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2007年1月14日 (日)

松山・大洲・内子への旅(5)

内子の町並みを見たい

内子の名は全国的に知られている。
古い町並みが残っているからである。
今回ぜひ訪ねてみたいところだった。

大洲から内子線を通り特急で9分。
意外に近い。

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JR内子駅では観光客は数人だった。
最近ではマイカーや観光バスなど
高速道路から来る人が多いからだろう。

特急はむしろ地元の人の貴重な足になっている。

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内子駅から見た町は静かな山間の田舎町の印象。
駅からさっそく歩いてみる。
駅前を左折して本町通りを歩く。
狭い商店街が続く。
国道56号や松山自動車道はこの町から少し離れている。
そのおかげで比較的静けさが保たれている。

左に入ったところにあるのが芝居小屋「内子座」だ。

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大正5年に創建された木造二階建ての劇場。
農閑期に歌舞伎、人形芝居、映画など上演してきた。
そして老朽化と客が少なくなって取り壊わされることに。
しかし、保存運動が実を結び昭和60年に復元された。

木戸銭を払う代わりに入館料を出して板の間を進む。

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内部はすべて板の間で桟敷席が左右に広がっている。
正面に御用松が描かれた舞台。
今にも演劇が始まりそうである。
派手な衣装に大げさな立ち振る舞い
そして拍手と喝采と笑いでざわめく客達。
いいねぇ。
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地階に下りると通路があり舞台下の奈落がみられる。
回り舞台になっている。
数人でこの舞台を回したのだ。


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「商いと暮らし博物館」は大正時代の薬屋の暮らしを再現した博物館。
リアルなマネキン人形が動き、しゃべるので一瞬本物かと思われた。
ドキリとする。
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いまにも振り向いて話しかけられそうで怖い!


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伊予銀行内子支店から左に折れ坂道を上がっていく。
ここが八日市・護国地区の町並みである。
昭和57年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
600メートルにわたって約120棟の家が連続して建てられている。
このうち90棟が伝統的な民家という。

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海鼠壁、虫籠窓、うだつ、といった美しい色、形。
漆喰で塗り固めた白い壁。
防火を兼ねて造られた商家の建造物は
見ていてもあきがこない。
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うだつは、岐阜県の関市でも有名だ。
「うだつが上がらぬ」というが
これだけのうだつはなかなか見られない。

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木蝋資料館があるのは上芳我(かみはが)邸。
ハゼノキの実から木蝋を取り出し、巨万の富を築いた。
そして明治27年にこの風格のある建物ができあがった。

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大きな敷地に作業場がある。
実を粉にして搾る大きな道具。
当時の全盛を誇る男達の声が聞こえてきそうだ。

しかし
今では、こうしたものづくりができる職人はこの町にはいない。
隣町にたった一人いるだけですと受付の女性は話された。


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内子の町はとても静かだった。
とびきり、有名なお土産や名物があるわけでもなし。
観光客相手の茶店も積極的に呼び込むこともしない。
いたってのんびりしている。

司馬遼太郎は「街道をゆく」の「南伊予・西土佐の道」のなかで
内子について少しだけふれている。

『内子の町はどこか古風で道を行くひとびとの歩き方までが悠長にみえた。』

内子の静かな通りを歩きながら思った。
人がそれぞれの地でさまざまな生き方をしている。
明治や江戸の頃もそういう意味では
今とあまり変わっていない。
むしろ、昔のほうが知恵をだし工夫をして
懸命に生きていたような気がする。

(松山・大洲・内子への旅、終)






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