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2006年8月26日 (土)

周防大島の旅(4)

周防大島文化交流センター(2)

展示資料室には、宮本の著作などの書籍が閲覧できるコーナーもある。
写真にしろノート、メモにしろまだ未整理のものが膨大にあり宮本の全仕事が
世に公表されるにはまだ時間がかかりそうだ。

ところで、この館が「文化交流センター」であって、なぜ「宮本常一記念館」ではないのか。
それが私には始め不可解だった。

彼の遺品ともいえるモノはないのか。
あった。
Photo_38

ガラスケースの中にわずかに並べられている彼の愛用した品々。
キャノン、アサヒ製のカメラ、そろばん、虫眼鏡、髭剃り、水筒、めがね、お守りなど。
飛鳥資料館の会員証、万葉集、風土記などの文庫本。

この程度しか並んでいないのだ。
宮本はともかく「旅の人」だった。
同じ民俗学者でも柳田国男のように書斎にこもる研究者ではなかった。
リュックを背負いこうもり傘を入れて、ズック靴をはいて歩き回った。
富山の薬売りと間違えられることもあった。
取材に使用したこれらの道具も単に消耗品でしかない。
ものに特別こだわったり愛着はなかったようだ。

とくに昭和15,16年には年間200日以上、実に3分の2は旅に出ていた。
全国を歩き回り、話を聞き取り、メモし、写真をとるという調査が彼の仕事だった。
旅先の村や島が彼のフィールドだった。
話し込んでは、その人の家に泊めてもらい話は深夜まで及んだという。
話す相手も決して嫌がらずむしろ大変喜んで話したというほど聞き上手だった。
今度来るのを楽しみに待っていたと言うのだ。
宮本の人柄がよく分かる。
こうして泊めてもらった民家は千軒を超えるともいわれる。

彼は、画家でも小説家でもない。
作品は撮影した写真であり聞き取りノートであった。

それこそが貴重な遺産であり、今後生かされていく資料である。
おそらく彼は顕彰されることは好まなかっただろう。
地元やそれぞれの地方の人々との交流の場になることこそ彼の意思でもあったと思う。
そういう意味で「文化交流センター」が相応しい。

没後20年を記念して企画され、5億円余の事業費をかけて、ようやく平成16年5月18日開館した。

じっくり見学したいと思ったが残念ながら時間がない。
いずれまた訪れる機会もあるだろう。
受付で「宮本常一という世界」佐田尾信著 みずのわ出版(3000円)を購入して辞去した。
(以下 次号)

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