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2006年8月27日 (日)

周防大島の旅(7)

沖家室島のこと

Photo_40

沖家室(カムロ)島は今年「開島400年」を迎えた。
中国新聞の1月4日の記事を抜粋する。

「周囲4キロ、面積0.95平方キロ。周防大島町の東南端に浮かぶ沖家室島は今年開島400年を迎えた。地元に残る記録では戦国時代まで伊予の水軍で知られた河野氏の家臣が1606年海を渡り定住。以来、海上交通の要衝となり、江戸時代、瀬戸内屈指の漁村として栄えた。明治期に人口は3000人を超え、ハワイや台湾、韓国などに移民を送り込んだ。
戦後は高度経済成長のあおりを受け、島の過疎化が進む。現在は131世帯、189人が暮らし、高齢化率は73%を超す。」


 文化交流センターに展示してある一本釣り漁船は家室船と呼ばれ瀬戸内はもとより台湾、ハワイにまで出漁していたものだし家室針と呼ばれる釣り針も播州などから技術者が来て専門の釣り針製造の産地ともなった。
島は海によって閉ざされているのではなく、どこにでも繋がっており行くことができる進取性を持っていた。

この島にも宮本が大きく関わっている。昭和58年に全長590メートル沖家室大橋が完成した。30年以上にわたる島民の運動に加え、離島振興に国や県を動かし実現したのだ。
しかし、完成の2年前に宮本は亡くなった。

開通当時の人口は約450人というから過疎化はとまらなかった。
だが橋がなかったら無人島になっていたかも、と島の人は言う。

島の3分の1、約60人が年寄り。しかしお互いに食事など助け合って生活している。
都会に住む息子らが説得しても島を離れようとはしない。

毎年、お盆になると約千人の帰省があり島が大いに賑わう。
に沈む島」と呼ばれる所以である。

日本人を考えてみる。
故郷とは一体なんだろう。
毎年、盆正月になると都会から多くの帰省客がふるさとをめざす。
新幹線も高速道路も大渋滞だ。
それでも帰りたいという気持ちは何だろう。
押さえがたい望郷の念。
親や幼友達に会えるだけの理由だろうか。
田舎の不自由さや窮屈な人間関係そして何より働けないという経済的な理由で飛び出していったのではないのか。

離島や山村がますます老齢化し、村そのものが存続できない現実もある。
消滅する村が増える。
地方が危機だ。東京ばかりが増殖していくシステム。
このままでは、盆正月に帰るふるさともなくなる。

今回の旅はこの小さな島にも行ってみたいと思っていたが台風の襲来で断念し
勇気ある撤退となった。
(以下 次号)

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