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2006年11月30日 (木)

釣鐘は爆発だ!芸術だ!

奇妙な釣鐘 発見!
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な、なんだこれは!
怪獣か、それともオバケ兜か?

ま、まてよ、どこかでこんなものを見たような。
そう、大阪万博の「太陽の塔」だ!

でも、これはれっきとした釣鐘です。
あの岡本太郎です。
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ほら、このとおり、サインが入ってます。

これ、名古屋で偶然見つけました。
北区にある天長山久国寺。
曹洞宗の禅寺です。

鐘楼の横に銘板があった。
「岡本太郎制作しあわせの鐘」
「大梵鐘 歓喜」
昭和40年10月24日と書いてある。

岡本54歳の作品である。
発起人には愛知県知事 桑原幹根や
名古屋市長 杉戸清、松坂屋の伊藤次郎左衛門
らが名を連ねている。
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久国寺は、名古屋城の鬼門に位置している。
おそらく尾張徳川家や名古屋城を守るために建てられたのだろう。

それにしても、こんな鐘、見たことない。
伝統的な鐘のイメージを岡本は壊したかったのか。

溢れるようなエネルギーが鐘から飛んでいく。
鐘の音はまだ聞いていない。

おそらく、響き渡るようなまさに「歓喜」の音色か!

しかし、ここは禅寺。
こころ静かに、いっさいを無にするはずなのに
喜びあふれ、エネルギーぎらぎらでよいのかなあ?

造った岡本以上に、この鐘を認めた和尚はもっと、えらいぞ!

2006年11月25日 (土)

toica(トイカ)を買った、使った!

トイカを買った。そして使った!
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ついに11月25日から
JR東海でもICカードが利用開始された。
トイカ(toica)という。

大垣駅には駅員が5人ぐらいいて案内していた。
まだ、反応は少なく買っている人はいないようだった。

そこで定期券の変更はできますか?
はい。できますよ。

そして、説明されて購入したのがこのカードだ。
1枚2000円でデポジット代500円が含まれている。
これまでの磁気定期券に比べて頑丈そうだ。

今日は、所要で大高まで行くことになっている。
早速、はじめての使用となる。

改札口のマークにタッチすると
ピピッと音がする。
気が抜けるくらい簡単だ。
これで感知したのかな?
少し心配。

大高駅に着く。
改札でピタッとタッチ!
ピッと快い音。

230円の表示が出る。
名古屋駅から大高駅の乗り越し料金を
一瞬にして計算して差し引くのである。

ムー。
これか。
妙に感心する。

今春、東京に行った。
原宿駅で人を待っているとき
改札口のすぐ横に立っていて
多くの人が財布を、定期入れをあてる。
そして出て行く。
その姿がサマになっている。
かっこいいのである。

それがスイカ、つまりJR東日本のICカードだった。
何で名古屋はないの?
そう思っていた。

そして今日の日を迎えた。
ちょっぴりだが
何か嬉しい気分だった。

2006年11月23日 (木)

街道てくてく旅(6)

ゴールまであと1週間余りになった!
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(変なぶたくんが家に来た)
今週21日にはついに群馬県から埼玉県に入った。

埼玉といっても、何か土地勘がなくってピンとこない。
自分のわずかな知識から言っても、
蔵の街、川越市や東北新幹線、
クレヨンしんちゃんの春日部市
それに「だサイタマ」なんていう言葉しかでてこない。

とくに北西部は私には空白地帯だ。

本庄、深谷、熊谷宿はいずれも市になって
中仙道の面影も薄くなっている。

テッシーは元気に歩いている。
でも、さすが昨日夕方、熊谷に到着したときは
言葉少なく、元気がなかったなあ。

疲れたのだろうか。
それとも朝、酒の飲みすぎか!

杉玉が下がった、深谷宿の造り酒屋での中継。
グイッとできたてのお酒を試飲する。
郁恵ちゃん、ほんとうに嬉しそうだったな。
きっと、酒がすきなんだ。

いや、郁恵ちゃんだけではない。
街道を歩く楽しみは、
昔も今も、酒や名物の食べ物なんだ。

街道沿いには、茶店があって、
名物の団子やそばや、地酒がある。
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この本は、当時と現代の名物を比較することで
時代の変化と地方の移り変わりをみようというもの。

しかし、今ではさらに地方鉄道も高速道路に取ってかわり
街自体の荒廃が激しい。
ただ、変わらないものはそこに人が住んでいるということであろう。
こうした中を郁恵ちゃんが歩いている。

毎日、地元の人との会話がある。
気軽に声をかけられ「お茶飲んでく?」「ハイ」
農家の庭ではモチ米の脱穀作業。
いまどき珍しい農作業だ。
笑顔の会話が見ていても楽しいなあ。

歩くしかなかった時代は
今と違って、テレビもケータイも何もない。
旅人がもたらす話は貴重な情報だった。

幕末にも多くの旅人が、この街を、街道を通った。
さまざまな目的をもって歩いて行った。

2~3日前だったろうか、お寺の住職と郁恵ちゃんの会話で
歩くことの意味を話していた。

ただ、歩けばいいのです。
いろいろな人に助けられていることを感謝しながら。

こんな短い会話だったようだ。

確かに郁恵ちゃんばかりでなく、
これをテレビで見ている私もほんとうに旅をしているようだ。
そしていろいろなところで、いろいろな人が
それぞれを生きている。
そんな当たり前のことを教えてくれる。

ひとつのテレビ番組といってしまえばそれだけだが
毎日見ていると、
つい、自分の姿が郁恵ちゃんと同じ位置に見えてきて
他人事ではないような気がしてくる。

そして12月1日は、東京、日本橋へゴールだ。
あとすこし、郁恵ちゃん、頑張れ!

ええかげんにしとけ!

ついに怒るとこうなる!
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こんな調子の人って確か、見たぞ!
そう。
吉本新喜劇の
山田スミ子だったよな。
最近あまり見かけないけど元気かな?

始めは
「やらないでね。」っていう感じでやさしく。
さらに
「「お願い!やらないでちょうだい!」
まだ続けていると
「何回言ったらわかるんじゃ!!」と
怒り心頭、その怒鳴り声に思わず辺りが
おおビビリ、騒然、っていう
あの吉本の見せ場。

その場面を彷彿とさせる看板だ。

ワンちゃんも可愛いけどルール守ってよね。
(名古屋市北区)

2006年11月19日 (日)

富有柿がうまい(2)!

大柿と家康
西美濃は昔から柿の産地だ。
それだけに柿にまつわる話もよくある。

慶長5年9月のこと。
岐阜落城の報に家康は江戸を出て東海道を西進。
9月13日岐阜に1泊。
14日早朝、稲葉貞道を案内人に旧東山道を
神戸(ごうど)を通り昼、赤坂に到着。
岡山頂上(勝山)に入る。
眼前の大垣城には石田三成が待ち構えている。

この神戸を通るとき、八条村の瑞雲寺で休息した。
禅僧が大きな柿を家康に捧げたところ
「大柿が我が手に落つ」と大いに喜び
この柿を投げ、小姓らに拾わせたという。
(神戸町史〈上巻〉のなかで『関東一乱志』に記述があるとしている)
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このあと、家康は大垣城での戦いを嫌い
関ヶ原に石田を誘い出す陽動作戦にでて勝利を勝ち取るのである。

瑞雲寺はこれ以降、柿寺と称され
朱印地10石をもらい、幕末まで続いたという。
(瑞雲寺文書)
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現在、瑞雲寺は、臨済宗妙心寺派 金龍山 瑞雲禅寺として
静かな村合いに建っている。

今でもお寺の庭には柿の木がある。
ただし、当時のものではないと思われるが・・・

ところで、この献上された柿はどんな種類だったのか。
富有柿ではなかったことは確かだが。
甘柿か渋柿か。

「水練柿」を献上、とある。(瑞雲寺文書)

ともかく、柿はこうしたことからも読み取れるように
西美濃の秋の名産品である。

柿を使用した和菓子も多い。
特に大垣では柿羊羹が有名だ。
これは富有柿ではなく、蜂屋柿を使用している。

「槌谷の柿羊羹」は半割りの竹の器に流し込んだもので
全国的にも知られている名品である。

西美濃の秋は、柿色に染まって一層、季節を色濃くさせてくれる。

2006年11月16日 (木)

富有柿がうまい!

西美濃もそろそろ寒くなってきたぞ。
電気ストーブやカーペットなど暖房器具も使い始めた。
靴下にスリッパも必需品になった。
まあ、いつもより遅いのかもしれないが。

西美濃に特有の「しぶち」雨が今日も来た。
今年3回目くらいかな。
こんな季節になると柿が美味くなる。
もちろん、富有柿だ!
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とても甘い柿である。
結構、いい柿が手に入った。
大きくてうまそうだ。
けど、これは等外品だそうだ。
つまり市場に出せない柿。
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だけど、剥いてみると全く遜色はない。
食べてみたら『美味~い』

柿が赤くなると医者は青くなる、と言われるように
柿は身体に良い。
血圧降下、ビタミン豊富、利尿作用。

けれど、なぜか好きな人は少ない、ようだ。
硬いから?
皮を剥く手間がかかるから?
でも、私は大好きだ。
わが家も2本の古木があるが今年は収穫ゼロだった。
毛虫にやられて無残な結果に終わったのです。トホホ。

西美濃は、柿の生産地。
揖斐川、そして根尾川の東の巣南町(現・瑞穂市巣南町)は
富有柿の発祥の地。
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巣南町居倉地区のある農家にこの碑が建っている。
まさしくここが富有柿生誕の地だ。
そして今年も母木が立派な実をつけている。

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慶応元年生まれの福嶌才治という人が
明治時代に苦労の末、御所柿から品種改良を加え
新品種の柿を作り、『富有柿』と命名された。

とにかく、田んぼを果樹園にし、柿で収穫を上げるには
相当覚悟してかからないと、大損失になったはず。
いまでも、本巣郡一帯は柿畑が多い。

そして、こんな風景も見られる。
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この季節だけの「富有柿臨時販売所」である。
無人のスタンドやJAのテントハウスもある。
全国各地への1個300円?の高級品の宅配。
クズ、処分品の一山100円まで。

ともかく、この時期は
富有柿がほんとうに美味い!
今夜も食べた!
ごちそうさま

2006年11月14日 (火)

街道てくてく旅(5)

碓氷峠を越えた!
中仙道で最大の難所・碓氷峠をついに越えた。
先週は、諸事情で、ほとんど見られず終いだった。
芦田宿、望月、岩村田、小田井宿までの信州路は終わっていた。
何だか間が抜けると自分が旅した気分が薄れるようで残念。

毎日、BS2で見るのが日課のようになってしまい、
午後7時半までに帰るようにしていたのだ。
メインはBSハイビジョンの毎朝8時からの生放送だから
ちょうど朝ドラ「芋たこなんきん」と同じ気分の人もいるのだろうな。

ともかく、空っ風と「かかあ天下」の上州路だ。
しかし西美濃からははるか遠い。
草津温泉と国定忠治(古~い)のイメージかな?

勅使河原郁恵ちゃんは相変わらずがんばって歩いてます。
気がつくとファションも冬バージョンだ。
草津をスタートしたのは9月だ。
碓氷峠は京都から400キロ、つまり100里の行程を走破したわけだ。

こんな本を買ってしまった!
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『誰でも歩ける中山道六十九次』だ。
店頭でみつけた。
細かい道案内がされているし、街道筋のことがいろいろ登場する。
実際歩かなくても、歩いた気分にさせてくれる。

どころが、である。
上下2冊購入したら
そのなかになんと「木曽路」がない!
実は「中巻」が売り切れていた。

あわてて、他の店を探した。
大型書店にも「在庫なし」だ。
それも「中巻」だけ売り切れ。
なんてこった!

そして、やっと近くのお店でみつけました。
うれし~い。

そこで、ひとつ勉強しました。
こうした3冊セットものでも、1冊だけ買う人もいるんだ。
小説の場合、1から読み始め途中でぽしゃる。
だから後半ほど売れ行きは落ちる。
そうか。

で、この本の著者「日殿言成」さん。
「ひとのいいなり」と読むそうで、故人である。
昭和26年生まれで東京の人。
腎臓病をわずらいながらこの本の書くために調べ、歩いた。
しかし道半ばの平成17年5月に永眠された。

この意思をついで実姉と友の2人で引継ぎやっと完成した。
そういう涙本である。

ひょっとして郁恵ちゃんもこの本読んでるかもしれないな。
「ひとのいいなり」にしたがって歩き
ひとのいいなりになってはいけないぞ!

2006年11月 5日 (日)

竹中半兵衛のふるさとを歩く

関ヶ原からスタートする
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久しぶりに歩き仲間に誘われてのウオーキングに参加。
関ヶ原から、垂井の竹中半兵衛屋敷跡を通って
池田温泉までのコース。
JR関ヶ原駅を9時にスタート。
総勢15名の参加。
あとでの笑い話。
2名が関ヶ原駅で下車し忘れてしまった。
あわてて、上り電車で戻って、休憩なしで追いつこうとしたらしい。

そして、執念で「伊富岐神社」に無事到着し、再会。
その顛末を聞いて一同大いに笑い、そして驚き!
そしてめでたく17名になった。
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関ヶ原は古戦場
ご存知「天下分け目の関ヶ原」といわれ史跡が一杯。
どこを歩いても東軍、西軍の陣地跡やらに出くわす。
約400年前にあった戦だが
ただ歴史の中の1大事件ではない。
その後の日本、幕末から明治維新、
そして今現在でも徳川、豊臣の行き方が政治、外交、などの
精神的な面では引きずっている、ように思う。

クマが出るぞ!
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実は、今回のウオ-キング、心配していたことがあった。
クマのことである。

関ヶ原でもクマがよく現れている。
そして、とうとう4日の新聞では、瑞穂市呂久の
揖斐川河川敷でも子グマが発見された。
山から相当離れた場所だ。
「信じられない!」だ。
どうやってきたのか。
川を流れてドンブラコ。まさか!
河川敷の草むら伝いにゴソゴソと移動したのだろう。

そして、丸山狼煙場へのコース入り口にあったのがこの看板だ。
やっぱ、いるんだ!
うわさは、急に信憑性を帯びた。
用意周到の鈴をつけた人は私を含め4人?ほど。
リーン、リーンという音が響く。
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ススキの中を警戒して歩く行列。
が、これだけおればまず大丈夫と思ってみる。
結局、丸山狼煙場は、民家の多い東側から登った。
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伊富岐神社に着く。
式内社である。
古代豪族の伊福氏の祖神を祭ってあるとかいわれるが
本当のところはよく知らない。
伊富岐は、現在の伊吹ということから
製鉄と密接な関連を持った士族だったと思われるが。
南宮神社、金生山なども武器製造と関わりがあったようだ。

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この看板が神社の横にあった。

再び、クマの恐怖がよみがえった。
これから、先に山道に入るのだ。
心して行け!

リーダーは頼もしいぞい!
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用意周到なリーダーは、
大きなラジカセも持参だ!
そして、早速
背中から音楽が流れだす。
な、何だ!この歌は?
「い~きてぇ ゆくのが つらい日は~」
川中みゆきの「ふたり酒」だ。
リーダー好みの歌らしい。
ま、いいか。
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とりあえず、最初の危険地帯はクリア。
森の中でクマさんに出会うことはなかった。
ほっ!

竹中氏陣屋跡に寄る!

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垂井町岩手地区。
竹中半兵衛屋敷跡は石積みの門などが残されている。
なかなか重厚な門である。
さすが軍師といわれるだけある。
NHK大河ドラマ「功名が辻」でも
一豊と千代を結びつける重要な役割を担っていた。

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禅幢寺に向かう途中、すばらしい石垣に出会う。
ほれぼれして、写真に撮った。
戦国・江戸時代の城壁は安土城から始まる。
特に崩れない石垣が名城たる基本。
近江・坂本の穴太衆(あのう)が全国に技術を伝えた。
自然体の野面積みだが、ほとんど崩れない技法。
しかも美しい。

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秋らしいコスモスが咲く。
今年は温かい。
紅葉はまだゆっくり。
気持ちよいさわやかな風を受けて歩く。

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途中の集落では、庭先に作られたみかんをいただく。
おばあさんが「どうぞ、どうぞ」といってくれる。
花梨、渋柿やいろいろな花が咲いている。
このあたりの農家は、裕福なのか
のんびりとした時間が流れているようだ。
いつも時間に追われる都会生活とは
ずいぶん違っている。
しかし、まねはできないだろうな。
体に染み付いてしまっているからね。

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山裾の農村に沿うように歩く。
刈り入れが終わった田んぼには穂先から
芽が出て青々とした世界が広がる。
世間話をしながら、歩を進める。
さわやかな風景は、なごみますな。
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藤の木の下で昼食だ。
青空のなか
お握りなど好みの食べ物をいただいて。
缶ビールもうまい。
揺られてあわあわのビール。
近くの商店で仕入れたもので、200円は破格値だ。

クマとドラえもんのコラボだ!
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クマ看板の横にドラえもんがいた。
立派な石づくりのドラえもん。
クマが噛み付いてもびくともしないぞ。
それにしてもこのあたりは、猫が多い。

猫Aの場合
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この猫、近づいても逃げない。
手を出しても逃げない。
背中なでると喜んでいる。
ねずみをとるつもりもなし。
かといって嫌われてもいない。
幸せな猫である。

猫Bの場合
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一方、この猫はこの姿でじーと私を見ている。
特に警戒しているわけでもない。
カメラをむけたら、よそを向いてしまったので
「お~い」って声かけたら
こっち向いてくれた。
そこで
「パチリ」とシャッターを切った。
気品のある猫だった。


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いよいよ、今回最大の難所
梅谷越えだ。
鈴と川中みゆきが再びセットされて
ラストスタート!
梅谷越えは、かなり昔からあった道らしい。

大和武尊(ヤマトタケル)が
伊吹山に住む賊を征伐するために
池田町白鳥からこの峠を越えていったという
伝説もある(揖斐郡教育会発行の「道」)

また、関西方面から谷汲山華厳寺へ参詣する
巡礼街道の枝道でもあった。(同「道」から)

そういう関係から垂井町と池田町は親戚関係も多いらしい。


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だが、「梅谷越え」は
杉木立が道の両側に迫り
真昼でも薄暗い。
一人ではとても気持ち悪くて歩けない。
道幅も狭く、車の通行も少ない。

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標高210メートルの峠には、馬頭観音が祭られている。
馬を引いて上り下りしたのだろう。

峠を下りた先が池田温泉である。
日帰り温泉として人気がある。
下呂温泉に似た泉質で肌がスベスベになる。
地元はもちろん、名古屋、尾張小牧、滋賀、三重など
東海、関西地方の車もよく来ている。

午後2時ゴール。
約20キロのウオーキングでした。
クマにも会わず全員元気で完歩できたのが何よりでした。
(終)

2006年11月 2日 (木)

クマが逆襲し始めた!

クマの逆襲!
クマのニュースが連日賑わしている。
ツキノワグマが里に下りてきているのだ。

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そして、とうとうJR東海の「さわやかウォーキング」の
常設3コースも中止に追い込まれてしまった。

このような事態は始めてだと思う。
台風や豪雨などの気象状況での中止はあったが
熊で中止など聞いたことがない。

ことはそれだけ深刻だということだ。
特に西美濃を始め岐阜県では大きな問題となっている。

今年はすでに岐阜県内で140頭の熊が捕殺されているそうだ。
(中日新聞10月30日岐阜県版)

西濃地方では、最近でも、
揖斐川町谷汲長瀬で4歳くらいのメスのツキノワグマ(23日)
池田町願成寺で2~3歳くらいのツキノワグマ(25日)
関ヶ原町玉の山林で5歳くらいのメス(26日)
揖斐川町白樫で2歳くらいのツキノワグマ(26日)が
いずれもオリに入っているが発見され捕殺された。
ほぼ毎日こんなニュースがある。

そしてその中でも
クマに襲われてけが人が出るなど事態は深刻。
近くの住民はびくびくしている。

30日の中日新聞・岐阜県版の「ニュースeye」でも特集で
『相次ぐクマ出没』を取り上げている。

捕獲されたかわいい子ぐまを殺すことは忍びない。
できたら山へ返してやりたい。(関ヶ原町役場)

また、今年、山形市で行われた「マタギ・サミット」で
「村人の過疎化・高齢化で人間力が弱体化した山村では、
野生動物たちによる、里への”攻勢”が始まった」
(東北芸術工科大学の田口洋美教授)

「かつては、餌がなくてもクマは人の住む里には
ほとんど姿を見せなかった。
山村の衰退がクマの侵入を安易にしている」という。

じゃ、どうすればいいのか

捕獲したクマをよその奥山に放す「学習放獣」
数年前から全国で実施されてきているが難しい、という。

私は考えるに、
昔は、もっと「住み分け」ができていたと思う。
クマやサルやといった野生動物にも自然の恵みを分け与える
やさしさがあったのだ。

全部、自分のものという強欲な考えではなく
もっと謙虚な生き方がなされていたと思う。

今では、より奥へ奥へと無制限に一般人までが気軽に入り込んでいく。
例えば、山菜取り、ハイカー、電力会社、など
動物達の聖域ともいうべきエリアを人間が侵している。
その抗議行動が今回のクマ騒ぎではないか。

とにかく山村の荒廃はひどいものだ。
山で暮らす人々の生活が成り立つ仕組みを
きちんと考えることで
都会の生活が維持できることに気付かないと
ますます危うくなる。
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「ある日、森の中、クマさんに出会った」などと
のんびり歌っている状況ではないぞ!

2006年11月 1日 (水)

街道てくてく旅(4)

さすが、郁恵はプロスケーター!

11月1日は長野県下諏訪宿からの中継。
中仙道唯一の温泉のある宿場だ。
長野県は多くの温泉に恵まれている。
にも関わらず、中仙道はこの下諏訪のみとはびっくりだ。

木曽路を越え、信濃路に入った。
郁恵ちゃんのファッションも冬モード。
思えば9月18日に草津宿を出て、近江路、美濃路を経て
ここまで来た。

始めはぎこちなさがあった郁恵ちゃんだが最近はなかなかのもんだ。
笑顔と「アハハハ」という屈託のない笑い、
子供でもお年寄りでもすぐ友達になれるフレンドリーなさわやかさ。
街道の住民も彼女を応援して手を振ったり、「頑張って!」と声をかけていたりして見ていてもいい気分だ。

沿道の野菜農家、りんご、栗の果樹園、そば、手づくりワイン、など
ふつうのおじさん、おばさんが自然にふるまっている。
今日も、ねぎをかじって「わぁ、からいわ」と苦味の顔したり。

途中、郁恵が合宿していた学校?のスケート場に訪れた。
そしてスケート靴をはいて、リンク場に立つと
元・オリンピック選手の顔になった。
その姿は、厳しく真剣な真顔でニコニコ歩く郁恵ちゃんとは
別世界の人になっていた。

やはり、世界を極めた人は、存在が大きく感じられる。
この誰にも負けない自信がわれわれにも伝わってくる。

今日は和田峠越えで24キロの最大難所のひとつを歩く。
水戸浪士・天狗党、皇女和宮など幕末でも多くの歴史に残る人々が
それぞれの想いで越えていった。

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ところで、この写真の案内本は中津川の観光案内所で
9月に手に入れたもの。
これを参考に今日はどこ、明日はいずこまで、と
まるで自分が歩いているようで楽しくなるのである。
さらに広重や英泉の「木曽海道六拾九次」の浮世絵も楽しい。
加えて、前日の歩いた時のアルバムも
街道てくてく旅」で公開されていますよ。

明日も、
郁恵ちゃんは、どんな想いで歩くのだろうか。
がんばれよ!



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