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2007年9月30日 (日)

さらば近鉄養老線!

昨日までとは、打って変わって
雨のしょぼ降る冷たい日曜日となった
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          (近鉄養老線・北神戸駅)

地元にとっては、哀しい日を迎えた

9月30日近鉄養老線が幕を閉じたのだ
と言っても、廃線になったわけではない

赤字路線のため、ついに私鉄大手の近鉄もついに見放したのだ

明日、10月1日からは新会社「養老鉄道株式会社」が経営を引き継ぐことになった

近鉄の100%子会社だ
赤字分のうち、3億を限度に沿線自治体が補助するらしい

それでも、不足らしく、人件費を削減し料金を改定するのだそうだ

乗客が増えればいいのだが
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29日の土曜日の近鉄大垣駅は大賑わい
というのも、高校生がほとんど

定期券の購入手続きに来ている
大幅に値上げされるので少しでも安いうちにという
庶民的な発想である

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なんでも、その日が来ると、人が集まり
けっこう賑わう

「でもそんなの関係ない」

コトは確実に進んでいく
逆戻りはしない、
いや、できないのだ

近鉄養老線の終着駅・揖斐駅に行ってみた

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雨がぱらつき、人はまばら
静かな終焉だ

明日、電車が来ないわけじゃない
という安堵感があるのかな

鉄道マニアらしい男性が写真を撮っていた

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記念に入場券150円を買った
台紙つき記念入場券は完売されたようだ

別にどうってことない普通の入場券だ
ただ、明日からは販売されない

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こういう看板も出ていて確実な歴史の変遷を感じさせるなあ

大正2年、養老~池田間で開業した昔の養老鉄道

その後、鉄道拡張時代を迎え、昭和19年に近鉄養老線になった

鉄道中心から、やがて道路整備の末、自動車全盛で鉄道の衰退が始まった

岐阜県内でも、JR、名鉄などで廃線もしくは第三セクター経営の冬の時代を迎えた。
西美濃の名鉄揖斐線・」谷汲線、美濃町線の廃止、樽見鉄道の3セク化など、地元ではますます不便になった

自治体の財政補填も限度があり、経営努力ばかり頼れない現実がある
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「乗って残そう○○線」なんて気安く言うけど
ことはそれほど簡単ではない

多くの都市で路面電車が消えた
名古屋、岐阜、京都、など

でも、どっこい今でも走っている町はある
豊橋、富山、松山、広島など
どの町も、通りに賑わいがある
電車の通る町は、人が生きているのだ

同様に、廃線後の町の寂れようは言い難い
駅が町の玄関だったはず

入り口が消えてしまっては町はノッペラボウだ
バス停は顔になれない

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線路や電線、発車の合図、人の出会う待合室
電車の駅にはロマンがある

さあ、明日から「養老鉄道」に乗りましょう

自転車を積み込んで自然の中を走る
「サイクルトレイン」もありますぞ

養老公園、池田山、揖斐、谷汲などどうですか

鉄道マニアではないので、
養老鉄道の線路や電車の魅力や限界は
よく知りませんが、
とにかく「存続」が第一です

だって、雪の日はどれだけありがたいことか

料金を倍出してもいいくらい「頼りになります」

効率化ばかりの進歩だけでは
人間の生きる価値は半減します

明日から郵便局も民営化ですが
この先どうなるのでしょう

2007年9月29日 (土)

梁川星巌展・開催中!

梁川星巌・150年記念特別展が始まった
2007年は星巌が没してから150年
これを記念して、9月22日~10月21日までの1ヶ月間開催される

会場は、大垣市スイトピアセンター
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ところで、ヤナガワ・セイガン?
梁川星巌って、いったい何者?
地元で聞いてみても、案外「知らないなあ」という

「日本の李白」なんて言われているなんて
にわかには信じられな~い

ちょっと大げさではないかな

もっとも、漢詩自体が誰でも関心があるわけでなし
芭蕉のように、ポピュラーではないですから

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星巌という人を一口にいうと
幕末の漢詩人で勤皇思想をもち、
西郷隆盛、吉田松陰など交友をもち
その考えが
倒幕の志士に影響を与えたという

こういう有名人と交友関係があった、といわれると
そうか!じゃ大物じゃん、て見直したりする


今回の特別展のポスターがこれだ

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このポスターになっている二人の銅像については
私は、以前から知っています

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これでしょ?
これは、大垣市の北部、神戸町と隣接する曽根城公園に建っている

星巌と妻・紅蘭の旅立ちを表わしたものだとか

梁川星巌についての履歴を少し

寛政元年(1789年)安八郡曽根村(現・大垣市曽根町)の大垣藩士・稲津丈太郎の長男として生まれた
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               (華渓寺)

幼少のころから、近くの華渓寺住職に詩文・書道など学んだ
12歳で両親をなくす
18歳で江戸に出て漢詩を勉強した

文化14年(1817年)29歳で故郷にもどる
自宅で私塾「梨花村草舎」を開いて習字・漢文を教える

その塾生のなかに、お景(後に妻となる紅蘭)がいた

そして、星巌32歳、紅蘭17歳の時、ふたりは結婚した
15歳も離れていた
うらやましい(笑)

でも、星巌は、すぐ単身で旅に出てしまいました
2年後に帰りましたが、紅蘭は家で待っていることに絶えられませんでした
(ま、このあたりは想像ですが‥)

そこで、文政5年(1822年)、今度は西国に旅に出るとき
「私も連れって!」と嘆願。

まあ、ここで「わかった」と承知して、二人で旅に出たのである
ここんところが星巌の偉いところだろうな

もともと星巌は女好き!だったらしいからね

江戸に漢詩の研鑽に行くといって、遊郭で遊び三昧
借金を華渓寺の和尚に助けてもらっているくらいだ

本当はひとりで行きたかったらしいよ(わかるなあ)

旅は、大垣を出て、伊勢、大和、奈良、浪速、広島、下関、長崎まで行き
帰りも日田、広島、四国にも寄って、文政9年に大垣に帰ったのです

足掛け5年の長旅でした


今と違い、昔の旅、特に夫婦での旅はけっこう大変だったらしい
金もないしね

だから旅に行く前に文人・知人に片っ端から手紙を書いて頼んでおく
(これも推測だが)
そこで、気が向けば、というか訪問先の人が歓迎すれば
一月も滞在したりする、というような、あてのない旅だったようだ

当時、広島にいた頼山陽とはここで知り合った

風光明媚な場所で漢詩を読む
当然、酒に女だ
だから、紅蘭という妻を連れてのふたり旅は異色ではありました
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     (日本の旅人12・大原富枝著)

旅から帰り、天保3年(1832年)江戸に出て
お玉ケ池で「玉池吟社」を起こす

弘化3年(1846年)京に出る。二条木屋町に住む

吉田松陰、西郷隆盛らとの交流する

安政5年(1858年)コレラ大流行する
星巌、9月に死す。(70歳) 南禅寺天授庵に葬られる
紅蘭、捕らえられる

明治12年(1879年)紅蘭没。76歳。
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             (パンフ裏面)

世の中が大きく変化した幕末に生きた星巌と紅蘭

京を舞台に竜馬や、西郷、新撰組といった
ドラマで華々しく取り上げられる英雄たちの裏側で

西美濃から幕末、維新に関わった人物像を通して
歴史を振り返ることは意義が深い
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自分の住む足元にも、国を憂い、将来を語り、行動した偉人がいた。

今日でも、ダムに沈む村や
年金が、郵便局が消えていく現実

東京や霞ヶ関で起こることばかりが歴史ではない
足元にも、政治が、経済が、文化が、歴史がある

それを見据えていくことが大切なこと

今回の「梁川星巌150年記念特別展」は、そうした意味でも興味深いイベントである

ぜひ、一度足を運んでください

観覧は無料ですよ!

2007年9月24日 (月)

地産地消で安全・安心!

JAいびがわの「グリーンステーション」に行った

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池田販売所は近鉄池野駅前にある
農協の倉庫を利用したこのステーション
農林産物の直売所として
近在のお年寄りには人気のスポットだ

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看板にも「新鮮 安い 安全」とあるように
見てくれは少し悪いけど
新鮮な野菜類が一杯ある
朝、軽トラや自転車で運ばれてくる
もちろん、近在のお年寄りの手作りものばかりだ

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生産者の写真と名前がこうしてデカデカと掲載されていて

まさに生産者の顔が見えるのだ

見えすぎて困るくらいかも

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秋のお彼岸で、仏花が飛ぶように売れている

花にもよるが一束300円から400円程度だ

お盆や正月など大変だ

超満員で買いたいが買えない状況で大混雑してしまう

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でかい冬瓜が250円

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「いけだの森」という卵や

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池田特産の揖斐茶のほかに

こうしたクコ茶、どくだみ茶など薬草茶も販売されている

もちろん、商品ひとつひとつには生産者の名前、価格などが

書かれたラベルが貼り付けられている

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さらに手作り豆腐にこんにゃくなどもあります

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こうして商品を選ぶのも楽しそうですね

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しそのドリンク、赤米、健康志向品も混じってます

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じゃがいも、たまねぎ、なす、きゅうりなんてものは

当たり前にあります

でも、ひん曲がったり、大きさがバラバラだったりして

スーパーやデパートでは不良品扱いで多分ダメでしょうね

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どの農産物も消費者が納得して買えばいいのです

自分たちが毎日口にするものですから、やはり

生産者がきちんと責任をもってつくり、消費者に安心して

食べてもらえる喜びがここにはあるようです

ときどき、商品の補充に生産者と話す機会がありますが

みな正直なんです

それに「何分ぐらいゆでるといいよ」なんて教えてくれたりします

こうしたコミュニケーションもあってリピーターが多いんですよ

まあ、中高年がほとんどですけどね(笑)

中国産の農産物の安全性が問題になってますが

やはり、生産者の顔が見えることが大事でしょう

利益ばかりじゃダメってこと!

猫の目の農業政策では食の安全性は守れません

こうした近在のじいちゃんばあちゃん農家が生きがいの持てる

地産地消がキーワードになるかもしれませんなあ

2007年9月19日 (水)

アクアウォーク大垣 オープン近し!

あのアクアウォーク大垣の建設が急ピッチで進行中!

工事用フェンスが撤去された

そして出現したアクアウォークの全容!

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大垣駅北口に大きな看板が立ち

新たな信号も設置されて、点灯準備万端だ

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二本のクスノキは剪定され、残された

近江絹糸時代からズ~とこの変貌を見続けている

時代の証人でもある

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アピタの赤、黄色のけばけばしい印象とは違い

アクア、つまり水のイメージで青が主体になっているのかな

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今、屋外の駐車場整備、緑化、看板等の工事が展開中

通行する人も、毎日その情景を眺めながらオープンを待っている

Xデーはいつか?

まだ明らかにされていないが、おそらく10月中旬ころだろう

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建物内では、個々の店舗の内装工事が

深夜遅くまで行われて

心なしか、ざわついている

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秋の月も、じっとその様子を見ております

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ところで、この広告は先の日曜日、9月16日に

新聞の折込広告として入ったものだ

「アクアウォーク大垣専門店 求人特集号 第3弾」だ

8面にわたって、68の店舗が求人募集している

全部で135の専門店が入る予定だから

何と、約半分の店がまだ人手不足なのだ

オイオイ、大丈夫かい!と言いたくなるよ

1弾、2弾で採用された人は今研修の真っ最中だろう

パート、アルバイトの販売スタッフがほとんどだ

しかも、16歳から40歳までが多く、

アピタ、マックの65歳くらい、
デリカスイトの60歳くらいまでOKが目立つ

人材確保は、店舗が繁栄し持続する基本であり生命線でもある

アクアだけの問題ではない

ロックシティ、リバーサイドモール、モレラ岐阜、イオン大垣や

中小の食品系スーパーなどすべてに言えることだ

高齢者といわれる65歳以上の人口は2744万人と発表されたばかり

貴重な、若くて優秀な人材をいかに獲得するか!

にしみのスーパー戦争は、すでに水面下でも始まっている

2007年9月17日 (月)

大垣の街でパリを見つけた

大垣の街をぶらぶらしていて見つけた

旧いパリ風な風景

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石畳の街路

モダンな窓のビル、小型車

ム~、パリか

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まさに油絵の世界じゃないか

佐伯祐三か?

ユトリロか?


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錆びた貯水タンク、

うす汚れた壁、

そして中には、謎の住人

貧しい生活、厳しい現実!

夢見る明日!


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破れた布、看板、

意味不明なポスター?

誰かいるの、誰?


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補強された鉄線、

染み出た錆び、

分断するコンクリ電柱



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強調された古階段、

開かないガラス窓

ここにどんな男が、女が暮らしているのかな

こうして

大垣の駅前通りを歩いてみると、

パリの臭い、というか

一瞬古ぼけたパリにいるような錯覚を覚えたのです

大垣って、なんと魅力的な街だろう

2007年9月 9日 (日)

「水になった村」を観た

水になった村」という映画を観た

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巨大ダムに沈む徳山村に
最後まで暮らしていたジジババ達を
15年間にわたり
記録を撮り続けた映画である

東京・東中野で8月4日から公開され
徳山ダムの地元である大垣でも
昨日から
ロックシティにある
大垣コロナシネマワールドのみで上映されている

朝10時からの第1回目に入場
100人程度入れる会場に7~8割入っている
家族連れを除きほとんどが50代以上で
他の映画に見られないムードが漂っている

多分、徳山村出身者だったり親類縁者だったり
また、徳山に何らかの関わりのある人が混じっていそうだ

まるで昔のムラの「巡回映画大会」の雰囲気である
普段、映画なんか観た事ないような
化粧気のない赤黒い健康そのもののおばちゃんだったり
ともかく、和やかなムード

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ともかく映画が始まった
乾いた土に水がひたひたと押し寄せる
このシーンから、もう私なんかグッときてしまう

そして小学校がだんだん水没、木々も消えていく
試験湛水が始まったのだ

「水になった村」のタイトル

水に消えた村でなく水になった村なのだ

監督の大西暢夫さんは、揖斐郡池田町に育ったカメラマン
昨年、大垣のスイトピアセンターで写真展が開催された

トークショーもあり大西さんを始め
ゲストでこの映画でも出ている
小西夫妻、広瀬さんも来られていた

朴訥ではあるが山の生活をかみ締めながら話される
一言一言が驚きと納得させられ
いったい生活の豊かさとはなんだろうか、考えさせられるのである

そんなことが重なり合って、懐かしくもあり、寂しくもあって複雑な思いで映像を観ていたのだ

山の自然の豊かなことと、おいしそうな食べ物が登場して
ほんとに食べてみたいな、と思った

古い漬物も蓋を空けて「嗅いでみ」て、強烈に臭そうだった

山の梨、わさび菜、栃ノ実、わらび、マタタビ酒、マムシ、などなど
それにしてもよくこれだけ食べられることだ

まあ、毎日畑や山に出て自然と暮らしているのだから
お腹もすくわいな

会場がゲラゲラの爆笑シーン、ポロリと涙が出そうになるシーン
都会の人にはどう映るのだろうか

失われてしまったかつての「ふるさと」が思い出される人もいるかも

大西さんがカメラを右手に持ち、話をしながら進んでいくが
この会話のオモシロさもまた魅力的だ

岐阜弁、といっても西美濃地方のことばなんだが
まるで違和感はない
だから、よけいに笑えるし、親近感もある

お経も浄土真宗の聞きなれた節回しだしね

そしてやはり家が壊されるところを合唱して涙ぐむ広瀬さん
昨日まで使っていたソースや調味料をもったいなさそうに
壊しはじめている家の片隅で整理する

やりきれない

そして
試験湛水の日にマスコミ・大報道陣のカメラの列を
大西のカメラがじっと捉えている

最後はふたたび水がひたひたと押し寄せてくる
鎮魂歌のように静かにおわる

90分がまたたく間に終わった

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パンフレットを購入した(800円)
この中で、編集の方針として
大西さんが
「とにかく楽しい映画にしたい。
なぜなら僕の知っている徳山村は
本当に楽しい村だったから。」

巨大ダムの是非論より
ふるさとを失うことの意味を読みとって欲しい

そんなメッセージだった

参考までに
私のブログ「にしみの夢通信」の
2006年9月2日「ジジババ徳山物語を聞く」も見てください

2007年9月 7日 (金)

お月見の寺・行基寺

台風一過といっても爽やかさはなく、ムシムシして身をもてあますね

それでも、鈴虫が鳴いたり、夜になれば外は少しひんやりして
秋が近づいてくるようですね

秋の夜空を見るのも心落ち着きいいものです

名月鑑賞もまたこれからの楽しみです

芭蕉の句に
そのままに 月もたのまし 伊吹山」というのがあります

伊吹山と名月との風景を楽しみに大垣を訪れたが
到着が遅れてしまい名月が見られなかった

しかし、月がなくても伊吹山そのものが素晴らしい
と、まあこういう意味らしい

そんなわけで
お月見の寺とも言われる「行基寺」を訪ねた

大垣市と桑名市を結ぶ国道258号線
通称(ニーゴーパー)という

名神高速と東名阪道路をつなぐ重要路線で
大型トラックがスピードを上げて走るので怖い道路

木曽三川のひとつ・揖斐川と
養老山にはさまれた丘陵地帯を南へ走らせ
「道の駅」とJA市場を過ぎると
大きな看板が目につく

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山側へ入るので対向車と後続車に追突されないように
いきなり目もくらむ急坂で、ぼこぼこの道だ

そりゃそうだ
この急坂はお寺用につくられたらしく
馬力の弱い車なんかだとチョット無理かも!

途中に駐車するところはあるが、そこから歩くのも大変そうだ

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車を止めて歩くと目の前に現れた長い石垣と黒い塀
まるで城壁のようでもある

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石垣の横にはこんな奇妙な木が一本ある
不気味な印象だ

なんだろう、これは?
夏の終わりとはいえ、午後4時過ぎている
物音ひとつしない

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山門だ
ここが「臥龍山 行基寺」
名前のとおり、行基菩薩が開山したとかいわれる

その真偽はあまり詮索しなくてもよい、と思う
弘法さんも行基さんもいろんなところで耳にするし
まあ伝説といっては怒られるかもしれないけどね

しかし時代の変遷で一時期かなり荒廃していたときもあったが
興隆のキッカケは
江戸時代に尾張徳川家の支藩として高洲藩など3分家が生まれ
その高須藩主の菩提寺として、この行基寺が幕末まで続いたことによる

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本堂に続く石畳の左手にある階段を上がると高須家の墓所がある
しかし、道がくずれ危険なため立ち入り禁止となっていた

静かな境内に入り、来訪者用のボタンを押すと
住職?らしからぬ中年男性が登場

「資料館、だったか宝物館は確かあったようですが
見れますか?」

「いまはありません」といささかぶっきらぼうな答えが返ってきた

「庭園はみれますか?」
「どうぞ」

庭園の入園料を払う

本堂に上がり、右手から入ると大きな書院がある
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中庭は自然の岩を借景にした枯山水庭園
小さな滝が落ちている
静かだ
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薄暗い廊下を渡る
歩くとギシギシと音がする
時代の経過を感じるなあ

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お殿様が座ったであろう座敷
刀がそのまま置いてありビクッとする
なんか怖そう
このムードは少し不気味だね

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襖には徳川家の三つ葉葵の紋が贅沢に使われている
この紋所が目に見えぬか!下がりおろう!
なんて言いたくなるね

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どうだい!この景色は!
まさに絶景だね!
眼下に木曽三川が見えるよ

南東を見ると視界をさえぎるものが何一つない
遠く名古屋の高層ツイン駅ビルが見える

もちろん、お月見もバッチリだろうな


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それに庭園も素晴らしい
広々とした中での開放感というのか
お抹茶のんだりお酒を飲んで月を愛でる
いいだろうなあ!

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ところで、
美濃高須藩は尾張徳川家の藩主の後継者が絶えたとき
相続人として養子を出すという、まさにお家断絶をさせないため重大な
任務を負わされていたのです

したがって3万石とはいえ江戸城における格式は大変高かった
しかし、結局尾張藩からは一人も将軍を出していない

特に高須藩が有名になったのは幕末のこと
尾張の徳川慶勝、会津藩主松平容保、桑名藩主松平定敬達は
この高須藩の兄弟でそれぞれ養子に出されていたのであった

会津藩や桑名藩は不穏な京都での警護をあえて引き受けたのだ
しかし、
その後の薩長主体の明治政府が彼らをどういう扱いをしたのかは
歴史が語っている

そういう重い歴史と関わりを持つお寺でもあるのです

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眼下にみえる濃尾平野が日に映えて美しい

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帰りのまたまた奇妙で不気味な枯れ木を見つけてしまった
ナンジャ、これ!
変なのがあるよ この山には!

また秋の名月が見られる頃、来よう

2007年9月 3日 (月)

宮本常一が「大図解シリーズ」に登場!

昨日9月2日(日)の中日新聞・朝刊を見た

サンデー版として「学校の教材に役立つ大図解」に
なんと宮本常一が登場!

この大図解シリーズは、小中学生にもわかるよう
社会・経済・政治・文化・国際問題など今日の話題を取り上げている

大人もけっこうこれを読んでいる
難解なことがよく理解できて役立つことも多い


そこに「宮本常一」の登場だ
いや~驚いたなぁ~
いよいよ宮本ブームかな、?
まさか!

「旅に生きた民俗学者、宮本常一」というタイトル
なぜ、いま宮本常一か!
お定まりのノンフィクション作家・佐野真一氏が書いている

今年は生誕100年だ
各地でイベントもいろいろあった
東京都府中市郷土の森博物館や
生まれ故郷・周防大島文化交流センターなどで
特別展や講演会など開催された
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私も府中市での特別展・講演会に参加した
また、生まれ故郷の瀬戸内海・周防大島へも行ってみました
詳細は私のブログ・カテゴリーの「宮本常一の世界」を読んでくださいね

宮本常一はすごく偉い人だったという顕彰よりも
宮本がめざした意思やその精神を引き継いでいくことの重要性を実感しました

疲弊した田舎をどう立て直すか、
何も知らない国からのバラマキ補助金なんていうものじゃなく
自立した地方の庶民が生きていける技術や知恵を育てていくこと
これが一番必要だということだ、と思う
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日本地図が赤くなるほど歩きに歩いた宮本常一
民俗学者、という顔より地方を救う、よき相談者・指導者のような役割が多かった

佐野氏が書いているように
今の腐りきった政治家・官僚に対する怒りや
日本社会の荒廃に対する嘆き・不安が
この「忘れられた日本人・宮本常一」に
今、注目が集まっている理由ではないだろうか
Photo

私は、それに加えて現在の「旅ブーム」、「歩きブーム」が後押ししているように思う

中高年を中心に多くの人が、
健康のために始めたウォーキングがだんだん歩くうちに
対象としてみる風景に心を動かされ、
歩けば歩くほど地方が疲弊していることの現実を
肌で実感したのではないか、と思う

これが車も鉄道もない山深く、あるいは離島へと自分の足で
歩き続けた先人・宮本常一を尊敬と驚きのまなざしで見るようになった

しかし、マスコミで取り上げられるとブームが広がるほど
萎むのも早く、またまた「忘れられた日本人」になってしまう恐れがある

大図解シリーズでの登場は歓迎すべきことだが
これまで、コツコツと、しかし着実に育ってきた
各地方の小さなミヤモト達をやみくもに騒ぎ立て
芽を摘むことはやめなければ、無駄になる

とにかく一人一人が歩いてみて、自分で見て、自分で考える
ここから始まるということだ

宮本の父・善十郎の10ケ条はその原点である

2007年9月 1日 (土)

猫はゴミか?お宝か?

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「ごみを捨てないでください」と
「猫を捨てないで下さい」とは同じ意味?かな

つまり、猫は「ごみ」っていうことになる

この場所に限っては、そうなっている!

このボックスに猫をポイと捨てちゃう奴がいるんだ

管理者の人が、よほど手に余って書いたんだと思われるね

過去には、やむを得ず子猫を捨てるときは、ダンボール箱に入れて
雨のあたらず、人に見つけられやすい場所にそっと置いてきたもんだよ

心の中で「いい人に拾ってもらえよな」なんて祈りつつ。

そうした中、おかげさまの「出世猫」も出てくる
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昔からいる商売繁盛の「招き猫」だよ
この猫たちは、いわば商売屋の看板娘ならぬ看板猫だ

入り口で頑張ってるんだ

最近では「猫カフェ」なんていう喫茶もできているらしいぜ
お客は「癒される」とかで人気らしい

あ、そう。
よかったね!

たかが猫、されど猫
侮るべからず

                      (海津市平田町)

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