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2011年1月31日 (月)

なりゆきを生きるか(2)

今朝も雪だ
これだけの雪でもゆううつになるというのに


北陸地方など2メートルも積もるんだから
ほんと悲鳴をあげたくもなるでしょうね

それでもそこで生まれ生活している人は
我慢して離れられない事情がある。

故郷というものは離れがたいのだ

東京、大阪などの都会に出てみても、
それ以上の何かがあるのか

住めば都、なんていうことばもある

時には住んでて良かったと思うこともある

山深い奥山や離島でも同じ悩みを抱える

限界集落が消えほろんでいく。

いつの時代も地方は置き捨てにされる。

さてさて、昨日の話(1)の続きである

Img_0683
私は子供のころから病があったから
死は、他の子たちより身近にあり
子供ごころにいろいろ考えていた

死んだらどうなる?

死ぬ時、苦しいのか?

極楽やら地獄はホントにあるのか?

死んだら魂は残るのか?

死んだらどこに行くのか?

こういう素朴な疑問がよく出た

しかし、まともな答えは返ってこない

宗教者や哲学者や医者など本を読んでも
いろいろ説は出すが

どれもがすんなりと納得するものはない

あいまいである

それは誰もが死んだ経験がないからだ

しかし、死んだ人が、何かを語ってはくれない

玄侑宗久の小説「中陰の花」の中では

「極楽はあるの?」
「知らん」

「聞かれたらどう答えてるの?」
「相手しだいや。信じればあるんや。信じられなければ、ない」

禅宗の僧侶はこうも言う

「仏教では、基本的には質量不滅の法則で考えているんだ」

「たとえば、コップの水が蒸発する。そうすると水蒸気はしばらく
この辺にある。これを中陰と呼ばれる状態、
この世とあの世の中間ということだ」

「そこから水蒸気はどんどん広がる。窓から出て行って空
いっぱいに広がっていく。それがあまねくゆきわたる。」

「それが仏教でいう物質の最小単位、まあ素粒子とほぼ同じ
大きさらしい。
さらにそれ以上細かくなるともはや物質というより
エネルギーにまで戻ってしまう。そのことが成仏したことになる

小説の中はざっと以上のような話である

こうした話は極楽浄土の話と違って論理的で分りやすいが
ちょっと寂しいというか…

ただし、それで納得できるかは別であるが…

だからこそ具体化して阿弥陀さまとか観音さま、極楽なんて世界を
創り出したのだろう

問題はそれぞれの魂はどうなるのか

霊魂は不滅なのか、それとも眠った時のような状態で
意識は一切無くなってしまうのだろうか

事故で即死してしまった人と
家族に見守られながらゆっくりと臨終を迎えて人とは
死後どう違うのか。同じなのか。

死についていつもこちら側からしか語られない

本人にとって、よい人生だったか、よい死だったかは
永遠にわからない

生きている側が勝手に推測して
「いい人生だったね」とか
「まだ早かったよ、さぞ残念だろうな」などとウワサする

これはいつの時代でもそうだった

そう考えが時代とともに進んでいるとは思われない

わが家は浄土真宗であるから「ナマンダブ」と唱えれば
アミダさまやら観音サマがお迎えに来てくれて
誰もが極楽浄土に行くことができる、

という教えだから
手を合わせて「ナマンダブ」と唱えている

だが、正直なところで、もう一人の自分が少しばかり
疑念というか信じきれていないでいる

信じろ!といわれても徹しきれない何かがある

これは自分側に問題があるのか、坊さん側にあるのか

難しい

この玄侑宗久さんでも義母の今際のトキ
「そろそろお迎えが来るやろか?」の問いに

「そんな弱気にならないで!」とごく普通に
そう言ってしまったそうだ

本来、坊主なら「そろそろかもしれませんね」と応えるべき
だったと。

そこからいろんな質問があったかもしれないですから。

でもね、そういう風に答えられる坊さんなんか多分いないよ

わらわれ凡人の問いにキチンと答えてくれる坊さんは
ほとんどいない。

また、玄侑宗久さんがいうように

「今から心配してもしょうがないじゃないの。
死んでみればわかることだから。

人生も今まで分らないままに生きてきたんだから
ここでわかる必要はないでしょう

坊さんに対してはそう答えてもいいが、

やはり阿弥陀さまの元に行くというのは
光との出会いであり、無量の光に包まれた世界へ行く

そういうことですから、そういう本来のイメージに返して
味わうことが必要ですね」

確かにそうかもしれん

どちらの考えでも、要は生きている自分の心が
落ち着けるかどうかだろうな

それを受け入れること

あるがままに生きることが大切かもしれない

それにしても
雪の風は
とてつもなくべったりとした重い奇妙な問題を運んでくる

マイッタ、マイッタ。

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