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2011年4月30日 (土)

松山・道後のんびり旅(4)

  道後温泉だ!
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ここがご存じ道後温泉駅です

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路面電車(伊予鉄道)が頻繁に出たり入ったりする

JR松山駅、伊予鉄道・松山市駅、繁華街の大街道へ
何本も出ているから、時刻表はいらないね

電車も懐かしい木製から最新式まである
いろいろ乗ってみるのも楽しい
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坊っちゃん列車がいました

ずっとここにいるんじゃなくて、これが街を走るんです
記念写真の定番です

商店街を歩くこと5分かな?

ここが道後温泉のメインスポットです


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道後温泉本館前はいつも観光客がゾロゾロ

たいていの人は、記念写真を撮るね

そしておなじみの風景になった人力車だ

今じゃ、京都でも飛騨高山でも奈良でもいるんだ
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でも余り乗りませんね

たいてい二人だから恋人、夫婦、友達かな?
男二人はまずいないね(笑)

私もツレアイと乗ったことはない
ちょっと恥ずかしい、気がするな

商店街は「道後ハイカラ通り」と呼ばれている
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土産物屋と飲食店が並ぶ

玉泉堂本舗というせんべい屋さん
ムチャ地味な店構えでちょっと入りにくい

戸が閉まっているんだ
でも入ってみよう

にこやかに奥様?が応対してくださる

あとで食べてみたんだが
潮煎餅はちょっと塩味が効いていてうまい
炭酸煎餅のような軽くてサクサクだ

あの正岡子規も食べた

絶対あとを引くので食べ過ぎに要注意
この煎餅ここでしか買えないようだ

今治タオルのお店や
湯籠という竹製品を扱う竹屋
坊っちゃん団子のつぼや、
その他いろいろある

ブラブラ歩きは楽しい

   1番乗りで朝湯だ!

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夜は宿のお風呂(もちろん温泉だが水が加わり循環式)で我慢しておこう

翌朝、午前5時30分起床する

浴衣に羽織を着て
フロントで借りた湯かごにタオルを入れて
宿からちょっと寒い温泉商店街を歩く

道後温泉本館前には既に5,6人がいる
観光客もいるし地元の常連らしい連中もいる

だんだん人が増えてきた
タクシーで乗り付けた老夫婦もいた

午前6時になった

「ドン、ドン、ドン…」と太鼓の音が響く
日本の音風景100選に選ばれた音だ

想像していたよりは小さな音だった
1日3回この太鼓で時を告げると言う

玄関の扉が開かれ「いらっしゃいませ」の声

お客がいっせいに入っていく
私たちも入る

下足箱に下駄を入れて木造の建屋の廊下を歩く

400円の入浴券は宿で既に買った
入浴コースが4つある

1500円だと個室の休憩室、お茶、お菓子つきだ
浴室も霊の湯となる

前回は神の湯2階席だったが、
今日は神の湯階下コースだ

つまり常連客が利用する銭湯並みの入り方だ

1階の脱衣場で裸になり湯船に入る
常連客はさすが動きが早い

世間話をしながら気持ちよさそうにしている

少し熱めだがなぜかあたりが心地よい
朝1番の鈍った体にじわじわ効いてくるようだ

常連客は頭や顔、体を洗っているが
せっかくの源泉かけ流しの湯だ

洗い流してしまうのはもったいない
体に吸収させよう、と思い
洗わなかった

「坊っちゃん、泳ぐべからず」というようなことが
壁に書いてあった

夏目漱石の小説「坊っちゃん」に出てくる話だ

ともかく最高のお湯だね

なにせ古事記にも出ているし、
天皇もたびたびこの湯を利用したという
歴史ある温泉だ

今日まで豊富なお湯が湧き出ているのだ

風呂上りに昔懐かしいフルーツ牛乳を飲んだ

いやいや、なかなか結構な朝湯体験でした

                     つづく



2011年4月28日 (木)

松山・道後のんびり旅(3)

道後の街

松山空港から松山駅前まではリムジンバスで約15分
さらに道後温泉へ15分と便利だ

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春や昔 15万石の城下哉(子規)

駅前広場にある石碑だ
松山といえば「子規」だ、というくらい有名だ

それにしても松山の街は懐かしい
4年ぶりの再訪だ

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街が何となく賑やかなので
前回と同様に今回も街歩きが楽しみだ

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名物「坊っちゃん列車」が通り抜けて行く

道後温泉の宿に荷物を預けて今日はどこへ行こうか!

まずは「坂の上の雲ミュージアム」だな
4年前はちょうど建設中だったと思う

市内電車「大街道」駅下車する

通りから少し入り込んでいるので見つけにくい
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ガラス張りでコンクリート打ちっぱなしの三角形の建物だ

有名な建築家・安藤忠雄氏の作品だ

スロープ状に上がっていきながら展示をみていく仕組みだ
まるで小説「坂の上の雲」状態?

NHKが3年間にわたって放送する年末の大型ドラマ
今年が最終年であるし、司馬遼ファンも多いから
賑わうだろう

まだGWの前、しかも大震災後とあって日本全体が自粛ムード
おまけに寒い日で時折小雨も降るという、不安定な天気だったせいか
入場者はホントに少なかった

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唯一の団体客も集合時間になればドヤドヤと退散
あとは閑散とした館内であった
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圧巻は産経新聞に連載されたときの新聞小説のコピー
1968年から4年間1296回分がずらり

もちろん上の方は読めない
私も随分前に「坂の上の雲」を読んだ

秋山好古、真之兄弟、正岡子規という人物や
明治という時代がどんな時代だったのか
大変興味を持って読んだ

このミュージアムは特別な貴重品があるわけではない

時代やそこに生きた人々を
歴史や時代の背景やらその空気を感じ取り
同時代を体験して私たちの今にどう結び付けていくか

だから、小説を読んでいない人には分りにくいかもね

ちょっと疲れたら、外に目を移そう
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萬翠荘が見える
旧松山藩主の子孫久松伯爵の別邸だ

緑の中に浮かぶ姿がちょっとロマンティックだ

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ところで、この原付のナンバー、アレレ?

形が何か違う、まるで雲のようだ

実は。このナンバープレートは平成19年に全国初に
オリジナルデザインされたものだそうですね

「坂の上の雲」の町のイメージアップ、でしょうか

松山市は、
坊っちゃんから散々けなされたってわけではないでしょうけど
坂の上の雲へシフトしはじめてるんでしょうか

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マンホール蓋は市の花「ヤブツバキ」?でちょっと地味

でも、松山の街は何か楽しいよね


天下の道後温泉があり、美しい松山城、子規や漱石
文化の香りもするし、繁華街・大街道もある

三越、高島屋などのデパートもある

路面電車も街に彩りを添え賑わいを創り出している
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温暖な気候で、瀬戸内海の鯛など魚がうまい

伊予柑、清見タンゴールなどかんきつ類も美味しい

ふらっ、訪れて自分の足で見て回れるくらいの
大きさがちょうどいい

心地良いんだ

そう言う点で岐阜もいい街なんだけど、
路面電車をめくってしまったのがホントに残念だよ

岐阜の街の寂れようは如何ともしがたい

「岐阜は名古屋の植民地だ」って誰かが言ってたけど
松山は四国では中心都市で求心力もある

今夜の道後温泉の湯が楽しみだな

                          つづく

2011年4月25日 (月)

松山・道後のんびり旅(2)

中部国際空港(セントレア)は
初めての私にとっては戸惑いの連続だった

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予約をネットでしているので
自動チェックイン機を探す

そこで「チケット」に引き換える

手荷物を預ける

保安検査場で機内持ち込み検査
およびボディチェックを受ける

難しい手続きじゃないけどね
勝手が解らないから不安だよ

空港内の配置や手続きの流れが
分らず疲れるんだ

以前なら、こんなこと何でもないことだったのに
なぜか、こういう細かいことが面倒というか
覚えるのが鬱陶しいっていうか

やっぱ、年とったんでしょうかね
すぐ忘れるし、全く!

1時間以上前に空港に到着していたから
余裕はあったけど、
電車が遅れたりするとあわてるよなあ

それにしても「2次元バーコード」は便利だね
その部分をかざすだけで瞬時に読み取ってしまうんだからね

ホント、何でも経験してみないと
わからんもんだ

聞くとやるのと大違いだよ

でも、便利になればなるほど基本的なことが
ブラックボックス化してしまうから
システムが壊れたら大いに困ると思うな

そう簡単に人の手に戻せないからね


プロペラ機だった!

スタバで簡単に軽食を取ってから
早めに搭乗待合室に入る

搭乗案内から
我々は「プロペラ機」に乗るらしいことがわかった

エ!
何と言うことだ!
聞いてないよオ~

飛行機までバスに乗って行くんだって!
なぜ?

20分前になるといよいよ搭乗ゲートへ

階段を降りるとバスが待機中

バスが一杯になると発車する

ジェット機の駐機場からどんどん離れて行くぞ!

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ゆっくり走るけど一体どこに行くのかな
かなり端っこに進んでいく

小さな機体が見えた
「ア、あれか!」

ジャンボジェットばかり見慣れているせいか
とてもかわいらしくてチョット頼りなさそうだ

後で調べて分ったことだが
このプロペラ機の機種は
「ボンバルディアDHC8-Q300」ということだ

カナダ製?

あのYS-11の後継機種として
ANAなどが地方路線に投入し活躍しているとか

定員は56席でオーディオやビデオ設備はない

並びは両側2名ずつで14列か
通路も狭いし、座席も窮屈だ

しかし、飛行時間は1時間と少しだから我慢するしかないね

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座席はほぼ満席、大半がビジネス客だ

東日本大震災の影響も大きいのだろう
団体観光客がほとんど見かけない

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ドアが閉まり機体が動き出す
私らの座席はまん中より少し後ろで主翼下あたりだ

滑走路に出るとエンジンが最大限に唸る
ごうごうと騒音がひどい

やがて機体が地上から離れ上昇していく
ジェット機と違いヨイショ、ヨイショって感じだな

チョット人間的

窓をのぞくと
車輪が真横に見え
折れて格納されていく

こんなのはプロペラ機でしか見られないぞ

グングン上昇していく
もう真下は海(伊勢湾)が広がっている

ときどきフワッ、となったりする

嫌だなあ、少しドキッとしたり。

やがて水平に安定した形になる

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ジェット機と違い、プロペラの羽根が回転していることで
無事飛んでいるのが実感できる

しかし、怖い

もともと私は飛行機が苦手
特にジェット機の離陸時や着陸時など
体が緊張で強張ってしまい
手を思わず握りしめている

「頼むぞ!」心の中で祈る心境だ
以前、海外旅行や北海道旅行でも
ほんとに緊張した

その時と変わっていない

飛行機の事故は少ないから
本当は安全な乗り物なんだろう

でも、墜落事故の報道のことばかり記憶にあるから
運悪く私の乗った飛行機がひょっとして「アタリ!」かもしれないぞ

変なことを考えてしまう

後でわかったことだが、
このボンバルディア機も2007年に高知空港に着陸するとき
前輪が降りないトラブルが発生した

結局、後輪だけで半分胴体着陸状態だったが
幸いにも大きな惨事にならず無事着陸できた

そんな話を聞くと「オイオイ、ホントに大丈夫か!」と
ますます心配になる

まるで福島原発と同じで
安全神話なんてウソだと
疑いたくなる

でも、便利には違いないから
搭乗するときは「神頼み」するしかない?

ともかくも、こうして不安ながらも
無事、松山空港に到着したのでした

                   ー つづく ー








2011年4月23日 (土)

松山・道後のんびり旅(1)

道後温泉に出かけました

今回で2回目、
07年に行ったから4年ぶりです

連れ合いの還暦祝い(?)が目的なんですけど

何も別の土地でもよかったのですが、
どういうわけか道後温泉に決めたのです
しかも連泊です

いろんなところを巡る旅もありますが、
連泊する良さは、
その土地にゆっくりと滞在しておられるから
落ち着くということですね

それに、たとえ1日であっても
その土地の住民感覚で行動できます
それが実に魅力的です

4年前は内子や大洲にまで足を伸ばしましたが
体力的に衰えもあって
決定的に行くべき観光地は決めず
なりゆき任せ、
その時の気分、体調しだい、という
やんわりしたスケジュールで出かけました

前回は新幹線と予讃線のJR旅でしたが
今回は中部国際空港からの空路にしてみました

そこで
この旅について数回に渡り
書いていきますが

例によって
理路整然でなく
モグラの頭出しのように
思いつくままに

ダラダラ行きますので
悪しからず

中部国際空港(いわゆるセントレア)は
私にとっては今回が初めてです

セントレア空港は05年の2月にオープンして
もう6年目だが
当初のような期待がもはや崩れ
JAL始め定期路線の撤退が続出し
行け行けどんどんから
かなりトーンダウンしている

何とも先が見えない不安がある

これもローカル空港すべてがそうであるから
羽田・成田のみ栄えるという東京中心主義で

地方切り捨て施策という
悪しき政治の結果じゃないのか

大垣駅からJR東海道線で金山駅へ行く

名鉄電車に乗り換え
空港行き特急「ミュースカイ」に乗る
神宮前からノンストップで28分で到着
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初めて足を踏み入れたセントレアは、確かに広い

でも平日とあって人は少ない
開業当時の空港にある銭湯や
海鮮料理などグルメ目当ての見学客などの賑わいは
もちろん今は無し

おまけに東日本大震災、原発事故の影響で
外国からの観光客が激減して
予想以上に元気がない

謎の旅人「フー」も心なしか
微笑の中にも、ため息がもれる「ふー」
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                               続く

2011年4月16日 (土)

「東京物語」を観た

BSプレミアムで映画「東京物語」を観た

山田洋次監督が選んだ映画100本のうち
今年は「家族編」ということで50本を放映されるようだ

「東京物語」は小津安二郎の代表作として有名だ
しかし1953年(昭和28年)に製作されもはや58年経過している

今回はそれを修復したデジタルリマスター版である

映像も音声もとてもきれいになって見やすかった

物語はよくご存じだと思いますが、尾道に住む老夫婦(笠 智衆、東山千栄子)
が最後となるであろう東京にいる息子たちに会うため旅に出る

しかし、医者や美容院で日常に追われてどことなく寂しい思いをするが、子供
とはそんなものだというあきらめのような思いを残しつつ田舎に戻る

今回、あらためて観てみると、今は失われてしまった風景や
生活様式がいろんな場面で出てくる

とりわけ印象に残ったのは、病気の母(東山千栄子)の最後を見取るシーンである
自宅で子供が集まり布団に横たわり臨終を迎えるのだ

今どきの病院のベットと違い、点滴も心電図も酸素呼吸器もない

家族に看取られて静かに息を引き取るのである

いつ頃からか、病院が死に場所になってしまったのだろう

もう一つ印象に残るのは、お隣さんへお酒を借りに行くシーンだ

東京へ出かけてきた老夫婦を戦死した二男の妻(原節子)が
歓迎するためにアパートの隣家にお酒の融通を頼むのだが
気安く「これだけしかないけど」と一升瓶を渡される

貧しかったこともあるけど、お互いさま精神で困った時はできるだけ
融通しあう、そんな美しい関係がまだあった

豊かになるにつれ、そういう関係もいつの間にかどんどん薄れ
誰とも競争心をあおり自分本位のさみしいものになってしまった

ただ3月11日の東日本大震災が発生した後だっただけに
この映画が今までとは少し違った視点から観ているような気がした

今まで当たり前に思っていたことが、無くしてみるとその大きさ
大切さをあらためて実感する。

そして、これまで際限のない自分の欲望を満たすため、
身の回りに対して忘れていた気づかい、やさしさを
あらためて
今取り戻すきっかけになるのではないか

そうはいっても
テレビ、新聞、などマスコミが
今ここぞとばかりに
寄付だ募金だ、
ボランティアへ、
支援だ支援を、
自粛自粛、と
まるでオウム返しのように
みんな金時飴になるのもどうなんかね?

もう少し先が見えてくると、
そういうきれい事だけでは済まないように
なってきたときにもう知りませんでは困るし…

さて、この映画はいろいろ懐かしい光景が出てくる

老夫婦が熱海の旅館へ泊った時のこと
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どこか会社の団体さんが来ていて宴会やら麻雀やらで大騒ぎ
深夜になっても寝付けない老夫婦

会社の慰安旅行が盛んだったのはやはり昭和の時代だろう
私の頃もまだまだこういう会社の慰安旅行は温泉だった

さすがに麻雀はだんだん少なくなり、カラオケが大ヒット

今では温泉旅行で宴会の余興をする会社もほとんど見られなくなった
平成に入ってから慰安旅行そのものも若い人が敬遠するという時代になった

人間関係を作るのがうっとおしいとか、個人趣向が強くなりすぎている

映画の舞台は、東京と尾道だ
尾道に住む老夫婦が都会に出た子供に会いに東京に出かけるのだが
なぜ、尾道なのかな?

そういえばこの3月までNHKの朝ドラ「てっぱん」も尾道だった

どうして尾道は映画の舞台になるのだろうか
昔の美しく、懐かしい日本のモデルみたいなものだろうか

確かに尾道は瀬戸内海のなかでとても風光明美な町だ

もう20年前にもなろうかあの見晴らしの良い町を訪れたが
こんなところに住んでみるのもいいなと思うほどだった

てっぱん家族のようなおせっかいすぎるほどの人情味が
未だ残ってるのだろうか

そういう関係は大嫌いだ、と言いながら孤独になり過ぎた
現代の家族が心の奥底で求めているものかもしれない

「オノミチ」は故郷の代名詞なんだろうか

小津安二郎監督は、
日本における家族を淡々と描いている
戦後の経済復興をしていく日本における庶民の日常をごく
普通に自然に描いている
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でも、今この映画を観るとそういう当たり前の日常がすごく
懐かしくてしかたない

裸電球、団扇、蚊取り線香、浴衣、物干し、SL、など
現代は、家も間取りも食べものも洋風化しすぎてしまい

本当に美味いもの、大切なもの、が見失われたようだ

「東京物語」はそういうことをも想わせる映画であった

2011年4月13日 (水)

「二十四の瞳」を観た!

映画「二十四の瞳」を観た

NHK・BSプレミアムで放映されていた

1954年製作だから57年も前だが
デジタルリマスター版で
絵も音もキレイに修復されている

もちろんモノクロ映画である
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とにかくすべての意味で懐かしいのひとことに尽きる

それに12人の子役たちのなんと愛おしいことか

この映画の封切は昭和29年だという

まだ子供の頃だったから観たとしても覚えていないだろうな

それともテレビで再放映を観たのかな

風景がとにかく懐かしい

昭和の初めとはどういう情景だったのか

着物姿の子供たち
砂ぼこりの舞う道
ボンネットバスが走る
木造の校舎
藁ぶきの民家
自転車がめずらしい

モノクロ映画にはどこか時代の貧しさがにじむ

私自身のアルバムでも子供の頃は白黒写真ばかりだった
誰でも素朴な表情で微笑んでいた

ちょっと眩しいようなはにかんだ顔だったな

「宮本常一が撮った昭和の情景」という写真集がある
全国各地を歩いて写した写真と記録分がまとめられたものだ

民俗学者・宮本常一が歩き回って撮った写真が
10万枚ともいわれている

宮本の生家は瀬戸内海の周防大島にある
二十四の瞳の舞台は同じ瀬戸内海の小豆島

どことなく似通った風景がイメージ的に重なるところがある

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この映画にもうひとつ懐かしくさせるのは
挿入歌のほとんどが童謡であることだ

ちょっと並べても

荒城の月、  埴生の宿、  ふるさと、
浜辺の歌、  星の界、     港、
七つの子、  朧月夜、    村の鍛冶屋、

などなど

それにテーマ的な部分には「アニーローリー」が歌われている

昔を思い出す感動のシーンでは「仰げば尊し」が出てくる
何とももの悲しいコーラスが響き渡る

戦死した教え子の無邪気な子供の頃が思い出され涙する
これまでの人生は何だったのか

高峰秀子が演じる大石先生の哀しみは戦後10年近くたって
落ち着き始めた日本人に共通したものだったのだろう

なんか東北大震災に遭遇した
今の我々にとってため息が出るほど
こころに胸打つものがある

穏やかな瀬戸内海の海にも
哀しみの風が吹いてくるようだ

家族というのは何か、
生きることの深い感動を与える映画である






2011年4月11日 (月)

2年目の春がきた!

2年目の春が来た

退職して今年で2年目なんです

何でも始めては新鮮で少々不安でもあったりします
そして再び春がきました

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大垣の水門川にも桜が咲いて大勢の花見客が来て
賑わっています

この1年いろいろな出来事があった
自分自身の健康不安が絶えずあり

かと言って特別に何かやるということもせず
それでも何とか1年過ぎた

家庭菜園で野菜づくりをしたり
歴史講座に参加したり
他にもいろいろ手を出したり

まあ。そういう意味では
何でもやる気の1年だったわけです

さて2年目はどうしようか

季節がサイクル的に回転していると
人生までが同じことを繰り返しているような
錯覚を覚える

人生はあくまで一直線であるはずなのに
クルクル回っているだけのハツカネズミ的日常に

騙されてしまいやすい

やりたいことは一杯ある
やらなければならんことも一杯ある

でもなかなかできんのだ

一日があっという間に過ぎて行く

今日は枯れた垣根の木を切った
畑に使う杭をのこぎりとなたで作った

草取りをちょこっとした

小屋に奥や天井裏に今は不用のガラクタが
山ほどあるがこいつを処分する仕事もある

お宝なんてものは一切ございませんので
楽しみもありません

昔と違って今は処分にお金がかかる時代だ
何でも取っておくというのが昔の人にコンセプト

モノがなかった時代だったからな

今はモノ持ちが却って苦労する
何もないほうがいいのかもしれない

シンプル イズ ベスト だな

それにしても、東日本大震災はショックだ

震災にあった人は無論だが、日本人全体が
未だに立ちあがれない

歌舞音曲は自粛ムードでますます沈み込みがちだ
私もここんとこ、なんか気が重い

テレビ前でホントよく泣いたよ
どうも涙もろくなってしまったんだな

4月に入って桜が一斉に咲いてきたが
満開の桜を心から楽しめない

これってなんかビョーキだろうかな

ブログも湿りがちだし
好きなトマソン探しも中断してるし…

とにかく2年目のこれからを元気でいかなくちゃね

よし! またやるか! 

いろいろとやりたいこともやりたくないことも!

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