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2007年1月31日 (水)

とにかく乗物はダメ!

ダメと言ったらダメなの!
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「のりものおことわり」です。

自転車も
一輪車も
こどもの三輪車も
バイクも
とにかくのりものはダメ!

私がそう決めたのです。
手書きです。

でも意外とコウカあるんですよ。

      (京都市下京区の高瀬川)

目にウルサイ張り紙です!

そんなにあれこれ言ってもねぇ
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とにかくしつこいというか
うるさいというか
あれこれナラベ過ぎですね。

ダメ、駄目、だめ、といっても
読んでくれないよ。
逆効果です。

張り紙関係者で話し合うべきです。

         (京都市下京区)

想定外です!

コラボ芸術だ!
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側溝のグレーチングと道路の砂利石が奏でる?
見事な芸術!

グレーチングといたしましても考えてもいませんでした。

2~3の石が車に当たって飛び跳ね転んできた。
そして、続々とあとに続き
結果、こうなった。

まさしく想定外のデキゴトで
美?の世界はこうして誕生するのであります。

     (京都市嵯峨野)

2007年1月29日 (月)

愛煙家に痛撃パンチ!

ここまでやります。ハイ!
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上にある看板
「ご協力ください」では効き目がない。
甘~い!というわけで
こうなりました。

ホームでは、全面的に禁煙なのに
それでも守らない悪い人がいる?

というわけで
大型灰皿を封印しました。

そのやり方が普通じゃない。半端じゃない。
徹底的に封じ込めました。

だったら撤去すればいいのに。
ですから、これは見せしめなんです。

灰皿クンも何やらかわいそうです。

         (京都市)

2007年1月28日 (日)

ところ変われば!

まったり交通標語
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こどもによく諭すように語りかける看板。

交通標語は、ほとんどが
「○○だ、気をつけよう」
「××するな!危険が一杯交差点」
など、命令調だ。

この看板、思わず何度も読んでみる。
最後の「渡れるね?」と念を押すところがいい。
         
            (京都市下京区)

新型ハウス登場!

名づけて「カサ・ハウス
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いくつもの傘が重なってドームの形をした新型ハウスを発見!
中にオジサンが寝ていた。

ホームレスの人たちが最初に考えたのは
「ダンボールハウス」
持ち運びが軽くて便利だが、雨に弱いのが欠点。

それで次に流行したのが
青いシートのハウス。
これは、雨には強いが、やや大型で移動性に難がある。

そこで第3の新型ハウスが登場!
名づけて「カサ・ハウス」
雨に強いし、どこででも簡単に作れる良さもある。

ピンク、ゴールドなどカラフルなお家も芸術的、個性的だ。
無粋なお巡りさんに退去を命じられても
すぐに移動可能である。

これ、京都駅前に出現したのを偶然発見しました。
京都の街は、保守的な一面の中にも、
進取な気分もある複雑なところが不思議。

今後、「カサ・ハウス」が爆発的流行で全国に広まるかもしれぬ。
そうかな~(笑)

2007年1月27日 (土)

大木めぐり(2)

南濃・諏訪神社のクスノキ

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いやぁー、圧倒されますね!
説明書きでは、樹齢1千年以上とか。

神が降りるに相応しい。

平安の頃から、ずーと世の移り変わりを見てきた。
人間がかなうわけがない。

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南濃町(現・海津市)松山にある諏訪神社。
このクスノキがご神体。
訪れたときは、たまたま祭礼で、地元の人が集まっていた。

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不思議に思ったのは、幟の下についている赤いもの。
これはまさしく、奈良の庚申堂の身代わり猿ではないか。
なぜこれがあるのか?

だれか、ご存知ですか?

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この神社の周辺の山は、みかん畑。
ほとんどが出荷されてなくなっていたが
たまに、こんな風景もある。

同じ西美濃でも、すぐ南は三重県の桑名市で伊勢湾が近い。
山から東を見ると名古屋駅のツインビルが見える。

喧騒の都会からずーと離れて、
みかん畑にいるとゆったり時間が流れているようだ。

2007年1月25日 (木)

谷汲山に赤鬼登場!

でかいぞ!赤鬼くん
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久しぶりに訪れた谷汲山、華厳寺。
節分になると登場する赤鬼。
四メートルはある堂々たるもの。
でも、あまり怖くないお顔。

子供が楽しそうに股くぐり。
お年寄りも釣られてくぐっている。嬉しそうに。

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西国33ヵ所の満願寺。
最後の階段がきつい。
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左右の柱にある鯉。
手で触れると夫婦円満とか。
精進落としの鯉ともいわれる。
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いつものとおり10円のお賽銭。
そして、一束100円で線香を買って、ここに立てる。
煙を自分の悪いところにあてると治るとか。
頭とかに煙を触れてみる。
なんか、少しすっきりしたような気分。
ホントかな?

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小腹空いたので
門前のお店に入る。
トーフ田楽。
味噌が自家製のせいか辛いなあ。

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廃線になった名鉄谷汲線。
旧・谷汲駅に保存されている丸窓の電車。
寂しくひっそりした印象だ。
廃線の日にカメラ持って写したことも思い出される。
ゴーゴーとうなりを立てて走った姿が懐かしい

今では谷汲村も揖斐川町と合併してしまって
ローカル色がますます薄れていく。

2007年1月24日 (水)

西美濃のマンホール(2)

好評のマンホールシリーズ第2段。
(だれも言ってませんが・・・笑)

関ヶ原町 です
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関ヶ原は、やはり天下分け目の関が原の戦(1600年)
で、武将の兜、町の花、梅さらに町の木、杉を配置したもの。

続いて
養老町 です。
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養老、っていえば「養老の滝」でしょう。
孝子伝説。滝の水がお酒になったとか。
春日八郎の「瓢箪ブギ」でも「こりゃホントかね?」
奈良時代に元正天皇が年号を「養老」年に改めたという。

次は、巣南町(平成15年に瑞穂市になる)

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天然記念物ハリヨという淡水魚、とモミジ、山
というセット。
ハリヨが大きくかいてある。
針が背中にあるので痛いよ。
揖斐川の東、中仙道沿いの町です。

次は、
真正町(2004年に本巣市になりました)
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町の花、水仙をデザイン化したもの
真正町は真桑瓜の発祥の地でも有名です。

続いて、谷汲村(ここも揖斐川町になりました)
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ギフチョウが大きくデザイン化。
それにゆり?かな。
西国33ヶ所の満願寺。華厳寺があります。

大木巡り(1)

ぎりぎりで残った。
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この大木の存在はなかなかのものである。

大垣駅北口に道路が拡張整備中。
でも、切られることなくギリギリで残った。


このがんばっている楠木
実は、元近江絹糸工場にあったいわばご神木だ。

実に堂々としていて気持ちいい。
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毎朝夕に通る高校生やサラリーマンが
この下を違和感なく通り過ぎていく。

この隣に今年「アクアウォーク」という商業施設が誕生する。

今は静寂のとき。
そして平和な時間のなかにある。

こんな風景はなかなかみられない。
      (大垣市)





2007年1月17日 (水)

西美濃のマンホール(1)

路上観察を始めるとどうしても地面を見るようになる。
そして、気がつくとマンホールの写真を撮ったりしている。

そこで、西美濃の市や町のデザインマンホールを集めてみました。

まずは西美濃の中心 大垣市 からいきましょう

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大垣・船町は芭蕉の「奥の細道」結びの地
水門川の住吉灯台と桜をデザインしたもの。
この川港から船で揖斐川に通じています。

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カラーではないが
やはり「結びの地」をデザイン化。
大垣は「水の都」といわれています。
大垣が発展したのも水に恵まれていたからでしょう。
こちらは紅葉かな。
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これは真ん中に大垣市の市章が入っている。
これはよく見かけるマンホール。


次に大垣市の西にある 垂井町

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垂井町の流れる清流・相川の堤防に咲く桜と
鯉のぼりを川に一杯飾るイベントをデザインしたもの。


大垣市の北に位置する 神戸町 だ
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神戸町の花・バラと清流に生息する魚・ハリヨ
のデザインしたものプリンセス・ミチコなどバラの生産が盛んです。
実はまだ下水道は供用開始されていません。
現在工事中の貴重なものです。

次は安八町 です。

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安八町の花・水仙を町章の形にデザイン化

次は 輪之内町 
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町の鳥・ひばりと町の木・梅をデザイン化したもの
揖斐川の東、長良川とに囲まれた輪中地帯。

これでもあなたは捨てられますか!

かなりのドッキリ警告文ですな!

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カラスの餌食だ
交通事故だ
虐待だ
ガス処分だ
動物実験だ
なんていわれると
あの愛らしいミケちゃんのひどい姿を想像してしまいます。

それにしても誰が書いたのでしょうか
かなりインパクトあります。
         (愛知県一宮市)

2007年1月16日 (火)

食い込みが凄いぞ!

こりゃ、執念じゃ!
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これほど見事にお隣さんの残影がくっきり残っているって
めずらしいよ。

完全に食い込んでる感じで
執念が凄い!って驚く。
              (愛知県一宮市)

蛇口の嘆き!

蛇口?
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何だか恥ずかしいよぉ
さらし者にされてるようだし。

でも、頭とられて役に立たないしね。

ほとんどの人は何も気がつかず通り過ぎていくけど
たまに、目ざとい人はジーと見てるんだ。

そして、首をかしげて不思議そうにして離れていくんだ。
この前、
ずーとここで俺を見ていて触ったり、たたいたり
下から見上げたり調べてる奴もいたな。

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少し離れて見ると、かつて俺が活躍していたころの
ほとばしりの水跡が薄く残ってるでしょ!

でもいまは壁にチョコンとついてるだけの
さびしい蛇口です。
                   (愛知県一宮市)

2007年1月14日 (日)

松山・大洲・内子への旅(5)

内子の町並みを見たい

内子の名は全国的に知られている。
古い町並みが残っているからである。
今回ぜひ訪ねてみたいところだった。

大洲から内子線を通り特急で9分。
意外に近い。

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JR内子駅では観光客は数人だった。
最近ではマイカーや観光バスなど
高速道路から来る人が多いからだろう。

特急はむしろ地元の人の貴重な足になっている。

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内子駅から見た町は静かな山間の田舎町の印象。
駅からさっそく歩いてみる。
駅前を左折して本町通りを歩く。
狭い商店街が続く。
国道56号や松山自動車道はこの町から少し離れている。
そのおかげで比較的静けさが保たれている。

左に入ったところにあるのが芝居小屋「内子座」だ。

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大正5年に創建された木造二階建ての劇場。
農閑期に歌舞伎、人形芝居、映画など上演してきた。
そして老朽化と客が少なくなって取り壊わされることに。
しかし、保存運動が実を結び昭和60年に復元された。

木戸銭を払う代わりに入館料を出して板の間を進む。

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内部はすべて板の間で桟敷席が左右に広がっている。
正面に御用松が描かれた舞台。
今にも演劇が始まりそうである。
派手な衣装に大げさな立ち振る舞い
そして拍手と喝采と笑いでざわめく客達。
いいねぇ。
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地階に下りると通路があり舞台下の奈落がみられる。
回り舞台になっている。
数人でこの舞台を回したのだ。


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「商いと暮らし博物館」は大正時代の薬屋の暮らしを再現した博物館。
リアルなマネキン人形が動き、しゃべるので一瞬本物かと思われた。
ドキリとする。
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いまにも振り向いて話しかけられそうで怖い!


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伊予銀行内子支店から左に折れ坂道を上がっていく。
ここが八日市・護国地区の町並みである。
昭和57年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
600メートルにわたって約120棟の家が連続して建てられている。
このうち90棟が伝統的な民家という。

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海鼠壁、虫籠窓、うだつ、といった美しい色、形。
漆喰で塗り固めた白い壁。
防火を兼ねて造られた商家の建造物は
見ていてもあきがこない。
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うだつは、岐阜県の関市でも有名だ。
「うだつが上がらぬ」というが
これだけのうだつはなかなか見られない。

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木蝋資料館があるのは上芳我(かみはが)邸。
ハゼノキの実から木蝋を取り出し、巨万の富を築いた。
そして明治27年にこの風格のある建物ができあがった。

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大きな敷地に作業場がある。
実を粉にして搾る大きな道具。
当時の全盛を誇る男達の声が聞こえてきそうだ。

しかし
今では、こうしたものづくりができる職人はこの町にはいない。
隣町にたった一人いるだけですと受付の女性は話された。


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内子の町はとても静かだった。
とびきり、有名なお土産や名物があるわけでもなし。
観光客相手の茶店も積極的に呼び込むこともしない。
いたってのんびりしている。

司馬遼太郎は「街道をゆく」の「南伊予・西土佐の道」のなかで
内子について少しだけふれている。

『内子の町はどこか古風で道を行くひとびとの歩き方までが悠長にみえた。』

内子の静かな通りを歩きながら思った。
人がそれぞれの地でさまざまな生き方をしている。
明治や江戸の頃もそういう意味では
今とあまり変わっていない。
むしろ、昔のほうが知恵をだし工夫をして
懸命に生きていたような気がする。

(松山・大洲・内子への旅、終)






2007年1月13日 (土)

松山・大洲・内子への旅(4)

伊予の小京都・大洲へ

翌日、大洲に出かけることになった。
しかし、数分の違いで特急「宇和海」に乗り遅れた。
思案の末、各駅停車の普通列車で行くことにした。

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1両のディーゼルカーである。
乗客は、老人と高校生風な若者。
あと少し私たちのような旅行者が数名。
時間がゆったり進んでいる、という感じだ。

予讃線は伊予市からふたつに別れる。
JR内子線と従来の予讃線である。
特急はすべて内子線回りで距離も短い。

普通列車は海岸線をへばりつくように走り
小さな集落に無人駅があるが乗降客はほとんどいない。
右側の車窓には伊予灘が見える。

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遠くにある島は周防大島だろうか。
あの民俗学者・宮本常一氏のふるさとである。
8月にあの島を訪れたのが、すでに懐かしい。

伊予長浜から線路が急カーブして海から遠ざかる。
川に沿って上っていくのだ。
肱川(ひじ)である。

この河口には「肱川あらし」が発生するとパンフレットの書いてある。
大洲盆地で発生した濃い霧が強風とともに一気に河口に流れていく
現象をいう。
この自然現象が幻想的らしい。

大洲はこの肱川によって開けたと言ってもよい。
船運が盛んだった頃は肱川と瀬戸内海を通して
日本中に繋がっていたのだ。

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その肱川が大きく蛇行したところに大洲の街がある。
その中心地は、大洲駅から肱川橋を渡ったところである。

大洲城が見えた

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大洲城は、藤堂高虎、脇坂安治、加藤貞泰らにより完成。
肱川とその内堀で築かれた強固な城であったが
明治期に壊され、平成16年に復元されたという。
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江戸期の大洲城が実際どのような情景だったのか。
それをCG化したものがある。
「よみがえる日本の城10」で大洲城全景が見事に復元されている。
(発行 学研)
それによると肱川の水を利用した、外堀、内堀が城を取り囲み
いくつもの門と櫓で防御を固めている。


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肱川には、鵜飼があるという。
パンフレットには「日本三大鵜飼」のひとつというが
西美濃人としては、鵜飼は長良川というイメージが強すぎて
本当?なんて思ったりする。
そういわれてみると風景も金華山付近に似ているかもね。

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「おはなはん通り」と名付けられた小路。
NHKテレビのロケ地となった。
ただ、それほどの雰囲気はない。
「伊予の小京都」というほどの町並みは残っていない。

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肱川の高台に建った別荘「臥龍山荘」
明治期に豪商が建てたもの。

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桂離宮などを参考にした、落ち着いた造りだ。
ほとんど人が来ない。
テープによる建築仕様の説明は詳しいが、
今の生活スタイルからはかけ離れすぎていて
ピンと来ない。
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崖の上に建つ「不老庵」からの風景はなかなかのもの。
静かに酒を一献傾けるのもよし、
寝転がって空を見るのもよし。

ここだけはおそらく明治期の趣が残されているのかな
と思った。
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司馬遼太郎は「街道をゆく」のうち
「南伊予・西土佐の道」で
砥部、内子、大洲などを旅している。

その中で司馬は
「私が昭和30年代のおわりごろ、はじめて大洲旧城を通過したとき
、水と山と城が造りあげた景観の美しさに息をわすれる思いがした。」
と書いている。

それから、半世紀たっているのだ。
変わらないことがむしろ珍しい。
今回、復元された大洲城へは行かなかった。

司馬氏の言葉のように肱川からの景観だけを
旅のみやげとした。
          (以下続く)

2007年1月 9日 (火)

股のぞき看板じゃ

見上げてごらん。逆さ看板!

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なに?これは!
強風で舞い上がったんじゃないんだよ。
きちんと止めてあるし、逆さのままってことないよね。

それとも、たばこ売りたくないってこと。

なんか、作為を感じるなあ。

ここの亭主、面白い人で時々笑わせようとするけど
やりすぎてシラー。

           (愛知県一宮市)

2007年1月 8日 (月)

お怒りはごもっともデス

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誰でもそう思ってますよ。

きっと、いつも犬のオシッコにやられて怒り爆発!
何度言ったらわかるんだよ!

そんな気持ちよく分かりますよ。

でも
犬って電柱やそこら中に片足あげてしますでしょう。
だから結局、犬を通行禁止にするか
いっそのこと、犬のトイレを作るしかない。

ところで、人間さまはいいのですか。
ときどき酔っ払いが店のよこっちょでやってますがねえ。

「商店街は・・」と書いたところが
他の商店主の賛同を得たい気持ちをよく表わしてますね。

               (愛知県一宮市)

ろくろ首が怖わ~い!

出た!こんなところに妖怪ろくろ首が!

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壁の中央に張り付いた首の長~いモノ。
まさしく化け物だ。
ろくろ首じゃないか?

トマソン的には原爆タイプなんだが複雑。
どうしてこんな形が残ったのか。
例えば空調のために長い煙突のようなものがあったのかなあ。

まあ、深く追求しないことにしよう。
何の跡なのか謎である。
             (愛知県一宮市)

松山・大洲・内子への旅(3)

旅館「ふなや」
泊まった宿は老舗旅館の「ふなや」さん
大きな庭園があって、とても落ち着いている。

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翌朝、すぐ近くにある伊佐爾波神社に行った。
急な石段を上がると、眼下に温泉街がみえる。
石段のすぐ左にある建物が「ふなや」。


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          (道後温泉を見下ろす石段)

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             (伊佐爾波神社)
朱色の八幡造りが豪華な神社だ。
誰もいなかった。

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                  (宝厳寺)
伊佐爾波神社から徒歩5分くらいで宝厳寺だ。
時宗の開祖・一遍上人の生誕の地といわれる。
ヘエ知らなかったな。
由緒あるお寺なんだ。
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                            (子規の句碑)
「色里や 十歩はなれて 秋のかぜ」子規
夏目漱石と道後温泉に来てこのお寺に立ち寄り
そのときの作品。


ここでも誰一人会わず、ひっそりしている。
温泉街といっても、草津や下呂、渋温泉のように
下駄履いてお客が早朝散歩する風情はなさそうだ。

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              (ふなやの朝食)
宿に戻って朝食。
盛り付けもきれいで、私には充分食べきれない
ほどありました。
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 (ふなやから見る松山市立子規記念博物館)
ところで、ふなやの部屋から見えていた大きな建物は
「子規記念博物館」だった。
ふなやの広い庭園を抜けて道路に出ると目の前が
博物館の入り口だ。
入館料は400円。

近代俳句の父・正岡子規を記念して昭和56年に建てられた。
子規の生きた時代・そして子規の人間像・松山の歴史などが
書簡、写真、資料などで構成され見ごたえ充分。

子規は旅が大好きだったことは意外に知られていない。
(私だけかもしれないが・・・)
やはり、先達・芭蕉の影響なのか。
明治24年に木曽路も歩いている。
確か馬籠辺りに句碑があったような。

明治26年には東北地方を歩き「はてしらずの記」
にまとめている。
芭蕉の「奥の細道」を強く意識していたのだろうか。
ところで、大垣は「奥の細道・結びの地」である。
そして大垣も俳句が盛んであった。

もうひとつは、子規の貪欲ともいえる食欲だ。
特に子規は病床で寝たきりの弱々しいイメージがある。
「糸瓜咲いて 痰のつまりし 仏かな」

だから朝食から粥三椀、佃煮、牛乳とか
昼には粥三椀、鯛の刺身など
どこが病人じゃ!と思えるくらい
食べたがりの大食かんには驚かされた。

ともかく子規記念館は訪れるだけの価値があり
お勧めの場所です。
         

松山城
城下町のシンボルはやはり城だ。
勝山(標高132m)に建っている。

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                    (松山城)
ロープウエイで2分。
加藤嘉明が築城。その後松平家15万石。
石垣が立派である。
瀬戸内海から運んできたのだろうか。

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                   (天守閣)
天守にまで行く道が長く、城門を潜り抜ける。
この11月「平成の大改修」が終わったところだ。
屋根や壁が美しく蘇ったとか。
確かに汚れや崩れがなく整備がなされていたようだ。
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           (天守から見た松山市街)
天守閣に登ると見晴らしがいい。
城が市の中心にあるので、四方が見渡せる。

「村でも町でも新しく訪ねていったところは、
かならず高いところへ上がってみよ。
そして方向を知り、目立つものを見よ。・・・
・・そして山の上で目をひいたものがあったら、
そこへは必ずいってみることだ。
高いところでよく見ておいたら道に迷うようなことは
ほとんどない。」
   (宮本常一の父・善十郎から郷里を出る際に話された教訓メモ)

私の好きな民俗学者・宮本常一氏のこの教訓は
今でも旅をするときに心がけていることだ。
そして、立派にこのことは当たっている。

ある知らない町や村を訪れるときは、頭の中に大まかな地図を
インプットしておく。
そして、現地ではできるだけ自分の足で歩く。
そうすると、一層その土地がわかる。
                    (続く)

2007年1月 6日 (土)

松山・大洲・内子への旅(2)

松山の市内電車は一回150円
1DAYチケット300円で1日乗り放題。
これが便利です。
それに驚いたことにいわゆる
ワンタッチのICカード乗車券も導入されていた。
進んでる~

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松山のちんちん電車は3種類ある。
①観光向けの坊ちゃん列車。
②低床電車
③そして従来からの電車。

タクシーの運転手が言っていた。
「松山には昔からの電車が一番似合いますよ」

ところで
岐阜にも市内電車が走っていた。
名鉄美濃町線や揖斐線など。
赤字で廃止されてしまった。

岐阜城を背景に赤い電車が岐阜市内を走るのは
けっこう絵になった。
しかし、マイカー、バスに押され渋滞が日常化し
とうとう撤退となった。

しかし、フランスのパリ市では昨年12月
69年ぶりに市電が復活したというニュース。
新しい動きが出てきているのだ。

中部地方では、豊橋、富山などで市電が走っている。
ぜひとも残して欲しい。
そういう点では松山もよくがんばってると思う。

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               (夜の松山市内)
さて、松山の繁華街は「大街道」だ。
三越・松山店を中心に長いアーケードが続く。
面白いのは自転車が一杯止めてあったこと。
このあたりにローカルな雰囲気を感じた。
ただ、こういった繁華街はどの町も同じようで
クリスマス商戦の賑わいだった。

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いっぽう、道後温泉商店街では松山らしく
坊ちゃんとマドンナ、お巡りさんの姿で
雰囲気を盛り上げていたが
寒い夜だったので、人も少なめの肩透かしといったところ。
            (以下続く)

松山・大洲・内子への旅(1)

伊予の国・松山へ
松山に初めて行った。
四国・愛媛県の松山市。
名古屋から新幹線「のぞみ」で岡山まで1時間40分。
さらに特急「しおかぜ」で2時間50分。
あわせて4時間30分だ。

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            (特急しおかぜ車内)
とにかく、お尻が痛い。
12月なのにお客は少ない。
この車内でも3組くらいでガラガラだ。
正月の帰省のため旅行を手控えているのか。
車内販売もないし、
これじゃJR四国も赤字だろう。

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                (瀬戸大橋線)

巨大な橋桁をゴーゴーという音とともに走る。
橋桁から見下ろす瀬戸内海は
海というより大きな河という印象が強い。


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               (瀬戸大橋線)

四国に入る。
とにかく遠い。
特に予讃線は単線でとろとろ走りで
車窓から見る風景も単調そのもの。
瀬戸内海沿いに西に進む。

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                (コンビナート)

瀬戸内海に面して海を埋め立て造成した土地に
煙突、タンク群が並ぶ。
大規模な工場、原材料を運ぶ大型船が横付けされ
独特の風景が目に入ってくる。

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            (しおかぜ車窓から)

丸亀、多度津、新居浜、今治と進む。
けっこう建物はあるし、民家も工場も多い。
ありふれた車窓風景だ。
車、道路、民家、コンビニ、看板、カラスの群れ
どこへ行ってもローカル色が薄れ、
全国が均一化に向かって進んでいる。
金太郎飴現象。

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             (車窓風景・民家)

『汽車に乗ったら窓から外をよく見よ。
田や畑に植えられているか、育ちがよいかわるいか、
村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か茅葺か、
そういうこともよく見ることだ。・・・・・・』

民俗学者・宮本常一が父・善十郎から郷里を出る際に
話された十の教訓メモのひとつである。

この言葉、私も気に入っている。
旅行をすると、いつも車窓風景を見ている。
ただ寝ているのは何かもったいないようで。
自分の目で確かめたい、そういう気持ちだ。

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                 (車窓風景)

やっと、みかん畑が見え、
「オッツ!みかんの国へ来たな」とホッとする。

松山駅に3時過ぎに着く。
駅のざわめきが好きだ。
そこの町の匂いがどんなものか確かめる。
これも宮本流の儀式かも。

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                 (JR松山駅)

「春や昔 十五万石の城下かな」 子規
という句碑が駅前にある。
やはり、松山は子規のイメージが強い。

今夜の宿は道後温泉にある「ふなや」
荷物を置いて散策しよう。
まずは名所、道後温泉本館。


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                  (正面玄関)
日本最古の歴史を誇る道後温泉。
木造三層楼の本館は明治27年建築。
国の重要文化財にもなっている。


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                 (本館建物)
本館は銭湯だから誰でも入れる。
興味本位で入ってみよう。
神の湯・2階席は貸し浴衣、お茶、せんべいが付く。
大人一人800円。
広い畳敷き。一人づつその場で浴衣に着替える。
ちょっと、恥ずかしい。
むろん女性は別の部屋だ。

1階に降りて裸になり風呂に入る。
大きな銭湯の雰囲気だ。

ただし、富士山のペンキ絵はない。
湯は無色透明でそれほど特徴はない。
風呂上りのお茶がいい。

3階にある「坊ちゃんの間」も見学した。


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                (本館前の店)
本館前はおみやげ屋さんが並んでいる商店街。
お菓子は名物一六タルトだ。
ロールカステラ風だが柚子が入っている。
最近は一口サイズに切ってあるものが売れてるようだ。

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          (松山の足・チンチン電車)

松山市街は何となく賑やかだ。
市内電車が走っているからかもしれない。
伊予鉄道市内電車だ。
こうした城下町には似合っている。
                 (以下続く)

2007年1月 4日 (木)

年賀状のこと

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今年も多くの年賀状が来た。
もちろん、出すから来たのだが
今年は少し異変があった。

誤配の年賀状が元旦早々3通もあった。
たった3通ぐらいというかもしれないが、
これは今までにないくらい大きい問題を含んでいる。

例年、近所の同姓の家の賀状が舞い込むことはあった。
しかし、まったく住所も姓も違うのが届いた。
考えられないことだ。

怒りつつも自分でその家のポストに放り込んでおいた。
なぜこんなミスが起きたか?
アルバイトのせいばかりでもなさそうだ。

郵政民営化の影響が微妙に作用している、と思う。
というのも、いつもの管轄の郵便局が合理化で
集配事業が廃止されてしまった。

具体的にいうと、
西美濃では神戸郵便局、赤坂郵便局が
大垣郵便局に統合された形になった。
距離的に近い郵便局が犠牲になったというワケ。

2万人の町の人を対象にしていた郵便集配が
16万近くの中に混入されてしまったのだ。
そして預貯金業務等と除き
局員がいなくなってしまった。

これでは
きめ細かいサービスなど無理だ。
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元日にも
いわゆる「おしりまくり」の年賀状を出しに
神戸郵便局に行った。
鍵がかかり、カーテンが下りて誰もいない状態だ。

ポストに入れるだけなら、わざわざ郵便局まで来なくてもいいわけだ。
車でどんどん人が来るが、みな「アレ?」といった表情だ。
なんで扉が閉まっているの?

こんな形で郵政民営化が進展してることにやっと気がついた形だ。
不便なこと極まりない。
さらに山村ではもっと深刻化するのではないか。

岐阜1区の野田と佐藤の闘いは
自民分裂、離脱、復党などいろいろマスコミが騒ぎ立てるが
本当はこうした現実をもっと知るべきではないのか。
報道すべきではないのか。

まあ、国鉄や電々公社の民活分営化のように
時代がそうしたことを飲み込んで
新たな生活習慣を生み出すこともあるから
何ともいえないが。

年賀状や手紙を書く習慣がだんだん廃れ
ケータイやメールでほとんど済ましてしまう若者が多くなった。
そうなると郵便局は無用になるかも?

年末年始の恒例だった紅白、年賀状、お雑煮なんてものも
過去の遺物になってしまうかもね。

2007年1月 3日 (水)

ご当地検定ブームだ!

最近なにかとご当地ブームだ。
テレビ番組もローカルな旅やらクイズやらグルメなど
とにかく地域の話題を取り上げることが多い。

例えば「田舎に泊まろう」というテレビ番組。
タレント、歌手、俳優などを田舎の家に突然訪問し泊めてもらうというもの。
NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」
CBCの「そこが知りたい 特捜 板東リサーチ」
単なる観光から一歩踏み込んで地元に密着している。
こんな番組が目白押しだ。

さて、「ご当地検定」というのをご存知だろうか。
まあ、ひとつの「オタク趣味」に近いかもしれない。

昨年、「京都検定」を勉強してみようかと本を買った。
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京都商工会議所の編集による「公式テキスト」本が売りだ。
2005年4月初版で1冊2100円。

内容は、京都の歴史・史跡、神社・寺院、建築・庭園
美術・芸術・文化・生活・行事、自然・観光と幅広い。

とくに、方言や習慣などはそこに暮らしていないと
なかなか理解できない。
知識だけでは難しい問題が多い。

それでリタイアしてしまった。ムー残念!

このご当地検定は2003年の「東京シティガイド検定」が始まりだったとか。
そして、京都が続き人気を得て各地で始められたようで。

そこで、「西美濃検定」はあるのかな。
多分ないだろうから、出したらどうかな。
まあ、そう簡単にできないけど、面白いと思うよ。

西美濃は、歴史・文化の宝庫。
とりわけ東日本と西日本の接点。
東西文化が混在しているし、京・近江に近いので
なにかと関係が深い。

平成の市町村合併問題の後遺症でごたごたして
「西濃はひとつ」が空しい言葉になっている今こそ
必要かもしれないな。

ご当地検定ブームはさらに拡大してついにゲームに!

そこで、我が家にもやってきたのです。
Ds_008
「ご当地検定DS」がこれです。
県別に選択して、初級、中級、上級へと進みます。
歴史・文化といっても、県庁の位置、鉄道の駅の順番、
方言、名産、史跡などゲームといってもけっこう難しい。

ちなみに、私、地元の「岐阜県」に挑戦しました!
まずは、初級
①方言で「くろ」ってなに?
②旧国名は?
③市のうち面積の大きい順に並べよ(岐阜、飛騨、高山、下呂)
④南に接する県名は?
⑤出荷量の多い苗はは?
てな、質問が出てきます。
岐阜県のイメージがどうしても飛騨高山、下呂温泉なので
西美濃は残念ながら少ないですね。

中級では
①岐阜大仏のある寺の名は?
②「幻の米」ともいわれる岐阜県のお米の銘柄は?
③県の花は?
④美濃3人衆とはだれ?
⑤方言で「まわしする」とは?

まあ、こんな感じですヨ。

さらに上級になると
①明治神宮南楼門のモデルとなった寺は?
②大垣船町港跡に立つ像は?
③旧中仙道の宿を順にすると(細久手、赤坂、鵜沼)
④羽島の名産品は?
⑤方言「先にいっときゃーよ、えか」の意味は?

それで私の成績ですが、やはり岐阜県生まれの岐阜県育ち。
なんとか合格ラインでした。


始めはたかがゲームって馬鹿にしてました。
でも、はまる!
最近、学校では日本史や地理など教科をないがしろにするけど
このゲームやらせたらどうかな?

ただいま、うちの家族全員、全国の都道府県に挑戦中です!
ひまですな~!(笑)

2007年1月 1日 (月)

2007年!今年もよろしく!

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

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恒例の元旦ウォークに出かけました。
幸い、好天に恵まれて良かった。

午後2時名古屋駅スタート。
人がまばらな都心を南へ。
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(メイチカ)

笹島、大須の西から松原、正木町を通り
金山駅を越え、大混雑の「イオン熱田店」をみて
熱田神宮までテクテク歩くというコースでした。
2時間程。
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広い名古屋の道路も駐車も少なくガランとしていました。
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ただ、ゴミの収集がお休みのため、道路に放置されたりして
なんとなく正月の事情も見られましたネ。(金山近く)
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熱田さんには4時半過ぎに着きましたが
すでに薄暗くなっていました。
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こんな時刻でも人がどんどん押し寄せてきます。
本殿に近づくのに20分以上かかってしまいました。
そして賽銭入れるのも命がけ。
抜けだすのにも人を掻き分けての大騒動。
やっと出口に来たときはもうくたくた。
でも、達成感はありましたネ。ハイ。

ところで、
今年、元旦の中日新聞の1面には
「みーんな消してのび太は泣いた」
とあります。
なんのことか、というと
「いじめと生きる」という特集である。

いつもいじめられるのび太が
ある日、ドラえもんから「どくさいスイッチ」という
秘密道具をもらう。

そしてジャイアン、スネ夫と、いじめられるたびに消していき
最後に誰もいなくなってしまった。
「いじめのない世界」はきたが、のび太は叫ぶ。
「だれでもいい。ジャイアンでもいいから出てきてくれ」

なくならないものを
「あってはならないもの」の建前で覆えば
本質は逆に見えにくくならないか。
そんな視点でいじめ問題を考えたい。
中日新聞の特集はこのように書かれて
「いじめ問題」の連載をスタートしている。

つまり、いじめ自体をなくすことより、
どうすれば「いじめと共に生きていける」のかを考えること。

いじめにしろ、虐待、セクハラにしろ、絶対的に根絶することは無理。
人が生きている証でもあるのだ。

でも、どうすれば打ち勝っていくことができるのか。
自殺や虐待を防ぐことができるのか
みんなで考えていくことはできる。

だって、いじめは昔からあった。
私だって、小学生の頃、隣村に怖いガキ大将がいて
学校帰りに悪さされたりした。
だから、どの道を通ればそいつに会わずにすむか
悩んでいた。
私だけではなかった。

いつの時代でも人をいじめる心を持っている。
大人だってそうだし、
特にマスコミなんてその最たるものだという気がする。
正義感ぶってるけど、
よってたかっていじめているとしかとれないような
報道もある。

いじめには「加害者」「被害者」だけでなく
「加担者」「傍観者」などが存在する。

これは学校だけではない。
企業や家庭でも見られる。

人が集団で生きている以上、
避けることができない関係だろう。
服従、対抗、反発、孤立、といったことは
当然起こる。

善悪の問題ではない。
人間関係にはつきものだ。
ただ、強いものだけが生き易いのではだめだろう。

結論なんて簡単には出ない。
お正月早々、重い話でしたが
漫画「ドラえもん」のなかに
そのヒントがあるのではないかと思います。
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我が家にも今でも
「ドラえもん」本が何十冊も残ってます。
ちなみに「どくさいスイッチ」は「ドラえもん第15巻」
(小学館発行)の中に載っていますヨ。

「ドラえもん」は決して侮れないぞ!

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