2012年1月13日 (金)

おやじのカメラ発見!

物置の中を断捨離して

小さな箱の中から
古臭いカメラが出てきた

お!これこそ行方不明だった
親父の愛用したカメラだった



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手に取ってみた

革ケースも相当くたびれているし
汚れも目立つが懐かしい

MAMIYA-6 AUTOMATIC
という文字もいいな

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ケースをはずしておもむろに開く
蛇腹式だ
写真機と呼ぶのに似つかわしい

このカメラを私たち家族は
「マミヤシックスオートマット」と呼び
今でも忘れていない
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レンズはオリンパスのズイコー製で
75mmF3.5だ

1955年(昭和30年)に発売されたようだが
カメラに詳しくないからよくわからない

しかし、カメラの歴史上では特筆すべきカメラらしい

持つと重さがずっしりしていて
いかにも技術者の手作りっぽい感じが
伝わってくる

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親父がいつ頃カメラを買ったのか
よく分らないが
多分昭和30年代中頃だろうと思う

私が確か小学生のころだった

岐阜駅や岐阜公園でモデル撮影会があって
それに参加したりしていた

ポーズをとったモデルを写した
古い写真を見たことがある

アルバムに残った家族写真も
このカメラで撮ったのかなあ
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それから50年以上も過ぎて
驚くべき技術革新が進み
今、カメラは小型で高性能なものでも
安く手に入るようになった

ケータイにカメラ機能も加わり
どこでも簡単にシャッターが切り
その場で確認できる時代だ

昔のように一枚一枚を丁寧に
写し、ネガを現像して
出来上がりを見て
一喜一憂した
そういうのんびりした時代が確かにあった

そういう時代に活躍したのが
このカメラだった

親父が今生きていたら
どう思うだろうか


2010年4月27日 (火)

知多四国霊場の思い出

先日、常滑に行った
やきもの散歩道から足を伸ばし
古い商店街を歩いた

そこで偶然見つけたのが
この小さなお寺だ
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「新四国六十四番札所」
「世昌山宝全寺」

なんと懐かしい風景なんだろう
昔の子供の頃に
タイムスリップしたかのようだ

あれは確か昭和30年代だったろう

父のオートバイの背中に乗せられて
新四国八十八ケ所霊場まわりをした

車は「陸王」というけっこう大型で
今から思うと珍しいオートバイだった

丸いヘッドランプ
青色の丸みを帯びたボディ
「ボトボトボト」という力強い音

小学生の私は振り落とされまいと
必死でしがみついていた

新四国霊場は、当時賑わっており
多くの人がそれぞれの思いで
手を合わせていた

宿坊?で泊まったこともあった
相部屋になった人は子供を病気で亡くし
その供養のため回っているんですと
親父と話しているのを子供なりに聴いていた

いまでも、そのことを覚えている

私は、生まれつきの大きな病を持っっていたため
あちこちの専門の医者にも診てもらったが
医療がまだまだの時代で、はかばかしくなく
さらには神頼みである

稲沢にある矢合の観音さんがいいと聞けば
お水をもらいに父と出かけた

近くの谷汲さんもよく行った

観音さま、弘法さん、ご利益あるよと聞けば
どこでもでかけて行った

親父もおふくろも何とかしてやりたいという
必死のおもいだったのだろう

おかげさまでこの年まで何とか生き延びることができた

もちろん、今でも体のどこかしこは悪いのだが
とにかくなんとか生きている
というか、生かされておると言うのかな

こうしたことをすっかり忘れていた

今回、常滑に出かけたことも、
その日の朝のふっとした気分から決めたことだった

なにか「めぐりあわせ」というか
「縁」のようなものなのだろうか

あの親父の笑顔を想い出したら胸が熱くなった

2010年3月 7日 (日)

とんかつ

大垣駅前通りを少し歩き
新大橋の手前を東に入ると
「宝亭」というお店がある

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この店はとんかつ屋である

ず~と昔から営業しているような記憶がある

昭和30年代の頃だったと思うが
親父に連れてきてもらった

それも母や姉も一緒で家族で来たのだ

当時、「とんかつ」はすごいごちそうだった
カリカリに揚がったとんかつに付け合わせのキャベツ
それをナイフとスプーンで食べるのだ

なんかそれが嬉しくて嬉しくて仕方なかった

あの時の記憶では、狭い間口の店で
2階に上がり窓際のテーブルで食べたように思う

今は建て替わったのか前に駐車スペースがあり
店が横に広がったようだ

大人になってから一度も店に足を踏み入れていないが
あのなつかしいソースの匂いがするとんかつが
今でもあるのだろうか

今のように食が豊かでなかった時代だから
ハレの日のお祝のような
特別な家族そろっての外食は
めったにないことであった

「宝亭」という名と同時に
ふっくらしたとんかつのイメージが
湧いてきて、妙に懐かしい

2007年6月18日 (月)

父の日に思うこと

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きのうは、6月の第三日曜日で「父の日」であった

折り込み広告には「父の日」特集のオン・パレードだ

『お父さんに贈りたい「ありがとうの」の気持ち』
『父の日は癒しのプレゼント「一生懸命働いてくれるお父さんに
ありがとうの気持ちを送ろう』
『1000円以上お買い上げで箱代ラッピング無料サービス』
『大好きなお父さんに贈るプレゼントが勢揃い』
『大好きなお父さんに日頃の感謝の心を込めてー父の日ギフト』

要するにどれもこれも金を使わせようというのだ

父の日はいつからできたのか

どうやら発端はアメリカで母の日があるのに父の日がないのはおかしい
ということで決められたとか

でも正式にアメリカで祝日になったのは1972年と遅かった

確かに、昔は父の日もなかったし誕生日なんかも
わざわざ祝うようなことはしなかった

また父親もそんなことをされても嬉しくもない
子供にとってもそんな余裕はなかった

貧しかったからでもある
第一、父親は子供たちからお祝いを貰うなんていう
考えがなかった

今のように優しくて、お友達的父親は珍しかった

それだけに威厳というか、尊敬できる父親像が消えてしまって
実に物分りがよいお父さんばかりになった

しかし、いまさら威張ってみても「張子の虎」現象で通用しない
お母さんの方が偉いことは、子供が見抜いている


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私が学生だった頃、父が私宛にくれた手紙だ
関西に下宿住まいで、私自身が病弱で、将来不安な日々を送っていた頃だ。

新緑の候となって生活の最も楽な季節となった。元気でいるとの事
何よりと喜んでいる。当方も元気で暮らしている
昨日の日曜は久しぶりの百姓で大いにつかれた。苗場を作り、もみまきと
あぜ草刈で一日中忙しかった


手紙によれば悲観的な文章であるが心を大きく持つことだ。
俺だって小学校を出ただけで今の今まで苦しみながら頑張ってきたのだ
そんなことでへこたれてはいけない。社会人として誰にも負けない根性が必要だ。…(略)


散髪後の気分も又格別だ。あまりくよくよせず大いに胸を張って荒波を切り抜けることだ。
くれぐれも体に注意して勉学に励んでください。
                             父より
  ○○君へ

  二伸 別の1000円は床屋代」

筆まめだった父から送られた手紙は私にとって何よりの励ましだった。

「父の日」にふと思い出した。

2006年7月20日 (木)

汽車に飛び乗る

おやじの背中(6)

岐阜の花火大会へ親父に連れていってもらったことがある。

まだ国鉄と呼ばれていた頃だ。
当時の足は汽車、バスが主流でマイカーなんてほとんどなかった。

小学生の子供3人と親父で夕方出かけた。
長良川の花火大会は今でも人気の夏のイベントで当時でも人気は高かった。
河川敷で大勢の人込みに混じって
パーと開く大きな花火とお腹にまで響くドド~ンという音響は楽しかった。

喉が渇いたので親父が気を利かしてアイスクリームかなんかを買いに
人込みを掻き分けて離れていった。

子供3人は少し不安だった。
いつまで待っても帰ってこない。
親父がこの場所を見つけられないのだ。

私らは花火どころではなくなった。
必死で周りを見ているとやがて親父が気がついたらしくほっとした様子で手を振り、戻ってきたのだった。

花火も終わり、岐阜駅に着いた。
もう夜も遅いので汽車もそんなにない。

ホームに下りると汽車が今発車しようとしている。
親父は「おい。乗るぞ!」と私たちをせかした。

エっ!ホームを走った。
当時は自動扉ではなかった。

デッキが開いていて動いていても乗れたのである。
しかし、大人ならいざしも子供である。それも3人。

エイヤーと必死の飛び乗ったのである。
どうにか事故にもならず無事帰宅できた。

親父のこの無謀で無茶な危険行為は今となっては思い出のひとつである。

パンク修理

おやじの背中(5)

親父は十代の頃に名古屋の自転車屋で小僧をしていたらしい。
らしいというのははっきり聞いたわけではないからだ。

しかし、パンク修理の手馴れた姿をみているとなるほどと納得させられた。
まずどの部分に穴が開いているのかを調べる。

自転車をヨッコラショと逆さにする。
洗面器に水を張って、リムからはずしたタイヤを水につける。
穴が開いているとぶくぶくと泡ブクが出る。
そこがパンク箇所だ。

チューブの穴の開いた周辺を軽石でこすってザラザラにしておく。
そこへゴム糊を塗る。

適度の大きさに切ったゴム片を貼り付けて乾燥するのを待つ。
再び、元にタイヤを納めて完成である。
その一連の工程を子供の私が興味深く見ている。
完成すると「へ~」と感心する。

親父は結局自転車屋にはならなかった。
どれくらい奉公に出たのか知らないが
パンク修理は趣味のようなものだった。
頼まれたりすると近所の自転車も直したりした。

自転車に乗ってもう一台の自転車を引っ張ることも得意だった。
時々、もう一台を移動させるのに歩いて行かず自転車で行く。

帰りは当然2台を操ることになるが右手で自分の自転車を操作しつつ
左でもう1台のハンドルをつかんで器用に走らせる。

まあ、けっこう昔の人はこれができた。
今はほとんどできない。

車に積み込んで運んでしまうからだ。
パンクしても自分で修理する人もほとんどいない。

直せば十分使用可能なものでも簡単に捨ててしまう。
「もったいない」と思わなくなったのか。

2006年6月17日 (土)

オートバイ。その名は「陸王」

おやじの背中(4)

親父は、けっこう新しいものにはまっていた。
「陸王」と呼ばれるオートバイもその内のひとつだ。

僕らはリコーと呼んでいた。
エンジンを掛けるとボトボトボトと逞しくも重厚な音がした。

丸いヘッドライト、全体が丸みを帯びた青い躯体のオートバイ。
一度止めたままで乗ってみたことがある。

両手でハンドルを支えて、ボディにやっとまたがると
僕の小さな体がふわりと乗っかっている状態だ。危うい。

親父は笑った。
そんな格好じゃな。ダメだ、と言うわけだ。

田舎町にはこんな最新の乗り物に乗ってる人も珍しい時代だった。
親父は小柄な体で乗り回していた。

小学生のころだったと思う。
生まれつき病弱な僕を後ろに乗せて
知多半島の新四国八十八ヶ所霊場めぐりに行った。

夕方になり、途中、知多半田の駅前だったかオートバイを預けて、
1週間後に電車で半田まで来た。

あわて者の親父、オートバイのキーを忘れた。
仕方なく、そこで合鍵を工面してもらい、何とか出発した。

おやじの背中にくっついて「陸王」は風を切りながら走った。
どんなところをお参りしたかはよく覚えていない。

しかし、背中に必死につかまっていたことは忘れていない。
このオートバイをいま街で見かけることはまずない。

2006年6月 8日 (木)

上野の西郷さん

おやじの背中(3)

母の実家・福島へ家族で行った時のこと。

東京の上野駅で常磐線に乗り換えることになった。

おやじは駅の壁に掲げてある時刻表を見て
「まだ時間がある、西郷さんを見に行こう」と上野公園へ行った。

犬を連れた西郷さんがどんな人かも分からないが有名な銅像だけに見とれていた。

やがて、予定していた時間に駅に戻るとややや
汽車はすでに出た後だった。

大きな時刻表は上野駅の到着時間だった。大チョンボ!

とにかく次のに乗ろう。
水戸駅から水郡線に乗り換え。しかし途中駅でストップ。

仕方なく知らない田舎の駅前旅館で1泊。
小さな旅館の手ぬぐいが汚かった。

おっちょこおやじの真骨頂。

でもそれがまた懐かしい。

落花生

おやじの背中(2)

駅前商店街にたった1軒落花生を売る露店があった。

仕事帰りおやじはよく落花生を買った。それも薄皮付きのものだ。歩きながら手でつまんでこするようにして薄皮をむく。それを口にポイッと放りこむ。香ばしい匂いがする。

さすが全部は食べきれないので残りは家にもって帰るのだった。ポケットから落花生の入った茶色の袋を「ほい」と言って子供たちに渡してくれる。

薄皮が時々ついて畳に落ちる。おやじの真似して食べるとぽくぽくして美味かった。

私が成人してからのこと。1軒しかないその店で買ってみた。店のおばさんは袋に入った落花生に少しおまけをしてくれた。おやじと同じようにして歩きながら食べてみた。少し恥ずかしかったが何ともいえず良い気分だった。

今では、その店も閉鎖されて跡形もない。
たまにその通りを歩くとおやじのことが少し思い出される。

2006年6月 6日 (火)

「あんとくいん」

おやじの背中(1)

おやじは、昭和52年に66歳で亡くなった。

今のような高齢化社会になる前でもまだまだ若かった。性格はきわめて温厚で、少しおちょこでめったに怒ることはなかった。照れくさそうな笑顔が印象的だった。

こんな話を叔母から聞いたことがある。

おやじは甘いものが小さい頃から大好きだった。おやじがまだ子供のころ家で法事があった。当時は野菜を型どった饅頭が引き出物だった。

それが足りなくなっていた。どうしたのか問われても知らぬ存ぜぬを決め込んでいたが、突然ゲロを吐いてばれてしまった。

いつの間にかおやじはもうひとつの法名「あんとくいん」がついた。
そして親しみをこめてこの名が今でも呼ばれるようになった。

恥ずかしながら、少しおっちょこで愛すべきおやじ。
薄らいでいく記憶の中から、断片をたどりつつ
おやじのエピソードを順次紹介しよう。

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