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2012年12月 8日 (土)

名古屋市博物館「大須観音展」へ行く

久し振りに名古屋で出かけた
この頃、足が遠のいていた

大垣からJRに乗れば30分で行けるのに
どうもその気がおこらない

現役時代に比べると
やはり行動半径が狭まったのかな

でも今日は特別な気分
「行くぞ!」って出かけた

古事記誕生1300年、
大須観音が名古屋に移って400年を
記念して開催された
「大須観音展」だ

Img_2286
会場は桜山にある名古屋市博物館

今日は特に風が冷たい

Img_2285
平日で人は少ない
当日券1000円で入場

名古屋の大須観音として有名だが
寺名は「真福寺」

もともと真福寺は
尾張国中島郡大須にあったもの

木曽川と長良川の中州で
現在の岐阜県羽島市大須だ

慶長17年、徳川家康の命で
名古屋に引っ越しさせた

その真福寺に伝わる多くの古文書が
「大須文庫」として有名だ

所蔵品の中に
国宝4件
重要文化財37件
総数1万点を越えるという

特に国宝「古事記(写本)」は超有名

これが見たいがために
来たようなもんだ

古事記の原本は今はもう残っていない
だから写本でも国宝になるのだ

この真福寺本と呼ばれる写本は
古事記の写本の中でも最も古い

応安4~5年((1371~1372)
南北朝時代に書き写されたもの

さすがに今回一番の見もので
ガラスケースに厳重に納まっており
大勢の人だかり…

ではなく、誰もいなかった

拍子抜け

しかも、お世辞にも達筆とはいえぬ
そこらに置いてあっても国宝とは
誰も気がつかんだろう

そんな状態だったので
もう、ゆっくり充分に堪能した

飽きるまで見ておりました

絵画や仏像と違い
古文書自体それほど
ピカピカしたものでもないから

ワッと人が押し寄せるって
こともないのだろうけどね

それにしても驚きである
650年も昔に書かれた本が残っている

和紙と墨の力である

それに多くの戦火や災害の歴史をくぐりぬけて
生き残った史料である

真福寺には
なぜこれほどの貴重な超1級史料があるのか

真福寺を開山した能信上人は
真言宗を学ぶ学僧のための学問所として
多くの書物を書き写した

二代目の信瑜(しんゆ)は東大寺東南院に
入りそこで多くの書物を書き写したり
手に入れたりした結果日本でも有数の
文庫になった

3代目任瑜(にんゆ)は皇族出身であったので
さらに真福寺の格式が飛躍的に高まった

そういうこともあって各時代の武将たちも
保護したのだろう

例えば、守護・土岐頼遠も真福寺周辺での
乱暴狼藉はしないようお触れを出している

家康も河川の氾濫を心配したのか
名古屋への移転を命令した

その後、明治の火災、昭和の空襲にも
焼け残った

そして1万点の史料は今でも
未整理なものも数多くある

本居宣長もここを訪れ「古事記伝」を書く
基をつくった

江戸の文献学者、塙 保己一も来たし

尾張藩も藩士に調査させた
明治から昭和にも調査して目録を作製

現在も名大の研究者らの調査研究が続いている

思いがけない発見が出て
世間を驚かせることもある

国宝「漢書食貨志」も「阿弥陀経」の本の裏
から見つかった

書き写された紙の裏から
栄西の自筆書状が発見された

ひょっとして
日本の歴史を変えるかもしれない発見が
また出るかもしれんぞ

そういう意味で大須観音は、
名古屋の誇りであり
日本の宝でもある

2時間以上も立ち続けて見ていたので
ちょっと疲れてしまったが
楽しい時間だった

展示は1月14日までやっている

古文書ばかりのオンパレードで
ちょっと地味な印象だけど

歴史に関心のある人は一度
のぞいてみると良いかもね




 

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