« 周防大島の旅(10) | トップページ | 人気過剰の無用門 »

2006年9月 2日 (土)

ジジババ徳山村物語を聞く

大西暢夫写真展&トーク

20069jpg 
徳山ダムで水没する旧徳山村を撮り続けた写真家、大西暢夫さんの写真展に行った。
『僕の村の宝物・ジジババ徳山村物語』という。
大垣市のスイトピアセンターで9月1~3日まで開催されている。
今日・2日は大西さんのトークもある。

大西さんは揖斐郡池田町の出身。
現在はさいたま市に住んでいる、フリーのカメラマン。
徳山村で15年にわたり村の人の生活を撮っている。
著書に「僕の村の宝物・ダムに沈む徳山村 山村生活記」や
「ひとりひとりの人・僕が撮った精神科病棟」などがある。

会場は中高年者がほとんどで、言葉を聞いていると多分西美濃地方の人が多い。
お互いにあいさつしている旧徳山の人もいるようだ。
写真展の会場にイスが並べられ200人ぐらいが集まっている。
大西さんは38歳で、ひげを少し生やしたやさしくてシャイな感じがする。
先ほどまで会場でいろいろ手伝っていた人だ。

マイクを手にして話が始まった。
「私が東京から初めて徳山に来たとき、自分は何もできなかった。
おばあちゃんに、ちょっと、火、付けといて、と言われても便利な電気の生活に
慣れているものにとって、火を焚きつけることさえできなかったのです。」

「同じ揖斐郡に住んでいたのに徳山のことはほとんど知らなかった。
子供の頃、日本一のダムができることに喜んだことさえあった。ダムで有名になると」

「増山たづさんに、ある夫婦を紹介してもらい、それから長い付き合いが始まったのです。
山菜や栃の実を採ったり、川へ行ったり、いろりで昔話を聞いたりして、山の生活は、本当に楽しいし、自然も豊かです。
徳山の人は本当に何でも知っています。
私も楽しくて仕方がなかったんです。
いろいろなことを教えてもらいました。
しかし、いよいよ9月から湛水試験が始まります。私たちももう入ることができません。」

とつとつと話がされる。
言葉ひとつひとつをかみ締めながらゆっくり。
「さて、今日は特別ゲストで徳山の人3人に来てもらっているので昔の徳山の思い出など話していただきます。」との声で会場に3人が拍手の中、登場された。

Jpg_8

小西さん夫婦、と広瀬ゆきえさんの3人。
ゆきえさんは今朝早く徳山村から出て来たという。リュック姿だ。
小西政治郎さんは移転先の本巣から来られた。

小西政治郎さんは大正10年生まれで86歳だというが元気もりもりで顔つやがいい。
大西さんが何でも話してくださってけっこうですから、というとマイクを握り締めて

「本日は、お忙しいところ、大西さんの写真展に来ていただき誠に・・・」と固いあいさつをされ会場から笑いがもれる。
しかし、これが精一杯の感謝の表現だと思う。
小西さんにとって、大西さんは自分の孫のように可愛いのだ。

「徳山は遺跡調査でも、縄文時代から生活していたらしいということです。
関ヶ原後も、9千石で8カ村あって地区の境がはっきりと木で分けてありました。」

「マムシのことかな。そりゃ今でもとらまえると持ってきてくれますので酒にして飲んどりますわ。あれは、カルシウムがたんと入っとるでな。
おかげで健康で今でも車にも乗っとります。

移転先の裏山に竹がぎょうさんあって管理を任されとります。それで竹炭を焼いてましてな欲しいいう人にあげてますわ。部屋に置くと空気が浄化されていいらしいです。みなさんよかったら私んどころにいつでもゆうてください。」(会場から笑い)

「栃の実ですか?それを食べんと年が越せんいうほど楽しみなもんです。しかしアクを抜くのに手間が随分かかりますわ。昔の人は、よう考えましたな。」

「70年くらい前は、縄文人のような生活でしたな。電気も何にもない。はじめてバスというもんを見たのは13歳でした。山を歩いて、長浜?へ行きました。大きな倉庫のようなものがきたので逃げましたら、あれがバスだと言われびっくりしました。」

「みなさんは、よう徳山御殿なんていいますが移転してから私の地区から6軒もの家がどこかへ行ってしまって行方不明ですわ。ローンだとが原因です。徳山にいた頃はそんな家は1軒もありませんでしたな。」
小西さんの話は、大げさでもなく、しみじみと昔のこと、今の思いを正直に出され胸に伝わる。

こうした写真展を長野で開催したとき、
会場の若い女性が「主食は何ですか」と聞かれ
「米じゃ!」と答えたそうである。
大西さんは徳山に住む人を人間扱いしていない、と笑いながらも
このギャップを嘆いておられた。

広瀬ゆきえさんは、門入地区に今でも住んでいる?人で、元気なおばあさんだ。
夫の司さんが亡くなってからずーと一人でくらしている。
大西さんはこの人と囲炉裏に入って昔の話を聞くのがたまらなく楽しかったという。

「昔は道がなかったな。ホハレ峠を通って川上(坂内村)に抜けた。娘時分に栃板を4貫担いでいくと50銭もらえた。そりゃ楽しみだったよ。
その中に、いい男はいなかったな。アハハ・・」

夫、司さんとのなれそめについて聞かれ
「親戚どうしで決めた人で、顔も何にもしらなんだ。北海道の人で、それで北海道の
真狩村、そうそう細川たかしの出身の村、へ嫁に行きました。
12年くらいいましたが、また戻ってきたんです。親戚で跡取りがおらんでなあ。
昔は、ここからも開拓で北海道へ行っていたようですな。」

はつえさんは、思い出しながら懐かしそうに話をされる。
ゲストからそのほか、栃の実が食べられるまでの作業などあって拍手の中、退場された。

大西さんの話は、最後に次のように話を締めくくられた。
「今まで、何年も徳山の人と話をしてきたが、ダムについて1度も話したことがなかったのです。
タイミングがつかめなかったこともあります。
蛇口をひねると水が出るし、便利な電気の生活、そして治水と、豊かな生活を維持するためにはダムが必要かもしれません。
でも1500人もの村の生活と便利さとを天秤にかけたときダムのほうが重いのか。
どうなんだろうか、と考えます。
『老木を引き抜いて、新しいところに植え替えてもはたしてうまく根付くだろうか?』
こんな疑問がしました。
古くからずーと続いた村が僕達の時代で壊してしまっていいのだろうか。
ずーと先まで心残りになっていきはしないだろうか。
こんなことを頭の片隅に留めておいて欲しいと思います」


20069
会場にある82点のモノクロ写真。
自然と暮らす徳山の人、移転準備のようす。

特に、ひときわ私を引き付けたものはこの写真である。
明日、家が取り壊される。
がらんとした囲炉裏の前でひとり座るおばあさん。
まるで武士が切腹を覚悟したときのような
鬼気迫る姿には、万感の想いが伝わってくる。
人生が、慣れ親しんだ風景が、世話になった生活の臭いがしみ込んだ家が消える。

1枚の写真が訴える意味の重さを強く感じた。




« 周防大島の旅(10) | トップページ | 人気過剰の無用門 »

コメント

コメント ありがとうございます。写真展だけでは見えなかったものが、大西さん自身の話やトークで非常に味わいのあるものになりましたね。小西さんが見たバスは長嶺の方ですか。ありがとうございました。

こんばんは。はじめて拝見しました。あなたさまのお話、なかなか深い洞察のブログですね。僕も大西さんの写真展見てから、トークも聴きました。あまりにも涙そそる、ジジババさんの感動の写真でした。皆さんにみてもらうには、会期がみじかすぎますね。作品とトークから、徳山ダムへの功罪について、深い説得力を感じました。徳山村は、世界遺産か国立公園にしたほうが、国の大金をダムにつぎ込むより、日本の未来のためには、よかったのでは? と思ったりしますね。あなたさまのブログの中で、小西さんがバスをみたのは、根尾の長嶺のことだと思います。日本の宝が水に沈むのは、悲しいですが、この正しい答えが出るのは、もっと未来になることでしょうね。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/111086/3296713

この記事へのトラックバック一覧です: ジジババ徳山村物語を聞く:

« 周防大島の旅(10) | トップページ | 人気過剰の無用門 »

2016年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

日本ブログ村

最近のトラックバック

無料ブログはココログ