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2006年9月30日 (土)

白洲正子の西美濃(1)

白洲正子は西美濃へ少なくとも3度来ている。
[行雲抄」によると
うち、2回は、大垣・赤坂にある矢橋家の牡丹園である。
「矢橋家の牡丹園」という随筆の初出は「太陽シリーズ43 花の図鑑
夏」1986年5月(昭和61年)である。

本家の矢橋龍太郎氏から、牡丹を見に来ないかと招待されたのだ。
陶芸家、荒川豊蔵との関係を通じて懇意になったようだ。

矢橋家は地元でも名の通った旧家だ。
私の叔母(故人)は赤坂に嫁いだ。
その叔母がよく矢橋さん宅を「赤壁」といっていたものだ。

広大な土地、長い赤壁が続く屋敷、矢橋大理石、矢橋林業など関連企業をいくつも有している。
しかし、叔母からの情報はそれだけだった。

また矢橋さんは「お茶屋屋敷」と呼んでいる牡丹の名所も有しており
春には大勢の人が訪ねてくる。
場所は、中仙道・赤坂宿、現在は大垣市赤坂町にある。

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「まわりにひなびた竹垣をめぐらし、冠木門が開いている。
これは年中開けてあるのだそうで、誰でも自由に出入りすることができる。
・・・・眼の前に繚乱たる牡丹の林が出現した。」
確かにこれほど大規模な牡丹園は少ないだろう。

「本場の中国では、牡丹の花見といえば、明け方の3時頃から、1日がかりで行うのが普通である。・・・客は酒を飲み、ご馳走を食べながら昼寝をし、
酔眼朦朧とした中で花を鑑賞する。そして、夜ともなれば、・・・」
「牡丹園のかたわらに、三宜亭というお離れがあり・・・・。三宜亭というのは雪月花のことだそうで・・・まことに適した名前である」
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私は、花にはいたって疎いから牡丹の魅力はわからないが
「ほんとうにいい花が見られるのは一生のうち2へんか3べんしかない」らしいし「矢橋さんにうかがうと牡丹の花は時々刻々に姿を変えるという」

また正子は、牡丹に限らず、矢橋さん自身の生きかたに関心を持つのだ。
「矢橋さんには、『茶臭』がまったくないのが気持ちよい。」
矢橋さんは「わたしは宿場モンです。昔から利休や芭蕉が来ては去って行きました。文化のかおりは残していくが、何一つ身に付かない。」といわれる。
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白洲正子は、その年の暮れに寒牡丹を見に再び矢橋家を訪れている。
誰もいない園内に伊吹おろしにさらされた寒牡丹が寒さに抵抗して見事に咲いている。
「・・・ほんとうの美しさは、寒さに耐えて咲く寒牡丹にあることを、私は身にしみて知ったように思う」のだった。

こうした白洲正子の随筆は、簡潔で分かりやすい。それに読む人を納得させる何かがある。研ぎ澄まされた洞察力というのか、表現がうまく、その光景が鮮やかに再現されるようだ。

本物の文化とはこんなもんよ、とでも言いたげである。
西美濃に根付く歴史と文化をこうした視点から紹介されているのも嬉しいことだと思う。

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