名鉄谷汲線の廃線跡を訪ねて(1)
名鉄・谷汲線が廃止されたのは
平成13年10月1日だ
あれから7年半過ぎた
今、どうなっているのだろう
久しぶりに訪ねてみることにした
谷汲線は揖斐線の黒野駅から分岐して谷汲まで11.2キロ
まずは、起点の「黒野駅」から
黒野駅前の道もひっそりとしている
時折、車が通り抜ける
線路跡が妙に虚しい
当時のホームはそのまま残されている
ホームの先には線路が少し残っていた
真っ直ぐに揖斐線、右に大きくカーブしていくのが谷汲線だ
いずれも平成13年10月1日に廃止された
ポイント施設もまだ残っている
岐阜方面をみたところだ
駅舎とホームを結ぶ通路跡
サラリーマンや高校生で賑わったことだろう
賑わいが聞こえてきそうだ
駅舎もシャッターが閉まりパン屋も廃業した
「黒野~岐阜・忠節」間も平成17年4月1日に廃止された
これで黒野駅の使命はすべて終わった
あれからずっと時がたっていないようだ
駅舎横にある「大野町観光案内図」も
揖斐線・谷汲線がバッチリ書かれて当時のままだ。
これまでの大野町の玄関口が消えて
ノッペラボウな町になってしまった
代替バスの停留所では玄関とはなりにくい
「黒野北口」駅付近の踏み切り跡
トラ柵が線路跡を塞いでいる
左の駐車場が駅のホーム跡だろうか
線路跡はレールは撤去され
雑草が生い茂っている
まだ、こうした看板がずっとそのままであれば
鉄道の記憶が風化せずに生きていくだろうが
しかし、いずれは跡かたなく取り外され
整備されたりすると
いよいよ人々の記憶はきれいに消滅するだろうなあ
「稲富」駅跡付近の線路跡だ
砂利が敷かれている
静かな住宅、田畑に囲まれた周辺は
のんびりした風景だ
濃尾平野から山あいに入る
上り坂になり、かつては電車がゴーゴーと
苦しそうに走っていった
線路すぐ西にあるのが真言宗・来振寺(きぶりじ)だ
715年創建というから古い
線路をはさんで東には来振神社がある
元々は寺と神社は一つのものだったのだろう
このあたり
もはや電車の行き交う賑わいも消えて
いまでは、ダンプトラックが砂利を運ぶ
騒々しい風景になってしまった
県道255号線に沿って
山肌には線路跡が残っている
道幅も狭く時折地元の車が通り抜ける
東には揖斐川の支流・根尾川が流れている
その向こうに
住友大阪セメント岐阜工場が見える
このあたりの車窓は眺望がなかなか素晴らしい
谷汲線のほぼ中間点「北野畑」駅跡
この駅は上り下りの行き違いができる駅であった
平成13年9月30日の最終日も
上り「黒野行」下り「谷汲行」のお互いの列車が
タブレットを交換し分かれていった
まるで戦友同士がこれまでの労苦を称えるように
(平成13年9月30日北野畑駅にて写す)
大勢の人に見送られて引退する老兵
「ごくろうさん」
私もここでにわかテツオさんのような顔して
夕陽に照らされた赤い電車をいつまでも
見続けていた‥‥
ホームの跡も雑草の中に残っている
何か大切なものが消えてしまったような
切ない気持ちが沸いてくる
駅舎も取り壊され線路も撤去されたが
まだ枕木が少し残って積まれていた
ほのかな鉄路の記憶がさみしく思われた
後半は(その2)に続きます
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