見つめる家
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急に海が見たくなった
JR東海道線の上り快速電車に乗った
名古屋まではおなじみの車窓
通勤でイヤというほど見ている
金山を過ぎ、共和、大府、刈谷、安城、岡崎へと続く
三河の広い平野には新しい建売住宅が多く
西濃地方独特の農家は少ない
トヨタ系の会社が並び高層マンションもある
幸田を過ぎると始めて海が見えてきた
蒲郡だ
下車する
駅が立て替えられ駅前広場が整備されている
最近はどこの駅も同じ風景になり個性がない
まるで金太郎飴だ
観光案内所で地図をもらう
ツッケンドンで事務的なオバさんの応対に腹がたつ
知らない街を歩くときはまず地図を見て
主なポイントを頭に叩き込んでおく
そうすれば誤差はすくない
民俗学者の宮本常一は、
「村でも町でも新しく訪ねていったところでは
まず高いところへ上がってみよ、
方向を知り、目立つものを見よ」と言っている
今度の目的はズバリ海を見ることだ
まずは有名な「竹島」をめざす
単調な道を歩く
それにしてもなんて殺風景なところだろう
まるで生活感がない
生きている臭いがない
道路の南には、かつての防波堤がある
しかし、その先には埋め立てられた雑草が生い茂る
広大な土地が海を遠くへ追いやり
ますますツマラナイ風景にしている
約15分ほど歩く
竹島水族館などがある公園に着く
老朽化してるが頑張っているようす
今日はここへは入らない
とにかく海にごあいさつだ
目の前に竹島が浮かぶ
ふんわりした丸い形の独立した島だ
汐風が吹いてくる
顔に当たる
やっと海の臭いがしてくる
6月でも太陽の光はきつい
すこしひんやりした海風が心地よい
無粋な看板が集まっている
アサリがうんぬんなんてことばかりだ
本日の潮干狩りはありません?
そうでしょうね
こんなに潮があっては無理だろう!
竹島橋を渡る
橋の長さ387m
まっすぐに伸びている
海の中に浮かぶ島
森が全体を包む神秘のエリア
まるで異次元空間に突入していくような気分
海の上に鳥居が建っている
八百富神社という
島全体が神域である
竹島八百富神社社叢は天然記念物に指定されている
木々が鬱蒼として昼なお暗いところだ
不思議なことに
この島は対岸と林相が違い暖帯原始林だとか
やはり、異次元だな
これが八百富神社の本殿
祭神は市杵島姫命で
平安末期頃、藤原俊成という人が
近江琵琶湖の竹生島から勧請したものだという
いわゆる竹島弁財天という
福種銭というのがあった
お金がたまるらしい
さっそく初穂料100円納めた
貯まる前に散在してしまったようだ(笑)
絵馬があった
父ちゃん思いのやさしい子だ
ホロッとしますな
よい教え子をお持ちです
親しまれているんですね
絵もユーモアがあっていいですね
羨ましいです
面白い、というか
自分のことより他人を気遣う内容がけっこうあったのは
ここに来ると、何かが優しい気分にさせるのですかね
本殿横を抜けるとパッと明るくなった
展望が開けた
急な石段を下りる
龍神岬といういかつい名がついている
雨風をよぶのはやはり伝説上の動物・龍だ
眺めが素晴らしい
向こうに見えるのは三河大島かな
石柱が真ん中で真っ二つに割れたのがつないであった
強風に折れたとは思えないし
なにかあったのだろう
映画のロケに使われそうな風景だ
三河湾内だから波は比較的穏やかだ
島が遊歩道になっている
岩肌をゆっくりゆっくり歩いても良し
すわって遠くの海を眺めて
日がな一日過ごしてもよし
あ~、気持ちいいな~
海はやっぱりいいよな
竹島から竹島橋をみる
山の上にあるホテルは蒲郡プリンスホテルだ
以前は蒲郡ホテルで昭和9年に名古屋の繊維商社の
滝信四郎らが建てたものとか
ちなみのこの竹島橋も昭和7年に始めて架けられた
それまでは、船で渡っていたとか
また、弁天様の特別な御開帳の時だけ
仮橋がつくられたとか
橋の東にある「海辺の文学記念館 」
この地に常磐館という料理旅館があったが
老朽化して壊された
その跡地に建てられたのがこの記念館
菊池寛、川端康成、与謝野晶子、三島由紀夫、
谷崎潤一郎など多彩な文人がこの旅館を訪れた
小説の舞台にもなったし、エッセイにも出てくる
それほど昭和の景勝地でも有名だったようだ
吉田初三郎の描いたパノラマ観光図が展示されていた
その絵にはやはり竹島橋は描かれていなかった
今訪れる若い人はこんなこと知らない
それほど感動もしないかもね
まあ観光地としては古い部類に入るだろう
西美濃地方の養老の滝といったところかな
思いつきでやってきた蒲郡
海を見たさに、潮風を感じるために来た
どこに行ってもやはり過去と切り離しができない
単なる海の風景でも歴史はある
帰途の快速電車では心地よい疲れと振動で爆睡した
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さて、北野畑駅跡を出て北に向かう
線路は山肌に沿うようにして走り
大きく左にカーブしていく
清流・根尾川が眼下に見える
夏には鮎釣りの人やキャンプの家族連れが多く見られる
このあたりの景観は四季を通じて素晴らしい
道路に沿って一段高いところに線路があった
それだけに眺めも抜群に良い
ラッキーなときは
根尾川向こうの山沿いに
樽見鉄道のレールバスが見えるはずだ
赤石駅付近から北(谷汲方面)に続く線路跡
赤石駅前跡には自転車置き場が今なお残っている
綱が張られ中へは入れない
後ろの山は石灰岩の山である
今でもダンプが行き来している
左に根尾川を見る
線路はこの堤防道路右下を走っていた
山の間に水田が広がる
線路は右から左へとこの道路を横断していた
踏み切りもあったが撤去されている
鮎料理を食べさせてくれる料理屋が右にある
左が根尾川だ
谷汲方面から見た線路跡で
その先には根尾川支流を渡る
鉄橋があった
橋を渡って真っ直ぐ山の肌に沿うように線路があった
管瀬橋が見える
この橋の手前を横断していた
やがて根尾川とも別れ西にカーブして進む
終着駅・谷汲駅は近い
谷汲方面からみた線路跡
右の県道40号線と並行していた
谷汲線の終着駅・谷汲駅跡である
ホームも当時のままで残されている
そして何より懐かしい電車が常設展示されている
丸窓で白赤のツートンカラー「モ513」型
鉄道ファンなら大喜びの電車だ
本当に時代を感じさせる電車だ
そしてこちらは「モ755」型
最も私にはサッパリわかりませんがね
でもとても古い電車で平成の時代まで現役だったこと
このほうが驚きです
旧谷汲駅舎に来れば
いつでもこの2台の電車を見ることができる
谷汲の人はこの電車が好きだったのだ
いやのんびり走っている光景が良かったのかもしれない
自然の風景とうまく溶け合っていたのだ
アリャ、これ何だ?
あの電車のそっくりさんだ!
じつはバスなんです
愛惜の情がとうとうこんなものまで作っちゃたんです
だったら何で廃線になったんだ
ズバリ赤字路線だからです
今、沿線の人たちどうしているんだろう
バスかマイカーに頼るしかない
車を持たない人はどうしてるの?
谷汲さんへ参拝する人はやはりマイカーかバスだろうか
ローカル線の赤字による廃止は全国に及んでいる
地方切り捨ての政策といわざるをえない
郵便局がなくなり、電車が来なくなり、いっそう不便になった
それでも生きていかなければならない
廃線の影響は目に見えぬところでもある
心理的にも大きな柱を失った
町がのっぺらぼうになった
久しぶりに谷汲線廃線跡を訪ねて
複雑な思いであった
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名鉄・谷汲線が廃止されたのは
平成13年10月1日だ
あれから7年半過ぎた
今、どうなっているのだろう
久しぶりに訪ねてみることにした
谷汲線は揖斐線の黒野駅から分岐して谷汲まで11.2キロ
まずは、起点の「黒野駅」から
黒野駅前の道もひっそりとしている
時折、車が通り抜ける
線路跡が妙に虚しい
当時のホームはそのまま残されている
ホームの先には線路が少し残っていた
真っ直ぐに揖斐線、右に大きくカーブしていくのが谷汲線だ
いずれも平成13年10月1日に廃止された
ポイント施設もまだ残っている
岐阜方面をみたところだ
駅舎とホームを結ぶ通路跡
サラリーマンや高校生で賑わったことだろう
賑わいが聞こえてきそうだ
駅舎もシャッターが閉まりパン屋も廃業した
「黒野~岐阜・忠節」間も平成17年4月1日に廃止された
これで黒野駅の使命はすべて終わった
あれからずっと時がたっていないようだ
駅舎横にある「大野町観光案内図」も
揖斐線・谷汲線がバッチリ書かれて当時のままだ。
これまでの大野町の玄関口が消えて
ノッペラボウな町になってしまった
代替バスの停留所では玄関とはなりにくい
「黒野北口」駅付近の踏み切り跡
トラ柵が線路跡を塞いでいる
左の駐車場が駅のホーム跡だろうか
線路跡はレールは撤去され
雑草が生い茂っている
まだ、こうした看板がずっとそのままであれば
鉄道の記憶が風化せずに生きていくだろうが
しかし、いずれは跡かたなく取り外され
整備されたりすると
いよいよ人々の記憶はきれいに消滅するだろうなあ
「稲富」駅跡付近の線路跡だ
砂利が敷かれている
静かな住宅、田畑に囲まれた周辺は
のんびりした風景だ
濃尾平野から山あいに入る
上り坂になり、かつては電車がゴーゴーと
苦しそうに走っていった
線路すぐ西にあるのが真言宗・来振寺(きぶりじ)だ
715年創建というから古い
線路をはさんで東には来振神社がある
元々は寺と神社は一つのものだったのだろう
このあたり
もはや電車の行き交う賑わいも消えて
いまでは、ダンプトラックが砂利を運ぶ
騒々しい風景になってしまった
県道255号線に沿って
山肌には線路跡が残っている
道幅も狭く時折地元の車が通り抜ける
東には揖斐川の支流・根尾川が流れている
その向こうに
住友大阪セメント岐阜工場が見える
このあたりの車窓は眺望がなかなか素晴らしい
谷汲線のほぼ中間点「北野畑」駅跡
この駅は上り下りの行き違いができる駅であった
平成13年9月30日の最終日も
上り「黒野行」下り「谷汲行」のお互いの列車が
タブレットを交換し分かれていった
まるで戦友同士がこれまでの労苦を称えるように
(平成13年9月30日北野畑駅にて写す)
大勢の人に見送られて引退する老兵
「ごくろうさん」
私もここでにわかテツオさんのような顔して
夕陽に照らされた赤い電車をいつまでも
見続けていた‥‥
ホームの跡も雑草の中に残っている
何か大切なものが消えてしまったような
切ない気持ちが沸いてくる
駅舎も取り壊され線路も撤去されたが
まだ枕木が少し残って積まれていた
ほのかな鉄路の記憶がさみしく思われた
後半は(その2)に続きます
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