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2006年10月14日 (土)

白洲正子の西美濃(2)

白洲正子が西美濃を訪れたのは少なくとも3回はある。
そのうち、大垣市赤坂町の御茶屋屋敷に2度、牡丹を鑑賞に来ている。
あと1度は、安八郡神戸町の日吉神社にも来ている。

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「白山比咩(ひめ)の幻像」(十一面観音巡礼、講談社文芸文庫)という随筆に掲載されている。
この中で、正子は「この連載をはじめた頃から、どうしても見たいと思っている観音様があった。」
この観音様が神戸町の日吉神社にあるとわかり訪れたのだ。

日吉神社は、弘仁8年(817)安八太夫安次という人が、伝教大師を招いて近江の日吉山王を勧請したと伝えられ、毎年春に行われる「神戸の火祭り」は有名である。
しかし、優れた十一面観音像があるとは、私も知らなかった。
いや、地元でも知っている人はほとんどいないのではないだろうか。

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(行雲抄、世界文化社)
正子が、日吉神社を訪ね、宮司さんから収蔵庫の安置してある観音様をはじめて眼にしたとき
「私のあこがれていた観音様で、想像して以上の美しさに、思わず深いため息をつく」のであった。

「それは、
『梁塵秘抄』の今様が、そのまま現実の形となって現れたように見えた。
時代は平安中期ごろであろうか、今まで見たどの仏像より日本的で、彫刻も、彩色も、単純化されている。宝瓶は失われているが、首飾や瓔珞をつけていた形跡もない。頭上に十一面は頂いているものの、これはあきらかに神像である。

そういって悪ければ、日本の神に仏が合体した、その瞬間の姿をとらえたといえようか。
十一面観音は、様々の神に変化するが、美濃ならば白山比咩(ひめ)に違いないと私は思った」のである。

確かに、写真でみる限りこの十一面観音は実に素朴でいかにも初期のうぶな趣がある。
均整の取れた美術的な意味での作品というより、
かわいいというと失礼だが、愛嬌がある。

実物は30センチにも満たぬものらしい。
「行雲抄」のなかに
「心に残る観音像」という随筆では、正子が63の観音像をリストアップしている。
その中で、この日吉神社の観音像は、国宝の法隆寺の救世観音に次いで2番目にあげられているのである。
この観音像から受ける印象を
正子は
『梁塵秘抄』の
「仏は常にいませども 現ならぬぞあはれなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見え給ふ」
ということばに置き換えている。

多くの観音像を見聞きし、観音信仰についての深い造詣のある白洲正子がこれほど絶賛している小さな観音像。

観音信仰は、この西美濃でも強く浸透している。
一方、白山信仰もごく普通に受け入れられている。
それにもかかわらず、なぜ地元はこれを取り上げていないのだろうか。
見方は、人それぞれではあるけれど、
なぜ評価されていないのか、
無視されてるのだろうか。

無名の彫刻師が、ごく自然に作り上げた観音像。
実物をぜひ見てみたいものだ。

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