、下り電車に乗ればもう少し見えます

いよいよ岐阜駅到着です

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ただいま駅前を整備工事中です

円周の歩道デッキやバスターミナル、駅前広場が完成すれば
景観が一変するでしょう

岐阜といえば柳ケ瀬でしょう
駅前は昔からなんにもないところでしたね

戦後、満州からの引き揚げ者が古着を売る店が集まって

だんだん大きくなり「ハルピン街」ができました

なかでもアパレル産業を中心に
全国の業者がやってきて一時は大いに繁栄しました

しかし、時代の流れで衰退し、駅前も火が消えたようで
寂しい限りでした

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繊維問屋街もシャッターが閉まって駅前が機能しないし
岐阜県の県庁所在地としてはイメージ低下です

この鉄道高架事業から始まって駅前広場の整備が
周辺の再開発と結びつけば大きな変化があるかも‥

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岐阜駅に到着です

続きは東海道線の車窓から(岐阜~尾張一ノ宮)へ





2008年8月22日 (金)

東海道本線の車窓から(大垣~穂積)

休みを除いて毎日の通勤電車
あきもせず朝夕と往復している

車窓から春夏秋冬の移り変わりや、
少しずつ変わる町並みや風景を眺めています

大垣から名古屋まで約40分

本を読んだり、うたた寝したり爆睡もしたり
時にはぼんやり夢想して時間を過ごしたり

でも、やはり私は車窓から眺めていることが好きなんです

そこには、どんな風景が展開しているのでしょう
デジカメで写してみました

あなたも、車窓からの眺めを見て楽しんでください

まずは大垣駅からスタート

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大垣駅ビル「アピオ」です
南が表玄関になっていて
この2階に改札口があります

昨年,北口に大型ショッピングセンター「アクアウォーク大垣」がオープンし
今夏から駅北口、広場、南北通路の新設改良工事もいよいよ始まり
数年後にはこのあたりの景観が一変するでしょう

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駅構内に入りましょう
一番線ホームの真ん中あたりにある標識
(なかなか気づきにくいのですが‥)
「410」という数字は
東京駅を基点に東海道線410キロ離れたところが大垣駅だという意味です

昔から、「東京へは100里もあるでな、そら遠いわ」、と年寄はよく言ってました



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この電車に乗ります
8両編成の豊橋行です

上りは4番線を基本に始発電車は1番、5番から出発です

大垣にはJR東海の電車基地があるので
快速電車は大垣始発が多いのです

基地は駅の西、つまり米原行き下り電車に乗ると見られます

美濃赤坂線は東海道本線の支線(盲腸線)で2駅しかないユニークな路線で
3番線から発車します

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養老鉄道の大垣駅も南西側に隣接しており
養老、桑名、揖斐方面に出ています

樽見鉄道も5番線の北側から出ます

このため、大垣駅は今でも西美濃地方の拠点駅として存在しています


1番線はお馴染みの「ムーンライトながら」の到着番線です

東京を深夜に出て大垣には早朝に到着します

2番線から連絡する関西方面への乗り換え客が
陸橋をドタドタ走るおなじみの光景がみられます

青春18キップの旅行案内本にはこのことがたびたび書いてあります
特に夏休みなどは大変なようです

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さて、樽見鉄道のりばにユニークなデザインの電車が停車してますネ
特産の富有柿と真桑文楽のデザイン
車両ごとに異なったデザインはけっこう楽しめますよ
池田満寿夫のデザイン画も見かけました


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それでは、出発進行!

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3本のレールが並走してます
右から東海道本線の下り線、上り線
そして一番左が樽見鉄道線です

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右側には大型ショッピングセンター「ロックシティ」が見えます
帝國繊維大垣工場の跡地に造られたものです

映画館、温泉、ゲーム、ショッピングなどで構成されています
にしみのスーパー戦争のあおりで顧客を取り合ってます

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右側の奇妙に目立つビルは「ソフトピアジャパン」です
岐阜県がIT人材の育成とベンチャー企業の育成を支援するため
大垣市につくった先進情報産業団地です
ちょっとした未来都市のような新しい街ができています

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シンボル的な建物は、黒川紀章建築事務所がデザインし
平成8年完成しました
鬼の角のような2本のタワービルは大垣駅からでもよく見えます

周辺はまだ田んぼも見られ、面白い対比です

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反対側の左窓にはこんな看板が見えます
日本100名水のひとつ大垣市加賀野にある
「八幡神社の名水」です

毎日、名水を汲みに大勢の人が押しかけます
コーヒーやお茶にすると美味いのです

昔から大垣は「水の都」として少し掘れば豊富な地下水が出ました
湧き水のような自噴水が市内のあちこちで見られます

この水で冷やした「水まんじゅう」も大垣の名物ですね


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名古屋までには大きな鉄橋をいくつも渡ります

まず木曽三川のひとつ「揖斐川」です
左に見えるクリーム色の鉄橋は初代の東海道線の鉄橋です

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明治18年に完成したトラス橋で大垣から加納(現・岐阜)まで布設された当時の橋です
岐阜県では最古の鉄道橋でもあり貴重な歴史的産業遺産であるとして
国の登録有形文化財にしようという動きもあります

現在は人と自転車が通行できます

その左は樽見鉄道の鉄橋です

約2キロの上流に中仙道が通っています
幕末には皇女和宮も渡し船に乗った呂久という場所には記念公園があります
現在は鷺田橋があり自動車もスイスイ走っており
時代の移り変わりを感じます

また揖斐川の水源地近くの徳山村が消え
巨大な徳山ダムが完成しました

将来、この出来事がどのように伝えられていくのでしょうか


揖斐川を渡ると樽見線は徐々にカーブして東海道線と離れ北に向かっていきます

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揖斐川を渡るとそのまま堤防のような高さで走ります

右も左も田園風景が広がっています
濃尾平野の豊かさが感じられます

この辺りの風景は私も気に入ってます

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五六川は小さな河川ですが
左側(北側車窓)の風景がちょっとしたヨーロッパの絵画的風景です
いい感じで何とも癒されます

この五六川というのは、この上流に中仙道の美江寺宿があります
江戸から56番目の宿場町であることから名づけられたといいます

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この辺りよく見るとあちこちに池が残っています

ここ穂積も輪中地帯ですから明治の鉄道建設当時、河川の氾濫を恐れて
一段と高く土盛りして線路を築いたのです

そのときに線路に近く掘りあげた穴の跡がこうして池になっているのです
最近、埋め立てられ工場や宅地になりましたが、少しは当時のままで
昔をしのぶことができます

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穂積駅に近づくとこの道路と交差します
国道157号線、通称「本巣縦貫道」といいます

沿線沿いに宅地開発が進み店舗も増え賑やかになっています
大型ショッピングセンター「モレラ岐阜」もこの沿線にあります

薄墨桜で有名な旧・根尾村(現在は本巣市)に通じています

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穂積駅に到着です
駅前は昔からの店がほとんどで狭い商店街です
駅のホームは2階にあります
多くの通勤客が乗ってきますのでほぼ満員状態になります

    続きは東海道線の車窓から(穂積~岐阜)へ

2007年3月21日 (水)

東海道線・穂積駅あたり

輪中地帯を走る東海道線
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大垣駅を出た上り列車は、
木曽三川のひとつ、揖斐川を渡る。

揖斐川は、三川の中では一番西を流れている川だ。
揖斐川の鉄橋は、現在の橋の上流に旧鉄橋が残り
車道として使われている。

さらに上流には樽見鉄道線の鉄橋があり、
3つの鉄橋が並び、歴史を伝えている。

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揖斐川鉄橋を越えると、土盛りされた築堤上を走る。
やがて、犀川、五六川、中川などの中小河川を渡る。

高架の線路から眺める車窓風景は、瑞穂の国そのものだ。
田園地帯に最近では住宅が乱開発で建てられてきている。

線路近くにため池のようなものがある。
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以前はこうした池があちこちで見られたが、
現在では、多くは埋め立てられて、
2,3箇所しか残っていない。

この池は、人工の池である。
明治20年1月に東海道線の、
大垣~加納(現在の岐阜)が開通。

この工事のとき、土盛り高架用として
田んぼの土が使われたのである。

そしてその跡が、池として残されたのである。

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水郷地帯のような風景も車窓から眺めることができる。

この五六川 はこの上流にある中山道・美江寺宿が
江戸から56番目の宿にあたるため
この宿場町を流れる川の名前として定着したもの。

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五六川に架かる鉄橋は古いが頑強だ。

この一帯は、いわゆる輪中地帯である。
この東海道線は、当初、中央線として
建設されていたもの。

紆余曲折があって、長浜から大垣、岐阜
さらに名古屋からは静岡へというルートになった。

頻繁に繰り返す洪水の被害は、
この地の人たちの人生を絶望させた。

有名な宝暦治水工事でも解決できず
やっと明治になって、
お雇い外国人ヨハネス・デ・レーケの計画により
木曽三川分流工事として、
明治20年に着工され明治45年に竣工している。

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そのころ、東海道線が少しずつ開通し、
明治22年になって
一部、琵琶湖の水路を利用して
全通したのである。

その頃に、建造されたものか、
レンガ造りの人道トンネルが今でも残っている。

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100年以上もの歴史を持つ
土盛りの築堤上を
特急・しらさぎが走り抜けていく。
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五六川親水公園では、
豊かな水がゆったり流れている。

しかし、ひとたび雨が降れば
いつでも洪水の危険がある。

昭和51年9月、長良川右岸で決壊。
この東海道線より南の安八町では
大きな被害を受けた。

そのとき、まだ残されていた輪中堤が
見事に役立ち、

先人の教えが生かされたのだ。

今日も、車窓から
のどかな風景を眺め
つい忘れてしまいそうな
輪中に生きるひとびとのことを思うのである。

2007年2月13日 (火)

電車の人生?


毎日、
通勤電車に乗り
車窓を見ている。
同じような風景でも少しも飽きることはない。

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同じ電車の同じ車両の同じような座席に座る。
例えば、2両めの前のドアの右側の座席
といった具合だ。

電車が停車する。
ドッと人がなだれこんで満員だ。
よくみると
いつもの顔ぶれ。
どういう人か知らないが
顔は知っている。
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時には、本を読む。
時には、手帳に昨日のデキゴトをメモする。
時には、聞こえてくる会話に耳を傾ける。
時には、隣に座った男の日経新聞をチラリと見たりする。

それも長くは続かない。

結局、目をつむってしまう。
知らぬ間に眠っている。
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ふと気がつくと
電車の窓際に座っている自分がいる。
富士山が見えた。
めったに見えないのに。

今日はついてるぞ。

また、眠っている。

電車の窓はいつも同じ風景だ。
海が見える座席では富士山が見えないのだ。
永遠に。

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奇妙なことだ。
新しい車両が線路に置かれた瞬間から
座席の位置が決定される。
そして永遠に同じ風景の中を走り続ける。

老朽化してリタイアするまで。
見える景色は毎日、不変だ。

毎日、海を見ている新幹線のA席は
永遠に富士山を見ることはない。

どうあがいてもE席にはなれないのだ。

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中央線だって、
D席では、名勝「寝覚の床」は
永遠に見られない。
A席に与えられた特権的人生さ。

目が覚めた。

まだ電車は走り続けている。
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何だか知らないが
人生は電車のようなもの?

2006年6月11日 (日)

通勤電車は夢空間

三上(さんじょう)と言います。

つまり、馬上、枕上、厠上のことです。
考えたり、文章をまとめたりするのに最適な場所のことで

馬の上、寝床の上、トイレの上(中)。
馬の上は、今で言うと電車や自動車の中ということだろう。

通勤電車は、確かに何かを考えるには良い場所だ。
朝、見てごらんなさい。

あるスーツ姿のサラリーマンは会社の書類を見て、今朝の営業のことを考えている。
男子高校生はテストの暗記もので、ノート見て呪文らしきものをブツブツ。

日経新聞、中日スポーツ、朝日新聞広げているくたびれ年配男性。
化粧するOLたち。だんだんメイクが出来上がる過程が真剣そのもの。

目をつむり瞑想するもの、腕組するもの。
車窓をぼんやりみているもの。

仲良し旅行に出かけるおばさんのうるさいおしゃべり。
眠りこける学生。

ケータイでのメール打ちに忙しいミニ女子高生。
ドアにもたれてディバッグ肩にかけ文庫本を読む旅行者風中年。

まさしく人間社会の縮図そのもの。
満員電車の中ではすべてが他人。

これから始まること、待ち構えていること、など
車内は、夢、希望そして不安、恐れで充満している。

どう立ち向かっていくのか思索し、夢想し、
そして自分を励まし決意する。

そうした人々を目的地へ運んでいく夢列車。
朝の通勤列車は霧に包まれたそれぞれの未来に運ぶ夢空間。

いったい何が待ちうけているのだろうか!

2006年6月 9日 (金)

看板

200662_005

子供のころから
電車に乗ると窓の外に映る風景を見ているのが好きな少年だった。

「おきあがり」の次が「さいちゅう」かな?
ず~と疑問だった

「もなか」と読むことを知ったのは中学生のころ。
大人になった今でもこの看板を見ると口の中ではつい「サイチュウ」と読んでいる。

国鉄がJRに変わり、田んぼや畑が住宅、道路になって
この種の看板がほとんど消えた。

しかし、この「起き上がり最中」は今だ健在である。
岐阜の名物菓子として駅売店にもある。
(愛知県一宮市)

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