田んぼから古木発掘された?
大垣市の北部にある神戸町あたりでは
田んぼを掘り起こして砂利採取する風景がよく見られる
田の泥土を2~3メートルくらい掘ると
下から良質の砂利層が出てくる
それを重機ですくい取り
ダンプカーに積み込む
この砂利は良質な建設資材になる
こうした池のような砂利採掘現場が
あちこちに見られる
先日ここの採掘現場から
でかい古木が出てきた
(神戸町の安次地区の北あたり)
長さがおよそ10メートル、
直径が70~80センチくらいはあるだろう
と思われる
なぜ、こんなものが地中深く埋まっていたのか?
お宝じゃあるまいし
わざわざ埋めることもないだろう
だから、ちょっとした謎?
で、私なりに推理と言うか、
推定しますと
揖斐川の流路の歴史と深い関係が
あるのではないか、と思います
今は頑丈かつ大きな堤防によって
河川が守られ
めったに氾濫しません
木曽三川の集まる河口部都は違い
河口から50キロもの上流部なので
水量も安定しています
しかし、
昔は違いました
大洪水が何度も発生して
堤防が決壊して
濁流が流れ込み大きな被害が出ました
流れもその都度変わり安定しませんでした
いつの時代かは不明ですが、
上流から土砂と一緒に
流木が流れてきて
その後砂利や土砂が埋まり
そのまま
地中に残されてしまったのではないか?
揖斐川の場合、
冠山の源流から始まり
徳山や坂内の谷から水を集め
山間地から北方付近で濃尾平野に入る
すぐに西側(旧春日村)から流れ込む粕川
との合流点が揖斐川町脛永(はぎなが)付近だ
そこから池田町杉野、白鳥
さらに神戸町横井の東を通って
南東に流れて大垣市の東側を通る
これが現在の揖斐川のルートだ
しかし、過去に何度も大洪水に見舞われているが
特に1500年代の大洪水は
大きく流れを変えたといわれている
これまでは
池田町杉野付近から池田山の東に沿うようにして
真っ直ぐ南に流れていたようだ
(杭瀬川)
現在、池田町を流れる中川、東川辺りを通り
杭瀬川へというのが昔の流路と云われる
河川の氾濫により池田町から神戸町、
大垣市北部は地層に砂利層があり、
そのために自噴水と呼ばれる豊富な地下水が湧き
水都・大垣市ができあがっているのだ
発見された古木は500年前のものだろうか?
興味深いものがある
それにしても砂利をどんどん掘削しても
大丈夫だろうか
豊富な地下水を育んできた自然の地下の川が
破壊されてしまわないのだろうか
少々心配になる
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