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2012年2月17日 (金)

田んぼから古木発掘された?

大垣市の北部にある神戸町あたりでは
田んぼを掘り起こして砂利採取する風景がよく見られる
Img_15321
田の泥土を2~3メートルくらい掘ると
下から良質の砂利層が出てくる

Img_15311
それを重機ですくい取り
ダンプカーに積み込む

この砂利は良質な建設資材になる

こうした池のような砂利採掘現場が
あちこちに見られる
Img_1524
先日ここの採掘現場から
でかい古木が出てきた
(神戸町の安次地区の北あたり)

長さがおよそ10メートル、
直径が70~80センチくらいはあるだろう
と思われる

Img_1526

なぜ、こんなものが地中深く埋まっていたのか?

お宝じゃあるまいし
わざわざ埋めることもないだろう

だから、ちょっとした謎?

で、私なりに推理と言うか、
推定しますと
揖斐川の流路の歴史と深い関係が
あるのではないか、と思います

今は頑丈かつ大きな堤防によって
河川が守られ
めったに氾濫しません

木曽三川の集まる河口部都は違い
河口から50キロもの上流部なので
水量も安定しています

しかし、
昔は違いました

大洪水が何度も発生して
堤防が決壊して
濁流が流れ込み大きな被害が出ました

流れもその都度変わり安定しませんでした

いつの時代かは不明ですが、
上流から土砂と一緒に
流木が流れてきて
その後砂利や土砂が埋まり
そのまま
地中に残されてしまったのではないか?
Img_1527

揖斐川の場合、
冠山の源流から始まり
徳山や坂内の谷から水を集め
山間地から北方付近で濃尾平野に入る

すぐに西側(旧春日村)から流れ込む粕川
との合流点が揖斐川町脛永(はぎなが)付近だ

そこから池田町杉野、白鳥
さらに神戸町横井の東を通って
南東に流れて大垣市の東側を通る

これが現在の揖斐川のルートだ

しかし、過去に何度も大洪水に見舞われているが
特に1500年代の大洪水は
大きく流れを変えたといわれている

これまでは
池田町杉野付近から池田山の東に沿うようにして
真っ直ぐ南に流れていたようだ


Img_2892
(杭瀬川)

現在、池田町を流れる中川、東川辺りを通り
杭瀬川へというのが昔の流路と云われる

河川の氾濫により池田町から神戸町、
大垣市北部は地層に砂利層があり、
そのために自噴水と呼ばれる豊富な地下水が湧き
水都・大垣市ができあがっているのだ

発見された古木は500年前のものだろうか?
興味深いものがある

それにしても砂利をどんどん掘削しても
大丈夫だろうか

豊富な地下水を育んできた自然の地下の川が
破壊されてしまわないのだろうか

少々心配になる

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