中仙道・柏原宿
中仙道を京に向かって、赤坂、垂井、関ヶ原と進むと
次の宿が「柏原」です
中仙道六十九宿のうち江戸から60番目の宿場だ
もう、近江の国、今でいう滋賀県に入る
私なんぞ、子供の頃、
岐阜県は米原までと思っていた
関ヶ原までとわかってからも
何となく米原駅が
JR東海と西日本と別れるので
気分的に「ああ、関西に来たな」と感じる
ともかく、関ヶ原と柏原が県境なのです
国道21号線から右折してJR東海の踏み切りを渡る
すぐにこんな案内板が立っている
「近江美濃両国境寝物語」
溝のようなものがあり岐阜県・滋賀県という杭が打ってある
反対側に「寝物語の里」の碑と
「寝物語の由来」の説明書きがある
国境を溝ひとつ隔てて宿があり
壁をはさんで寝ながら話ができた、という
司馬遼太郎も「街道をゆく・近江散歩」に
この寝物語の里のことを書いている
さて
この国境(今の県境)の北側に溝を隔てて家が2軒並んでいるが
右が美濃側、つまり岐阜県関ケ原町で
左が近江、滋賀県米原市(合併前は山東町)だ
学校も岐阜県と滋賀県で全く反対方向に行くのだろうが
毎日の「おはよう」やらのあいさつや世間話をするし
子供たちだったら一緒に遊んでいるはず
でも行政区が違うとゴミの出すところも出し方も違うはずだし
税金も違うだろうからつい何で?なんて比べたり
実際のところ、どう思っているんだろうな
寝物語の碑の近くに
芭蕉の句碑がある
「正月も美濃と近江や閏月」
野ざらし紀行における句らしいが
司馬氏の指摘するようにあまりよい句ではない
柏原宿へは、JR「柏原駅」で下車するのが便利だよ
でも駅舎は何もない殺風景なものである
無人駅ではないもののチョット寂しい
さて、降りてからどうするか
観光案内所もないし
駅前には店なんかナ~ンもなし
自販機で飲み物と新聞を売ってるだけ
駅から少し出ると左右の通りが中仙道だ
街道の面影はよく残っているが
とにかく店がない
そこでだ
柏原宿を理解するには「柏原宿歴史館」がお勧めだ
右(つまり西)に向かい5分も歩くと北側にある建物がそれだ
豪壮な旧家を改築したもので国の登録有形文化財になっている
入館料300円を払って中に入りまず紹介ビデオを見よう
ほかに宿場全体の模型や、蔵には中仙道六十九次の浮世絵があるし
江戸時代にタイムスリップした感が味わえるかも
まあ、柏原宿の概観や歴史はほぼ理解できるぞ
西美濃四宿と近江8宿中、
この柏原宿が13町(約1.4キロ)と1番長いとか
宿場の規模も家数344軒、旅籠22軒
そして名物のもぐさ屋が10軒と大きな宿だったようだ
映画監督の吉村公三郎の生家が柏原とは始めて知った
歴史館は喫茶コーナーもあって地元のおばチャンが集まっていて
サロンのような雰囲気だった
私は気後れがして中へは入らずだった
歴史館を出てブラリ散策する
どの家にも、昔の屋号と職業が書かれた看板が架けてある
街はひっそりしている
ときおり車が走り抜ける
しかし、国道21号線が旧道から南に少し外れたため
こうした旧い町並みが残ったのだろう
旧銀行跡が補修工事の調査のため井桁が組まれていた
保存に向けてそれなりの声が上がっているのだろうな
柏原宿で有名なのが伊吹もぐさの「亀屋左京」だ
亀屋の何代目かの松浦七兵衛が江戸吉原で散在し
芸者に唄を歌わせた
「江州柏原 伊吹山のふもと 亀屋左京のきりもぐさ」
まあ、これがCMソングのはしりで中山道の行き帰りの土産に
よく売れたという
あいにく、この日は店が閉まっていたが
この店の大きな福助がトレードマークでもあるらしい
さきほどの歴史館で福助がたくさん並んでいたのは
福助の「発祥の地」ともいわれているからだ
唯一の店屋?
ともかく食堂もコンビニも土産屋も何もないから
有名観光地のような歩きかたは無理だ
街道からの横道に猫が道の真ん中でこっちを見ていた
「あ どうも!」という感じで目を合わせてしまった
街道横にはこんな洗い場があった
谷川の清水がここに流れている
もうひとつの亀屋の跡地に当時を偲ばせる
大きな蔵が2つ残っていた
それぞれの家の繁栄と没落の歴史をみるようだ
年に1度「やいと祭」つまりお灸の祭りがあり
その時は大いに賑わうという
象徴的で何か神々しい伊吹山の下にある柏原宿である
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