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2007年11月28日 (水)

謎の人・伊藤萬蔵を探せ!(2)

神社・仏閣に石造物の寄進をした謎の人
「伊藤萬蔵」氏

今回は「名古屋市内」を歩いて見つけてみよう

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西区にある浅間神社
名古屋城の西、堀川に近いところで
「屋根神さま」もある下町的な雰囲気の中にある

萬蔵が住んだ「西区塩町」は目と鼻の先だ

大きなクスノキが数本あって神社境内を覆っている
いっそう厳かな気分がでている

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1対の狛犬がお迎えだ
赤い掛け物をしてもらい、
信仰のあつさを物語っている

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独特の深い彫りかたが目立つ

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右側の狛犬
「当市塩町」とある

浅間神社から堀川の中橋を渡り産業貿易館西の
那古野神社へいく
その一角にあるのが金山神社だ

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この石柱にも萬蔵の名がある

金山神社は、西美濃の垂井にある南宮大社の分詞されたもの
鍛冶職の神様だ


続いては名古屋城、名古屋市役所を抜けて
東に進む

明和高校の東北の静かな住宅街
ここには「七尾天神」がある

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いわゆる「天神さん」であるが
由緒がめずらしい

尾が7つある亀が池の向こうから木造の菅原道真公(天神さん)を
乗せてきた
とかいうらしい
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この7つの尾を持つ亀に7回水をかけてやると願いが叶うとか

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この狛犬・1対が伊藤萬蔵の寄進物だ

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普段は静かだが、受験シーズンは賑わう
午後には近くの明和高生の姿もみられる

七尾天神を東に行くと国道41号線、清水口交差点
あのはでなテレビCMの宝石の美宝堂がある場所だ

その1本西、すかいらーくの西を北に下る道が旧犬山街道
稲置(いなぎ)街道ともいう

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その西側近くに清瀧寺がある
寺というより清瀧保育園だ
門の中では園児が楽しそうに遊んでいる

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この石柱を見ると

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連名だが、伊藤萬蔵の名が見られる
建物2棟を寄進したようだ

名鉄瀬戸線に沿って東に歩くと「尼ガ坂」駅の南にあるのが
片山神社だ
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式内社で創立は和銅2年(709年)というから古い

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狛犬一対が邪気を払っている
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当市塩町四丁目 伊藤萬蔵とある

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明治28年12月の文字が見える

名古屋市内を少し歩いただけで
こんなにある
伊藤萬蔵

密かでマイナーな楽しみがこうして
自分の足と目で発見することだ

今回はこのへんでおわりです

あなたの情報もコメントくださいね

きっと病み付きになりますよ(笑)

2007年11月27日 (火)

大揺れJR東海・大丈夫か!

大揺れJR東海、と言っても経営状態を言ってるのではない!

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通勤に利用している東海道線の「車体のゆれ」のことだ

帰宅のため名古屋駅から下り快速電車に乗る
尾張一宮で停車して次の木曽川駅は通過する

しばらくして、激しい横揺れがする
うとうとしていても、目が醒める位、激しいゆれ

長島スパーランドのチューチュートレインのように
体全身が振られる

脱線するんじゃないか、そんな恐怖感が襲う
木曽川鉄橋の少し手前で特に顕著だ

橋の上でも、あるいは橋を抜けた後でも起こる

朝の通勤ではそれほど感じないのに
どうして下り線ではこうなのか

立っている客も思わず手摺りにつかまる

線路の構造か、他の何かかシロウトには分からんけど
とにかく怖い!

尼崎事件を想像してしまうほどだ

たとえ点検して「異常はありません」といわれても
いつもの習慣としてこのあたりにくると構えてしまう

とにかく、何とかして欲しいよ!

2007年11月21日 (水)

数独の1年じゃったよ!

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いや~もう11月も終わりだ
早いもんですね~

振り返ると、そもそも今年の正月に
つれあいが割安で買ってきたカレンダーが
あの「数独」だった

日めくりになっているので食卓に置いたの

そして、暇を見つけてやりだしたのが命とりだ!
始めはけっこう難しくてイライラの連続だ

どう考えてもできん
しばらくほっとく!

また、ちらり、と眺めていると「あれ?」ここが入るよ
この数字しかない、
そしてまた始めるのですなあ

お酒を飲みながら、テレビを見ながらだったりして

始めの2~3ヶ月は、毎日カレンダーにあわせて1枚づつクリア
しかし、時々超難解な問題に遭遇する

さあ、大変!
3~4日経過してもまだ解けない

エイ!飛ばせ!
紙を破いて次に挑戦する

そして、何とか現実の日にちに追いつく
破られた超難解に日の紙が「どうだ、まいったか」なんて言ってるよう
くそ!

次の日、余裕でその日の課題はクリア
残された超難解をぼんやり見ていると「あ!」

ヒントが出る
ひとつのマスが埋められる
それをキッカケに次々数字が入る

やったア!
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こうして春が過ぎ、夏のクーラーの中で
そして秋風にも毎日、時には余裕で
時には1週間も遅れて
さらには、破られた日が数枚もたまり
パニくったり、あきらめかけたり

そしてついに11月だよ
今日は21日だから、2日も先をやってるの

ただね、1枚過去モンがまだ残ってるんだ

この数独は世間に受け入れられてきたようだね
中日新聞のサンデー版でも毎週2題出てます

そいつももちろん片付けるのさ

とにかく、数独の1年であったのだ

2007年11月18日 (日)

まるごとバザールだ!

昨日の天気とうってかわって寒い日曜日になった

雨がパラパラしたかと思うと陽が急に射してくる

青空が少し、黒い雨雲が西北をおおって
西美濃地方独特の冬空になった

これからはこうした天気が多くなる
うっとしいことだな

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午後1時ころ、アクアウォークに虹がかかった
最近ではめずらしい奇麗な虹だな

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青空と虹と白い雲が何だか絵に描いたようで
歩いている家族連れも気がついて
「ア!虹だあ~、キレイ!」なんて
しばらく立ち止まって見とれていたな。

さてと、芭蕉元禄楽市・楽座
「第16回西濃まるごとバザール・イン大垣」
が17日から18日と開催された

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やたら長たらしい名で、芭蕉と元禄と
信長の楽市・楽座をくっつけて一大商業祭を
やろうという
まあ、町おこしのひとつのイベントらしい

でも今年で第16回というからず~とやってたんだな
あまり関心なかったし
普通はこの季節、紅葉、ウォーキングで出ること多いからね

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大垣駅前通りはホコテンになっていた
そして130もの大テント村が出現した

店は食品関係が中心で、駅前商店街の和菓子や、
西濃地方の市町の商工会、美濃路の一宮、稲沢市
などそれぞれ特産品や名物、名産が並んでいる

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私もひやかし気分で「ぎんなん」と「草餅」を買った
そろそろ店じまいという時だったので
店の人も「安くしとくで買ってって!」
割引があって得した気分

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大垣藩・味どころのひとつ「枡工房 ますや」では
枡の手作り体験コーナーがあった
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大垣市内のこの店は、枡の生産が全国の8割を占めている
隠れた大垣の特産品だそうだ

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新大橋の仮設ステージでは上石津のもんでこ太鼓、
墨俣太鼓、郷土の民舞など昨日、今日と盛りだくさん

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芭蕉元禄ストリートファションショーもあって賑やかだったな

あいにくの天気でもけっこう人が出ていた

これは私の独断だが
アクア効果がけっこうあったと思うな

正直言って私も、アクアに駐車して
このイベントを見に来た一人だ

まあ、そのかわりちゃんとアクアで夕食の買い物して帰ったからね

アクアも今日は相当混雑していたなあ

他の郊外型スパーと違う駅前の立地は
駅前にとにかく人を呼び込むことだからな

あとは、個人商店がいかに魅力を作り出すかにあるよね
そして面としての年中楽しい商店街にしていく

共存共栄でいかないと発展しないんだ

まるごとバザールも一過性のイベントに終わってしまっては
もったいないからなあ

2007年11月17日 (土)

ナスカの地上絵か!?

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エ!ナスカの地上絵がこんなところに出現?

いや~、

本当は、コンクリートジャングルの上に咲いたあだ花芸術でした

              (大垣市内で発見)

2007年11月16日 (金)

謎の人・伊藤萬蔵を探せ!(1)

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西美濃の名刹のひとつ
西国33ヵ所観音霊場の最後の札所である谷汲山・華厳寺

いつ行っても参拝者が絶えないが、
特に春の桜、秋の紅葉シーズンはツアー客が大勢やってくる

みやげ物屋がならぶ参道を歩くと
大きな仁王門がある

門の特大わらじの前では記念写真を撮る人が多い

この仁王門の左手に大きな石の門柱が立っている

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「西国第三十三番満願霊場」と書いてある

彫りが太くかつ深くて豪快なタッチである

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右側面には「高橋清助」と「伊藤萬蔵」の名がある
寄進した人の名が書かれているのだ

この「伊藤萬蔵」こそ
私の言う謎の人伊藤萬蔵その人なのである

いったい、この人はどのような人物なのか

私が、伊藤萬蔵の名をはじめて知ったのは
もう10年以上前になるだろうか

歩き仲間と一緒に垂井から美濃路を、大垣、墨俣
起、など経由して確か稲沢あたりだったろうか

小さな神社の石柱を見つけて
「伊藤萬蔵ですね」などと興味深げにしゃべっておられた

その時は、なんのことか理解できなかった
しかし、その後、いろいろな機会に神社、お寺など訪れると
あの、「伊藤萬蔵」の名を見つけることがあった

それから、興味を持って
写真を写したりして記録の残していたのだ

さて、西美濃の中仙道を
赤坂宿から垂井宿に向かって西に歩く

2キロくらい行くと青墓というところがある

北に向かう細い道の入り口の西角に
こんなものを見つけました

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「国宝 観世音菩薩 園興寺」とある
そして右側面には、
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「名古屋市西区塩町 伊藤萬蔵」と彫り込んである
ここにもあった

西美濃では二つ目の伊藤萬蔵である

さて、園興寺のことであるが、寺暦は古い
790年(延暦9)に地元の大炊氏の帰依に得て
最澄によって創建されたといわれている

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源頼朝とも関係が深く、兄の源朝長がここで亡くなり
近くの山に墓がある

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まだ少し早いが、紅葉の名所でもあって
多くの人が訪れる

さて今度は、
西美濃からちょっと離れて西に飛びましょう

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ここは、奈良の興福寺です
そのシンボル的な五重塔です

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興福寺の西南にある八角の形をしたのが南円堂です
南円堂は813年(弘仁4)に藤原冬嗣が建立したもので
藤原家の発展を祈願し不空羂索観音がまつられています

西国33ヵ所の9番目の札所となっており、
巡礼で訪れる人も見られます

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猿沢の池から南円堂に上がる石段の右側

ここにも「名古屋市塩町 伊藤萬蔵」の名前がありました!

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裏側には「明治34年8月建立」とある
100年以上前に建てられたものです

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反対側をみると下のほうに
「三河国岡崎 石工 成瀬来次郎」とあります
愛知県の岡崎は墓石、灯篭など石細工の伝統があるところ

その石工に彫ってもらい
遠くの奈良まで運ばせたのだろう

相当の財力があったとおもわれる

いったい伊藤萬蔵はどういう人であったのか
なぜこれほどの寄進をやったのか

ほかでも多くの場所で伊藤萬蔵を見ているので
シリーズでレポートします

このブログを見られた方で、
ここにもあるよ、あそこで見たよという方

ぜひコメントください

2007年11月12日 (月)

見事な壁画を発見!

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ナナ、何だ!
こいつは馬か犬か!
それにしても見事なタッチで土壁によく似合う

でもなあ、気付かなければ、通り過ぎてしまう

ちょっとした遊び心と好奇心があると
お宝が見つかることもある

偶然、汚れがこんないたずら絵画に変身しましたのじゃ!

奈良、2月堂付近でみつけました

2007年11月11日 (日)

正倉院展を見た!

正倉院展へ行った

もちろん、奈良国立博物館で毎年行われているアレです
今年で第59回を迎えるということだが
とにかく生まれて初めてです
001
大垣あたりにおりますと京都と違い
何か奈良って遠~い存在なんです

まあ、前から一度は見たいと思ってましたから
行くぞ!と決めてやってきました
10日の土曜日で、着いたのが10時前
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鹿がのんびりしているけど、アナタにかまってる場合じゃない

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時間待ち60分の看板
行列もテントをはみだして並んでいる
長い列だよ!
アア、どこでも並ぶのは苦手だけど並ぶ
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並んでいるのは、やはり中高年だが小さな子供連れもいる
こんなのわかるのかな?
土曜日朝には20万人目達成だって!
すごいよ
人気ぶりがわかる
けっこう学校の歴史で「正倉院」は習ったもんね

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長い行列の割りには動きが早く40分位で入ることができた

パンフレットによると『正倉院』には9000件の宝物が1200年以上も
守られてきており毎年展示物を少しかえており
今年は70件が出されているのだそうです

とにかく奈良時代、聖武天皇の御遺愛品を始め、
東大寺ゆかりの仏具、天平時代の遊戯具、文房具、
染織品、文書、経典などが出展されている

と、いってもどれがどれだけの価値があるのか、正直言ってわかりません

「墨絵弾弓」「紫檀金鈿柄香炉」「金銀平脱皮箱」「花氈」「花鳥背八角鏡」
などとそのままでは、読めない、意味も価値もわからない、

ひとつひとつに簡単な説明がついています。
もっと知りたければ音声ガイダンスで知ることもできます

でも、とにかく人が多くて押されてじっくり見ていられない
流れが入り乱れて、途中入りしたり、抜けたりで大変忙しい

でも、さすがプロ的な人もいる
ルーペを持ってる人、けっこういましたね
これだと細かい細工の部分がみれますよね

これには感心しました

でも、ほとんどの人は「すごいね」「きれいだね」「これはなんだろう」
なんておしゃべりしながら観ている
1300年前のものが残っていることが素晴らしい
そう素直に思えばいいか!

芸術的なものばかりでなく、蜜蝋をドーナツ状にしたものや
エプロンのような衣類品など租庸調として
各地方から集められたものが残っていました

私が驚いたものがひとつありました

正倉院文書のなかで、現存する最古の戸籍です
大宝2年(702年)のものです

それがナント!この西美濃のものなんです

正式には「御野国味蜂間郡春部里戸籍」です
つまり「みののくに・アハチマゴオリ・カスカベサト」なんです
アハチマは安八郡ですが昔は池田郡も含まれていたとか
春部はどこのことかチョットわかりません

ともかくホンモノが見られるなんて予想外でしたから感激です

美濃国分寺が垂井に置かれ、美濃国府も近くにあったので
天平年間は相当美濃と奈良とは関係が深かったのでしょう

初めての正倉院展が印象深いものになりました

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おみやげに、こんなもの買いました
コンパクト鏡です
聖武天皇遺愛の品「羊木臈纈屏風」に書かれた羊です
なかなかかわいい
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昼食は館の仮設テントで販売していた「正倉院記念弁当」
という中華風の薬膳弁当を食べた

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そのあと、東大寺の北にある正倉院を見に行った
開催期間中は、近くまで特別に入れるとのことでもちろん無料

今年は期間も短く12日で終了してしまう
思い切って足を運んでよかった

2007年11月 8日 (木)

本屋が消えた?

大垣がアクアウォークの進出で何かと騒がしい

とりわけ、本屋は激戦区の闘いになっている
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アクアには東海では初進出の「アカデミア」が入った
聞きなれぬ書店だが、東海地方にもなじみの「いけだ書店」と
同じグループで本店は東京の八王子にある
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カフェとツーリストと一体化した新形態の本屋だ
店内はゆったりして、コーヒーを飲みながら本が自由に読める

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人気の書店には優れた企画マンが必ずいて
魅力のコーナーを作ったりする

ここでは、入り口に「大垣歴史小径」のコーナーがユニークだ
特に「おくのほそ道」関係がずらりと揃えてあり手に取るだけでも楽しい

大垣に初進出した地元へのご祝儀かもしれないけどうれしい
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関ヶ原関係、信長関係もある
郷土誌「月刊・西美濃わが街」もバックナンバーを取り揃えてあり
充実している

アクア進出前はJR大垣駅ビルアピオの「三省堂」が主流だったが
いよいよ駅前に大型店が揃って熱い戦いになった
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駅北口には、小さいながら星野書店もあり、過激になってきた

ところが大垣駅から南の商店街には、本屋がない
消えてしまった!
(よく探すと一歩奥まったところに1軒あったが‥お客ゼロだった)

司馬遼太郎が大垣は「水底の街」だという印象を本に書いている
それは、夜の町の暗さと静けさについてのことだったが‥

本屋がないなんてつまらない街はないぞ!
文化不毛の街になってしまう

いま、全国的にも本が売れないという
個人経営の本屋は成り立たない

週刊誌、雑誌はコンビニやキヨスクがほぼ独占状態
文庫本も大型書店がスペースと販売力で圧倒している

通販やらブックオフなどの新形態で個人書店が消えていく
ほそぼそと小中学校にすがって
教科書販売で生きていくほかないのかねえ?

アクアのオープンで駅北側でにわかに人が増えた
駅前商店街の魅力づくりは本当に困難だ

さあ、どうする

2007年11月 7日 (水)

NOVAウサギも復活か!

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先日、「駅前留学」のNOVAが、突然休学し、店を閉じた

ここJR大垣駅ビル{アピオ」の5階のNOVAも閉鎖された
ガラス窓から電気が消えた部屋の中を覗くと
NOVAウサギが目をつむり暇そう

放置されたままになっている

今日の中日新聞によれば
名古屋に本社がある「ジー・エデュケーション」が
「駅前留学」など事業の一部を引き継ぐらしい

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よかったなあ~
そのためか、なんとなくホッとしているというか
ヤレヤレ、っていう表情にも見えるが‥

この「ジーなんとか」という会社は
「がんばる学園」や「焼肉屋さかい」を経営しているとのこと

うかうかしてると、ウサギも大変だぞ
目を開けろ!といわれて
パッチリお目目の「新生NOVAウサギ」に変身するかもね

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アピオのパソコン教室「アビバ」も閉鎖!
どうしたの?

貼り紙には、アクアウォークに移転しちゃったと書いてある

あ~諸行無常の世だな。
激しい移り変わりで、泣く人も笑う人もいるんだろうな。

ま、仕方ないけどね。

2007年11月 6日 (火)

ゼロ番のりばだ!

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鉄道駅にはよくあるが

バスのりばに「0番」のりばはめずらしい

大垣は変なものがときどきある

それがけっこう面白い

2007年11月 5日 (月)

中仙道を行く(東赤坂~美江寺)(下)

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さて、続きです
巣南町呂久地区(現・瑞穂市)は
揖斐川の堤防のすぐ下にある

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洪水対策で家屋敷が石垣で高くしてある
このあたりには、よくみられる風景だ

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ここ馬渕家の紅葉が、皇女和宮の歌になったところ
「明治天皇御小休所跡」の碑がある

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呂久の集落から坂道を少し上がると堤防にでる
揖斐川である
そこの架かる橋は「鷺田橋」
このあたり鷺が多いからそう呼ばれたのだろうか
確かに田んぼにはコサギがよくみられる

橋を渡ろう
橋からは東に岐阜の金華山が遠望できる

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橋を渡り、堤防を降りて、北東に進む
旧道はほとんど失われている

耕地整理が実施されると正方形の農地と農道ができる
そして味気ない直線の舗装道路となる
農業の機械化で日本の農地が金太郎飴のように
どこも同じ風景になっていく

旧道は集落の中で生きているのだ
耕地整理が困難な場所にこそ、なつかしい風景が残っている
巣南中学前で県道にぶつかると北に沿って歩く


左にはかつての巣南町役場など公共施設がある
現在でも瑞穂市巣南支所や図書分室として使われている
トイレはここを利用させてもらいましょう

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長護寺川の赤い橋を渡ると右に曲がると旧道に入る

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赤い橋がなんとなく不釣合いな気がする

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犀川の流れを見ながら歩く
自然豊かなこの川にはカワセミがみられるとか
右の河川敷にはこの地方特産の「富有柿」が栽培されている

それもそのはずで、巣南町は富有柿の発祥の地である
明治時代に福島才治が改良し新品種を誕生させた

ここから少し、北の集落に顕彰碑がある


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まだ少し青いが11月中ごろには甘くておいしい柿になる

柿は果物の中ではイチゴなどと違い
それほど人気があるわけではないが
ビタミンやミネラルが豊富で
柿が赤くなると医者が青くなるといわれるほどだ

富有柿は、特に甘くて食感がいいので私は大好き
柿の季節になると柿畑沿いの道路には無人の柿販売所がつくられる

一袋5~6個入って100円、200円が多い
それでも十分甘くておいしい

その季節に歩かれたらぜひ買ってその場で食べてください
歩く楽しみがまた増えること間違いなし

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犀川を渡るとすぐ美江寺の千手観音像

そして美江寺宿である
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車が通り抜けるだけでひっそりしている

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美江寺宿は江戸から55番目の小さな宿場町であった
明治24年の濃尾大地震でほとんど全滅したので
古い建物は残っていないようだ

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農家の前に本陣跡の碑があった

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美江寺神社と美江寺観音に突き当たると
中山道は右に(東)曲がる

岐阜市にある美江寺観音は
もとはここにあった
斉藤道三が岐阜に移転させたという話もある


洪水に悩むこの地の人たちが伊賀の国から勧請した
「美しき長江のごとくなれ」とかで美江寺の名が付けられた

子供が自転車で遊んでいるほかは、
誰もおらずひっそりしている

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こうした酒屋も見かけられるが不思議にも人がいない

幅員が狭いうえ、車が頻繁に行き交うので
歩くのは大変危険が伴う

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やがて踏み切りがある
樽見鉄道で、いまレールバスが通過中
たった1両で走っている

春の薄墨桜のシーズンは超満員で車両を増結して走る
地元の通勤、通学の大切な足である
セメント工場からの貨物が廃止されて特に経営が苦しい

途中に大型ショッピングモール「モレラ岐阜」がオープンし
駅を造ったが、はたしてどれだけ乗客が増えたのか
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今も残る道標が旧街道らしい
「右 岐阜加納 左 北方谷汲」 と書いてある


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踏み切り手前で北に少し行くと
樽見鉄道の「美江寺」駅だ

大垣行、樽見行、
どちらも昼間は1時間に1本程度しかないので要注意だ
あらかじめ調べておこう


もし時間をもてあます場合は
一歩街道から外れた道を散策するとよい
柿畑があり、また家の屋敷内にも柿木が植えられている

もちろん、富有柿オンリーだ
それも大きくてりっぱなものがたわわに下がっている

こうしたのどかな風景を見ながら時を過ごすのもよい
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街道から北に入ったところには「瑞光寺」もあり
なんとなく歴史的な石碑が多いから
それもよいし

養老鉄道と樽見鉄道を利用してのミニウォーキングを
ぜひ楽しんでください

2007年11月 2日 (金)

中仙道を行く(東赤坂~美江寺まで)(上)

中仙道を歩いてみようぜ!

今回は、西美濃の
ローカル私鉄路線をふたつ利用してのコース

養老鉄道の「東赤坂駅」から東京(江戸)に向かう

揖斐川を渡り中仙道・56番目目の美江寺宿を見て
樽見鉄道の「美江寺駅」から大垣に戻るというもの

歩くのは、9~10キロ程度だから、ゆっくり楽しもう

スタートの大垣駅から養老鉄道に乗る
10月1日に近鉄から経営を引継ぎいだ新会社だ
「揖斐方面行」の赤い電車で、およそ7分、
3つ目の駅「東赤坂」で下車

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田園風景ののんびりした駅だ
店もトイレもないよ


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この駅で上下電車が行き交う

駅のすぐ南の踏み切りのある道路が中仙道だ
今は、県道230号線になっている
わかりやすいがダンプなど交通量が多いから気をつけよう

踏み切りを渡る
東に歩く

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珍しい生卵の自販機がある
300円と600円の2種類
ネッカ玉子とかいう品名だ
新鮮で、味が濃い
車で来て買っていく人がいる
この卵に穴を開けてチュと吸い込むと元気が出るかも!

200メートルくらい歩くと枡形になって右に曲がる
さらに左に曲がると眼の前が中沢の交差点

県道は東へ真っ直ぐだが、旧中仙道はひとつ南の狭い道だ
民家が両側に張り付いていていかにも街道らしい

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三ツ屋町をとおり、民家が途切れたら
左(つまり北)をチョット向いてみよう

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白亜の建物が並んでいる
岐阜経済大学だ

あたりは、まだ田んぼが広がっている
大垣駅北口からここまでは
学生さんの通学用に近鉄バスが運行されている

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前方に見える堤防はこの地方独特のいわゆる「輪中堤」だ

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歩いているとこうした曲がりくねった道路がある
こうした道路は、ほとんどが旧道なのだ

とても柔らかな曲線なのがイイな!
曲がりくねった道をのんびり歩いていると心が和んできますね

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道が輪中堤に突き当たる
西美濃には、
こうしたかつての洪水防止のために
村落を囲った堤防がまだいくつも残っている

この大島堤は、
たぶん大垣では最も北部のものだろう
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堤防を少し進み向こう側に降りると橋がある
平野井川である

かつて、揖斐川はこのあたりを流れていた
中仙道は
大垣市から、わずかに神戸町をかすめて
本巣市(旧・巣南町)に入る

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右手に木々豊かな公園がある
小簾紅園(おずこうえん)である

幕末の中仙道といえば、皇女和宮の降嫁だ

京から江戸へ行列が何日にも渡って続いたのだ

文久元年(1861)10月26日、皇女和宮一行が
この呂久川(今の揖斐川)を船で渡られた

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船の中で和宮は
東岸の紅葉をみて感動され
「落ちていく 身と知りながら もみじ葉の 
        人なつかしく こがれこそすれ」
と詠まれたという

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明治11年には明治天皇がこの地を巡幸された

そして、昭和4年にこの遺跡を保存するため
小簾紅園が誕生したのである

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この紅園がある呂久はもともと揖斐川の東にあったが
たび重なる洪水のため、
大正年間に河川改修工事があり
新しい川(現在の揖斐川)が東に造られたのだ

今の地図をみるとちょうど本巣市が揖斐川をはさんで
飛び地になっているのは、そのためである

公衆トイレもあるので小休止するのにはちょうどいい

          
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