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2010年11月30日 (火)

秋の城台山公園と揖斐川の街並みウォーキング

久々に歩いた

揖斐川町が主催の
「秋の城台山公園と揖斐川の街並みウォーキング」
に参加した

11月27日(土)は、まあまあの天気である

揖斐川町役場に行くと、
家族連れ、
オバサングループ
おっさんグループ
もちろんお一人サマもいる

最近のウォーキングは
健康志向やら、歴史好きやら、
ダべリング族やらで占められる

皆さん歩き慣れしているのだ

したがって、服装を含め装備は完璧で
サア、歩くぞ!、という元気派がほとんどだ

しかし、中には我々のように
久々に歩く人もチラホラ見かける

ちょっと自信なさそうだ

テントが張られた参加受付で
コース地図、揖斐川観光地図や
参加賞の「ペットボトルケース」をもらって
いざ、出発!

約7キロのコースで距離的には短いが
山道もあるから、どうかな?

Img_0929

最初しばらくはゾロゾロと集団になって進む

つい2週間前の11月14日、
揖斐川マラソンのスタート地点となった
中央公民館辺りを歩く

揖斐川マラソンはもはや全国からエントリーされる
超有名なイベントに育ち
当日はどこも満員になるから
近寄りがたい

特にボランティアの温かいもてなしが素晴らしいと
いわれ、町民あげて応援している

一万人がスタートした中央公民館は
人の熱気で凄かったんだろうな

今日は特別ひっそりしてます

歩き始めは、
どのグループもワイワイ会話が聞こえてくる

私のツレアイは
日頃の運動不足のせいもあって
足取りがもはや重そうだ

大丈夫か!

20分もするとだんだん集団がばらけてくる

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最初のポイント、揖斐川町歴史民俗資料館に着く
参加者は、本日無料の特典があるけど
見ている余裕はない

この資料館は見応えがあります
特に揖斐川がかつて舟運で栄えた頃の歴史や
祭りや民俗を紹介しています

また、別の機会に紹介したいと思います

Img_0941

資料館の周辺はお茶畑が広がっている
いわゆる揖斐茶の産地である
緑が映える茶畑を通り、いよいよ山道に入る

揖斐川町の市街地の北にある城台山は
標高220メートルの小さなお山である

谷汲さん参詣の折りに走る県道の車窓から
いつも眺めているだけのごく普通の山だった

だが、今日始めて踏み入れるのだ

どんな山か興味シンシンだ

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いきなり、急坂が待っていた

枯れ葉が敷き詰めた道を、ヨイショ!と言いながら
登るんだが、なかなかきついヨ

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この山道は城台山公園の
「文学の里」「歴史の里」として
整備されている

Img_0965
 
この山道沿いには、こういう碑が20ほど設置されている
ただねえ、この句をゆっくり読んでいるゆとりがないんだな

ただ登るのに必死!
いや~、運動不足がこたえるぜ

元気なオバサン集団や、ファミリーが
スイスイと追い越して行く

「どうぞ、お先に~」

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せっかく整備されたこの階段
実に歩きにくい

歩幅と段差がちぐはぐだからダメなんだ

かえって疲れてしまう
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東屋があり、お茶を飲んだり、菓子食べたり
ちょっと小休止する

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紅葉は今が見ごろだ

こういう景色をみると疲れが少し吹っ飛ぶ

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有名観光地の洗練された紅葉とは違う
いわば自然の広葉樹の景色もいいもんだ

落ち葉がどっさり落ちていて
歩くとカサカサ音がする

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右へ左へ坂道を登る
想像していた以上にきついぞ!

それにしてもだいぶん、上ってきたようだ

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こんな案内板が出ていたので、
さらに登ってみると…

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頂上付近に揖斐城跡の碑が建つ
さみしい風景である
何もないし展望も効かない

一人ではちょっとここまでは来られないよね

熊さんがでるかもしれないし…

この城台山は
藤橋、徳山、坂内など揖斐の山間部への
ちょうど入り口にあたる位置にあり
かつては戦略上かなり重要だったのだろうな

Img_0976
さらにこんな碑が建っていた
あの槍ヶ岳を開いたことで知られる「播隆上人」は
この城台山一心寺の開祖である

もともとはこの付近に寺があったらしい
Img_0982
やがて下り坂になり、
ようやく展望が広がる場所があった

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路傍に、つわぶきの花が咲いていた

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やれやれ、やっとのことで山から降りてきたぞ

随分、里というか、下に降りてきました
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現在はここに一心寺があります



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ここの紅葉もきれいでした

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城台山を降りたところが、三輪神社です

奈良県にある大神神社からの分霊といわれる

それも続日本紀に「大野郡大神郷」の地名が
記述されているとのことだから相当古い

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神社前には揖斐川町の街並みが続いている

古い造りの建物が混在している狭い通りだ

車がスピードを上げて通り過ぎていくから

歩くのはちょっと危ない

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今回のウォークでは
いろいろ特典やらサービスがあった

資料館の入館無料
三輪神社の絵馬願掛け
豚汁、甘酒の無料サービス
染物体験
揖斐茶サービス

など

揖斐川マラソンの心がここにもあった

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さらに揖斐祭りの神輿やヤマ倉が特別に開かれて
展示されていました

揖斐祭りは、毎年5月にあります
この上で子供歌舞伎が演じられるんです

練習が大変そうですが、伝統を維持していくのは
ほんとに難しいことです

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やっとのことで、ゴールできた

ツレアイさんは、もうほとんどぶっ倒れ状態だった

やっぱり運動不足と山があったのでよけいに
足腰にきたんでしょうね

もう2度と行かん!と
申しておりますが

日頃からなるべく鍛えないとダメですね

そういう私もひさびさの歩きで腰がちょっと(笑)

かつては30キロも40キロも歩いたのにネ

次は頑張るぞ!

2010年11月29日 (月)

ワッ、コンクリート食う怪獣だ!

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街を歩いていたら突然遭遇した
ナンダ、コレは?
ガラガラと音出して、鉄やらコンクリートを食っては
吐きだす怪獣

間近で見ていたら恐ろしかった

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コンクリートの建物を解体する現場には
必ずといってよいほど表れます

しかし、
ほんと形といい、
動きかた、表情なんか
怪獣以上に動物っぽいですよね

この器械制作者は、
怪獣研究者とか、
怪獣マニアじゃないか
と、私は思ってるんですけどね

2010年11月18日 (木)

[顔ハメ」ブームのきざし?

「顔ハメ」というのは、
観光地によくある記念撮影用に作成された
顔の部分がくりぬかれ、顔を入れ込む
おなじみのパネルのことである

「顔ハメ」なんて正式な名前がついているわけ
じゃないんだ

私自身もどう言えばいいのかわからず
「顔入れ記念写真版」とか
「顔出し写真パネル」とか
勝手に言っておったが

今日の中日新聞の文化欄「ぶんぶん人類学」に
記事が出ていた
タイトルもちょうど
『「顔ハメ」の写真収集』だった
Img_0876

そうか「顔ハメ」というものなのか!

鎌倉市に住む「いぢちひろゆき」という人が
このコレクターらしい

「全日本顔ハメ紀行」なんていう本も書いているとか

NHKの「熱中人」を見ていると、
わけのわからんほど多くの分野で
秘かに特定なものをテーマに走り続けている人が
びっくりするほどいる

B級グルメならぬB級趣味に情熱を傾けている
人がいるんです

この「顔ハメ」にまさに「ハマッた」いぢちさんは
もう15年も続けているらしい

「顔ハメ」と命名したのもこの人

私も今年になってから、
ちょっとしたキッカケで
この「顔ハメ」に興味を持ったのだ

Pict0038

これは、今年4月に
奈良県吉野の桜を見に行った時のことだ

後醍醐天皇陵の近くで見たんだけど
これはナニ?
かな、と思ったんだ

裏返しにされて
隠してある(つもり?)けど、
完全にお蔵入りでもなさそうだ

で、裏に回ってみたら
確か武士のような人が描かれてあったような
気がする
(表の写真まで撮らなかったのが残念!)

このとき、思ったんだ
昔は有名な観光地に必ずといっていいくらい
こんなパネルが一つ二つはあった

でも今どき、はやらないよな

みんな賢くなったというのか
馬鹿馬鹿しいからか
ハズいって云うか

そんなわけで多分
廃れてしまったモノのひとつだろう

でも何か オカシイ!

顔入れて写真撮ってる人がタマにいると
笑えるんだな

安っぽい、ていうのか
シロウトさがあって、地元の看板屋が
適当に描いたようないいかげんさが
逆に素朴でいい

ローカルの味が出てる
だからシブトク残っているんだ

そんなこともあって、旅先なんかで
気が付いたら撮ってみようと
思ったわけです

気がつかなかったようなものも
あるかもしれんぞ

好奇心が湧く!

そう意識してから最初に出会ったのが
この「顔ハメ写真」です

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いきなり一級品ですね
なかなか決まってるぞ!

これ島根県の元の出雲大社駅で
廃線後も駅舎は残っています

そして次にこれ

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境港市の「海とくらしの資料館」にあった
キタローの顔はなぜか入っている
サメに食われる子供の顔だけハメられる

次は境港市の「水木しげるロード」にあった

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おなじみのキャラだが、絵がずいぶんヘタクソだ!

ネズミ男なんか目の下に顔をハメることになる
さすが目玉親父は小さすぎるので顔ハメできない

まあ、観光客を楽しませようという熱意は
伝わってくるけどね(笑)

次は長野県松川町の温泉だ

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アハハ、ジジババの混浴だけど
ジジの手がイヤらしいな!

この顔ハメはちょっと気持ち悪いぞ

ここで記念写真撮ってもらっても
あとあと笑いモノになるだけだなぁ

と、いうことで
「顔ハメパネル」も
路上観察のひとつに加えて
これから西美濃地方中心に探してきます

2010年11月16日 (火)

白洲正子「神と仏、自然への祈り」展に行く

滋賀県立近代美術館で開催されている
白洲正子の「神と仏、自然への祈り」展に
行きました

生誕100年の特別展です

今年は生誕100年で13回忌にあたる

これを記念して白洲正子が感銘を受けた
仏神像などや旅で出会った文化財など
展示するというものです
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新名神「草津田上IC」下車して5分ほどで到着
滋賀県立近代美術館は、
外観は和風のゆったりした建築で
自然豊かな森の中にある

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裏にある日本庭園も紅葉が美しい
今日は特に冷え込んだので、
その分色彩が濃いように見える
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白洲正子の著作は「かくれ里」や「十一面観音巡礼」
「近江山河抄」など読んだ

日本人の心に宿る神仏習合したところもの、
いわゆる自然崇拝というものを解りやすく
話をする語り部のような人であった

白洲正子の紀行文を読んで近江の田舎を歩くのは
楽しいことだ

西美濃に住んでいると近江は庭続きのようなもので
ごく身近に感じられる

今回の特別展に行きたいと思ったキッカケは
神戸町の日吉神社にある「十一面観音坐像」を
じかに見たいという思いからである

9月29日の中日新聞岐阜県内版の記事によると
約30年ぶりに一般公開されるというのだ

ふだんは収蔵庫に仕舞われており、日吉神社の祭礼でも
公開されたことはない

私も一度も見ていない
国の重要文化財に指定された貴重な文化財であるが
誰も見られないようではね…

Img_0430
平日の朝というのに大勢の人が来ている
先週の10日にはや1万人に達したという

入口で音声ガイドを借りて入場する

展示は「自然信仰」「かみさま」「西国巡礼」
「近江山河抄」「かくれ里」「十一面観音巡礼」
「明恵」「道」「修験の行者たち」「古面」といった
テーマことに区分されている

なんといってもよくこれだけの神仏像が揃った
ものだと驚かされる

この特別展は白洲正子の孫にあたる白洲信哉氏
の並々ならぬ情熱があったようだ

日吉神社の観音像の場合も、
信哉氏自身の強い要請を受けて
氏子総代で話し合った結果
30年ぶりに一般公開になったものだというのだ

多分、他の神仏像も、いわゆるそれぞれ地域の
神社や寺で手を合わせていた大事な神さま
仏さまなんだろう、と思う

それが白洲正子によって
神仏像の持つ美しさ、深さ、価値が
掘り起こされて、また新たに甦ったのだ

だから「おらが村」の誇りなんだ

おそらく白洲正子を偲ぶ特別展だからこそ
貸し出されたものも多いだろう、と思われる
Img_0429

神仏像の前には白洲正子の随筆の一部が
あわせて展示され、わかりやすい

法隆寺、興福寺などの有名な仏像と違い
その神仏像のどこに面白さや美しさがあるのか
ちょっとシロウトにはわからない

この文章を読むながら鑑賞すると「ナルホド!」
と実感できる

サテサテ、
あの日吉神社の「十一面観音坐像」のことですが


オゥ、ありましたゾ!

ナント、小さな像だ
手の上に乗る位の大きさだ
約23センチというから、今回の観音像で最小だろうな

でもキリ!としたよいお顔です
右手はとれてしまっているし、木造で色も剥げ落ち
頭の十一面も素朴そのものです

白洲正子は随筆の中でこの観音様は
「ただすぐれているだけではなく、日本の美術品に特有な
うぶな味わいと、ほのぼのとした情感にあふれており、
観音様でありながら、仏教臭がまったくない。…」

「今まで見たどの仏像より日本的で、彫刻も、彩色も、
単純化されている。… … 頭上に十一面は頂いている
ものの、これはあきらかに神像である。そういって悪ければ、
日本の神に仏が合体した、その瞬間の姿をとらえたといえ
ようか」(十一面観音巡礼から)

十一面観音といっても二メートルもあるものから、ちっぽけな
日吉神社のものもあります

でもね、かわいらしくて何とも離れがたくて、
これが
「神に仏が合体した瞬間の姿か…」と
頭に焼き付けるように
観音様をマジマジ見続けていました

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なんだかんだで大変見応えにある特別展でした

この感動は、やっぱホンモノを自分の目で見ないとね!

そのほか、岐阜県関係では千光寺の円空仏が10体ありましたよ

紅葉見物を兼ねて秋の近江路に出かけてみるのもいいですよ!

21日(日)までやってます

2010年11月13日 (土)

黄砂に思う

朝から空が変だ
曇りのようだが
ときどき陽がさす
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ぼんやりした空に
ちょっと嫌気がさす

なんか今朝はオカシイ!

しばらくしてから
やっと気がついた

こりゃ、黄砂じゃないか!
そうか!
だからなのか
この不思議な空の状態

朝刊の記事と
私の見ている今の空と
どういうわけか
全く関連付けられなかった

このどんよりとした重い空気の層は
黄砂のせいだったんだ

中国内陸部の砂漠地帯から
砂が舞い上がり
偏西風に乗って日本にやってくる

通常は春に見られるのだが
11月の今は、珍しい

Img_0846
池田山もわずかに輪郭線が見える程度である

昼過ぎになってもいっこうに晴れてこない
なんかイラついてきた

こんな空を見上げて
ゴッホの絵のような空とか
かつての四日市公害の空とか
いろいろ思われるけど
私はお隣の国の一番偉い方が
横浜に来られたんで
一緒にお供したのかななんて
思ったりしてね(笑)

でも、遠い中国大陸の影響が
こうしてモロに私達の生活に
及ぼしてくるって思うと
無関心ではおられなくなるよナ

尖閣問題で中国のことを
呆れたり怒ったりしてるけど
考えてみれば
ず~と昔から
つまり、隋や唐の時代から

大波小波が日本に打ち寄せてきて
その都度なんとか乗り切ってきた
長い長い付き合いというか
関係してきたんだ

確かに今、外交が腰砕けだとか
弱腰で骨がないとか言われている

でもねぇ
これって、今に始まったことじゃないよ
沖縄の基地だって戦後処理の結果で
今の状況があるんだからな

歴史を引きずってきた結果
今の状況を作ったってことでしょう?

その場しのぎで取り繕って
良い結果なんて出るわけない

ず~と先を見据えて
どっしりいかないと
見透かされるさ

国会中継でのやり取りで
相変わらずの政治と金のことばかりに
無駄金つかって
マスコミも無責任な報道合戦で
煽るばかりでズルイ!

何が大事なのか
誰も考えもしない

ホントこのままでは
日本は危ないよ

突然の「秋の黄砂」が
こんなに
イライラさせるのは
どういう現象でしょうかね?

マッタク!

2010年11月 9日 (火)

いよいよ冬だなあ!

今日は風がすごく強かった

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池田山や小島山などの揖斐の山々には、
冬特有の雲が覆いかぶさっている

ときどき、「しぶち」とこの地方で呼んでいる
冷たい雨が少し顔にあたった

いよいよ冬の到来である

7日が立冬だった

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この季節になると富有柿である
わが家にも赤く熟した富有柿がなっている

今年は途中でたくさん落ちてしまった
それでも2本の柿の木に200個くらいはある

しかし今年はずいぶん小ぶりのミニ柿で
おまけに種が3つも4つも入っておる

ただ味はとても甘くて美味い
さすが富有柿は天下逸品である

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西美濃、特に本巣、真正あたりは富有柿の本場で
これから出荷のピークを迎える

JAの直売所や谷汲山など近隣の観光地の店頭では
箱入りの贈答品が並んでおる

わが家の柿の2~3倍くらいのサイズの見事な品だ

近頃は、柿や林檎は若い人には敬遠されがちだ
皮むきが面倒だったりモゴモゴするのが嫌だったり

でも、ビタミンは豊富だし、利尿作用もあって
柿が出ると医者が青くなるっていうほど体にはいいのだ

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今日、畑に玉ねぎの苗も植えた

この冬を越して来春の5~6月に収穫できるはず

それに今日、わが家では
浄土真宗高田派の年中行事のひとつである
「お取り越し」を無事すましたところだ

こうしたことがいろいろあって
「ああ、もう今年も終わりなんだ」
という実感が出てくるんだ

そうだ、タイヤもスタッドレスに換えなくちゃね

ストーブを出したり、冬布団にしたり
年賀状を買ったり、…

あれこれ考えるだけでも
この季節は何かと忙しい

2010年11月 8日 (月)

西美濃にも古刹・瑞巌寺あり!

瑞巌寺といえば、
あの宮城県、松島の瑞巌寺が思い浮かぶが
どっこい、この西美濃にもりっぱな瑞巌寺があります

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池田山と小島山の間を
揖斐川の支流・粕川が流れている

その右岸にある瑞岩寺という集落

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あたり一面、田や畑が広がっている
素晴らしい晴天だが、空気はひんやりしている

静かなゆったりした時間が流れている
そういう雰囲気の中に瑞巌寺はある

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かつて栄えた頃は、
この地区一帯がすべて瑞巌寺の寺域であったという

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瑞巌寺の創建は室町時代の建武3年(1336年)

当時の美濃尾張伊勢の3国守護・土岐頼康で
戦病死した父・頼清の菩提を弔うためだった

土岐氏というのは、いわゆる美濃源氏の呼び名で
武士である源氏の血をひく有力な子孫が各地に
定着し、その土地の名を名乗ったことから始まる

現在、西濃に対し東濃と呼ぶ土岐市、瑞浪市周辺を
中心に岐阜や揖斐、池田、大野町辺りに
勢力を張ったようだ

時代的には室町時代から戦国時代になって
斎藤道三に滅ぼされるまで
美濃地方は土岐氏が支配していた

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山門横に「後光厳天皇勅願所」の石柱がある

瑞巌寺の寺歴の中で特筆すべきが
文和2年(1353年)北朝・後光厳天皇の頓宮となった
いわゆる小島(おじま)頓宮である

南朝との争いで京の騒乱を避け、土岐頼康を頼って
この地に避難したのである

その期間はわずか2~3ヶ月だったそうだが、
当時の関白二条良基が病気で同行できず、
後から遅れて駆けつけたのだ。

そのときの旅日記が有名な「小島のすさみ」である
原本は焼失してしまったらしいが、写本が残されている

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二条良基が病弱の身でやっと近くまでたどり着いたが、
もう1歩も歩けない。
その時に偶然飲んだ湧水で元気を取り戻したという
のが「二条関白蘇生の泉」で瑞巌寺の途中にある

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山陰になって、いつもひやりとした空気が包んでいる
水を汲みにくる人が多い

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本堂は陽が射して今日はとても温かい

瑞巌寺は、正式には
  萬松山 瑞巌報国禅寺 といい

 臨済宗・妙心寺派に属するいわゆる禅寺です

今回は2回目の参拝というか訪問になる

始めてきた時は、予備知識もほとんどなしで
誰もいなかったので遠慮がちで不審者のように
ウロウロしていた、薄い記憶がある


今日は、「にしみの探求 ふるさとの旅」
という生涯学習の講座がこの寺で開催された

100名以上の人が参加しているようで
本堂もぎっしりだった

誰でも参加できるけど、ほとんどが60代以上の
いわゆるリタイア組で、熱心な女性もいる

歴女なんていうタイプじゃないが、
近頃、ふるさとの歴史や文化に関心を持つ人が
ずいぶん増えてきたようだ。

知らなかったことが解った時の歓びは
難解なクロスワードの謎解きのような
快感を伴うのだ

テレビの池上さんの「そうだったのか!」という
心理と同じだろうな

Img_0756

講師は瑞巌寺の住職の岡部さんという方だ

かつては教師をしていたというから
話の進め方がうまい

温厚そうな人柄で、知識も豊富、
ときどきユーモアをまじえて笑わせる

この寺に対する敬愛が強く自信を持って
話をされるのだ

話の中で「日本三瑞巌」とは
松島・小島・徳島だそうだ

そのうち、あの仙台の松島の瑞巌寺は
天台宗から禅宗に変わったので、禅宗として
この小島の方が一番古いんです、と自慢?なさる

また、小島頓宮の場所については、白樫説などあるが
やはり瑞巌寺がピッタリ合致してます、とか…
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ゆかりのある僧も多く来ているそうだ

例えば、円空さんもしばらく滞在し、この観音像を
彫り残していかれたという

今日は、特別拝観できた

そのほかにも、後光厳天皇の下賜品、足利義満の
御教書など特別に拝観できたのはよかった

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境内を歩く

「小島頓宮跡の碑」も庭園内に建っている

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大岩があり「紫雲石」というんだそうで、行基菩薩
伝説があるとか。

石の割れ目から紫の煙が立ち込め、ここにお堂を
建てたのがそもそもの始まりとか…

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このかわいい石仏はどういうのかわかりませんが
ちょっと見かけて、心が安らぎましたね

ごく自然にちょこんと置いてあるんですが
いつまでも見ていたい気になります

山里離れたところでもないですが
とても静かで落ち着きます

拝観料をとるような国宝もないし
いわゆる観光寺でもなし
名物の料理も菓子もなし

なしなしずくしですが
のんびりウォーキングしたり

かつて騒乱の南北朝を思い起こしたり

座禅もできるそうですので、心が迷った方
迷ってない方でもちょっと訪れてみては
どうでしょうか

まだちょっと紅葉は早いようですがね…












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