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2007年3月21日 (水)

東海道線・穂積駅あたり

輪中地帯を走る東海道線
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大垣駅を出た上り列車は、
木曽三川のひとつ、揖斐川を渡る。

揖斐川は、三川の中では一番西を流れている川だ。
揖斐川の鉄橋は、現在の橋の上流に旧鉄橋が残り
車道として使われている。

さらに上流には樽見鉄道線の鉄橋があり、
3つの鉄橋が並び、歴史を伝えている。

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揖斐川鉄橋を越えると、土盛りされた築堤上を走る。
やがて、犀川、五六川、中川などの中小河川を渡る。

高架の線路から眺める車窓風景は、瑞穂の国そのものだ。
田園地帯に最近では住宅が乱開発で建てられてきている。

線路近くにため池のようなものがある。
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以前はこうした池があちこちで見られたが、
現在では、多くは埋め立てられて、
2,3箇所しか残っていない。

この池は、人工の池である。
明治20年1月に東海道線の、
大垣~加納(現在の岐阜)が開通。

この工事のとき、土盛り高架用として
田んぼの土が使われたのである。

そしてその跡が、池として残されたのである。

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水郷地帯のような風景も車窓から眺めることができる。

この五六川 はこの上流にある中山道・美江寺宿が
江戸から56番目の宿にあたるため
この宿場町を流れる川の名前として定着したもの。

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五六川に架かる鉄橋は古いが頑強だ。

この一帯は、いわゆる輪中地帯である。
この東海道線は、当初、中央線として
建設されていたもの。

紆余曲折があって、長浜から大垣、岐阜
さらに名古屋からは静岡へというルートになった。

頻繁に繰り返す洪水の被害は、
この地の人たちの人生を絶望させた。

有名な宝暦治水工事でも解決できず
やっと明治になって、
お雇い外国人ヨハネス・デ・レーケの計画により
木曽三川分流工事として、
明治20年に着工され明治45年に竣工している。

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そのころ、東海道線が少しずつ開通し、
明治22年になって
一部、琵琶湖の水路を利用して
全通したのである。

その頃に、建造されたものか、
レンガ造りの人道トンネルが今でも残っている。

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100年以上もの歴史を持つ
土盛りの築堤上を
特急・しらさぎが走り抜けていく。
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五六川親水公園では、
豊かな水がゆったり流れている。

しかし、ひとたび雨が降れば
いつでも洪水の危険がある。

昭和51年9月、長良川右岸で決壊。
この東海道線より南の安八町では
大きな被害を受けた。

そのとき、まだ残されていた輪中堤が
見事に役立ち、

先人の教えが生かされたのだ。

今日も、車窓から
のどかな風景を眺め
つい忘れてしまいそうな
輪中に生きるひとびとのことを思うのである。

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