中仙道を歩く/中津川宿~大井宿
中津川宿から西へ
この頃、運動不足だ。体力は足腰から衰える、という。
じゃ、というわけでもないが、久しぶりに歩いてみた。
9月9日土曜日、青春18キップを使用して中央線中津川行きに乗る。
セントラルライナーは310円が別に必要だ。
多治見からは不要という変則的なものだ。
だから、車内はガラガラ。
JR東海の「秋のさわやかウォーキング」も始まって、常連さんはそちらへお出かけらしい。
お昼前に中津川駅に着く。
駅の左手にある観光案内所でパンフをいただく。
歩く人が増え、どの自治体も観光に力を入れている。
そのせいかパンフが行く種類もあり、しかもデザインや写真がきれいだ。
駅近くの店「おふくろ」で五平餅の昼食をとる。
ここはみたらし団子の形のもので3つが串に刺してある。
五平餅5本と漬物がついて577円なり。
甘さは控えめ。
焼き立てでうまい。「ハフハフ」しながらお茶を飲んで食べる。
商店街をぶらつきながら西に向かう。
街がのんびりしている。
人もほとんどいない。
四つ目川を渡る。
何度も水害で川筋が変わった。
四つ目が今のここの川らしい。
中津川は歴史資料の宝庫
中津川市中仙道歴史資料館に入る。
常設展「激動の幕末から明治維新へ」、特別展「付知村 田口家展」
文書・画が主に展示されている。
特に幕末期の中津川をめぐるさまざまな動きは時代が確実に変わり始めていることが伝わってくる。
皇女和宮の降嫁、天狗党の西進、赤報隊の進軍など中山道の宿場は何かと動きが大きく、当時の人がどういう対応をしたのか興味深い。
資料館を出て進むとやがて枡形に突き当たる。そこに栗きんとんの「川上屋」本店がある。銘菓「栗きんとん」は中津川が発祥の地だそうである。
さらに西に向かって歩いていくと大きな川だ。
これが中津川だ。かつては川上川と呼んでいたとか。
西に向かうと小高い壁に突き当たる。
石屋坂である。馬頭観音などの石柱がある。
私の住む西美濃にも馬頭観音は数多くあるが、こうした石仏はあまり見られない。
地方によりさまざまな祭りかたがあるのだろう。
坂を上がって曲がりくねった道を行く。
久しぶりの歩きで体全体が苦しい。
まだ、本格的にエンジンがかかっていない。
引き返すことも考えたが、少し辛抱してみる。
それにしても昔の人は丈夫だったと思う。
旅をすることは自分で歩くしかないのだ。
ひたすら歩き続けるしかない。
上宿の「一里塚」跡があった。
榎など植えて木陰をつくる。
ここで旅人は小休止したのだ。
このあたりの旧街道は、車もあまり通行しないので比較的歩きやすい。
それに案内板が適切に建ててあるので道に迷うことはない。
国道19号線にぶつかり中央高速道中津川インターの進入道路で中山道は突然消えた。
案内地図をみて迂回する。
近くをJR中央線が走っている。
美濃坂本駅はこの先だ。
すっかり秋で稲が黄金色に輝く。
一番豊かな季節だ。
そして農家は忙しい季節だ。
機械化でどこでもコンバインが活躍している。
そして軽トラで収穫された米を運ぶ。
あたりののんびりした風景を見ながら歩くと楽しい。
時々、史跡案内板がかつての街道の様子を伝えている。
「立場跡」はかつての茶屋などがあった休憩所のこと。
「常夜灯」も街道には欠かせない。
夜になってしまい心細い旅人が常夜灯の明かりを見つけてほっとしたことだろう。
今の時代はともかく闇というものがなくなった。
自販機、街路灯、民家も点在して怖い場所もほとんどない。
ナイトウォーキングでもそれほど困難ではない。
「白木改番所跡」というのは、中仙道独特のものだろうか。
木曽五木は「木ひとつ、首ひとつ」といわれ持ち出しはご法度。
大木の運搬は木曽川を利用するが、小さな木は街道を運んだ。
そこで厳重に持ち出すことを禁じた尾張藩が厳しく取り締まった関所がこれだ。
馬籠峠付近にも存在していた。
茄子川の町に入ると大きな庄屋屋敷がある。
「明治天皇茄子川御小休(こやすみ)所」という石碑がある。
明治天皇が巡幸の折、ここで一休みしたということだ。
なぜ石碑まで建てたのか。名誉の誇示か。
それもあるがそれだけではない。
江戸の封建時代から明治国家に変わるとき、政府は天皇をいかに人民に「見せる」かに苦慮した末に全国を回り、意図的に天皇が最高権力者ということを知らしめたのだ。
明治5年から6回にわたり全国を巡幸している。
この中山道は第4回目にあたり、明治13年6月東京を出発し、甲府、松本、木曽路を抜け名古屋、大阪をたどるコースで7月23日まで費やしている。
政情不安のなか、政府首脳や護衛の巡査も随行しての大集団の移動だった。
迎える地元もさぞ大変だっただろう、と思う。
しかしどこも大勢の人が熱狂的に出迎えたという。
大井宿へ入る
中津川市から恵那市に入る。
道路沿いに栗の木がある。
さすが本場だ。
焼き栗、ゆで栗、栗ごはん、栗ようかん。
何でも美味そうだ。
甚平坂をカーブしていくと恵那の町は近いぞ。
昔はもっときつい坂だったらしい。
が、明治天皇の馬車が通られるということで地元が総出で坂をなだらかに作り変えたとも言われる。
まあ、今でも天皇陛下がご訪問となるといろいろ直すもんね。
時代は変わっても一緒かな。
下呂温泉の水明館のお手伝いさんから聞いたことがある。
天皇が宿泊される半年以上も前から警察や保健所など大変厳しい監視体制が続くらしい。
いきなり、眼下に恵那の町並みが見えた。
旅人はこんな風景を見て、どう感じたのだろう。
今の車時代と違い、歩き続けた結果、「着いた!」といううれしさは表現できないくらいだったのかもしれない。
やはり、歩いてみると本当に感動する。
車で10分程度、電車で2駅なのに、2時間も3時間もかかって歩くのだから。
その喜びは歩いた人のみが感じることができるのだ。
大井宿、今の恵那市はこれまた魅力ある町並みであった。
いたるところに江戸の面影がある。
そしてここにも明治天皇の石碑が建っていた。
中津川宿から大井(恵那市)宿まで10キロ程度だがなかなか味わいのある歴史の道であった。
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