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2006年6月30日 (金)

恐怖階段

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屋上から降りてみたら、その先は、エッ~!

スリル満点。
でも、何のためにこんなものを作ったんでしょう。

下にある青いビニールシートが気になります。
ビルの持ち主はさらに改造して一体どうするつもりでしょうか?

こわ~い謎です。

(名古屋市北区)

気弱な警告

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犬に何回言ってもダメなので
とうとう飼い主にお願いしています。

でも犬は勝手にウンコしてしまいます。
そこで、
出てしまったものは仕方がない。

せめて、後始末ぐらいはしてね、と頼んでいます。
きっと、気の弱いやさしい人なんですね。

ガムテープで止めてあるところが
急場しのぎの切迫感を表しています。

(名古屋市北区)

巨大あやとり

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とにかく、この駐車場の管理人さんは
小さいころからあやとりが大好きだった。

お婆ちゃんから教えてもらったのを
いま、思い出してやってみたんです。

どうせやるならでっかいのをと思って
つくった超芸術作品です。

くもの巣のようにも見えます。
管理人が手にした車を逃すもんかという魂胆も見え隠れしています。

(名古屋市東区)

2006年6月23日 (金)

煙突と夕暮れ

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こんな風景は寂しくなるなあ!
お家に帰りたくなるよぉ~

エントツという言葉も今ではめったに使われなくなった。
お風呂屋さんや町工場のシンボル的存在だった。

時代と共に消えていく風景。
しかし、これは現役だ。

夕暮れの景色は一瞬に変化していく。
西の空が赤く染まるとただごとではない。

何かが起きる予兆だ。
そう思う瞬間、思考は停止する。待て!

身動きできないほど美しい光景に
恐れを抱く。

どうあがいても自然には勝てないと思う。
神にひれ伏す瞬間がこの時間である。

覗き穴(3)

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確かに絶対的必要条件だよ。

穴なくては役立たずです。
けどね、覗いた人はがっかりだよ。

熱風が吹き出てお顔がやけどするよ!
用心 用心さ。

(名古屋市北区)

2006年6月22日 (木)

治水神社の守り猫

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我輩は猫である。
みりゃ分かる。

一見平凡な猫に見える。
違う!

こう見えても、新聞にも登場した有名人、でなく猫なんだ。
猫 ひろし、でも猫田議員とも関係はない。

私、実は、治水神社の守り猫なんです。
あの木曽三川公園にいるんです。

2006年4月22日(土)中日新聞朝刊の岐阜県版に
ぎふ国境物語「海津」の記事でばっちり、
私の写真が載ってるんです。
治水神社の前でリラックスして座っている優雅な姿。

あの記事が出てから、モノ好きが私を見に来るのです。
ほっといて欲しいんです。ホントはね。

でも、わざわざ来てくれたんでこうしてポーズとってあげてるの。
毎年、遠く、薩摩からも来るので喜んでるんです。

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あの宝暦治水事業は大変だったと、何代か前から伝え聞いてます。
尾張の人は知らないけど、美濃や海津の輪中に住む人は
そりゃ、難儀しましたよ。

輪中根性なんて馬鹿にしますけど、命からがらの毎日でした。
島津藩は莫大な藩の金と八十名あまりの藩士を犠牲にしたんです。
その悔しさや悲しみが強い意志となって明治維新へと発展したのでしょう。

今では三川公園を訪れるのは、年間200万人近くにも。
しかし、治水神社まで足を伸ばしてくれる人はほんの一握り。

でも、いいの。
すこしでも昔のことを偲んでくれる人がいればそれでいいの。
満足してるのだニヤ~。

(岐阜県海津市)

2006年6月20日 (火)

自然がくれたネックレス

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清らかな流れの中で石男クンと石子さんの結婚式。
桜の花びらもお祝いに駆けつけネックレスのプレゼント。

自然界ではこうしたセレモニーが繰り広げられているのです。
知らぬは愚かな人間ばかりなり。

(滋賀県米原市)

覗き穴(2)

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この切抜き穴、なんとなく間が抜けてますね。

鍵を開けるためだけに作ったんですか?
なんかもっと工夫できなかったのでしょうか?

それとも後から気づいて
わざわざ穴を開ける失態をしでかしたの?
鍵も安っぽいし、まあいいか!

向こう側は、閉鎖された駐車場です。

(岐阜県大垣市)

覗き穴(1)

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「覗き穴」って少しどっきりしません?
なんかエロっぽい感じも漂う。

しかし、子供だって覗きたくなるでしょう?
どこか隠されている秘密を知りたいという好奇心あるもんね。

これはガスのメーターです。
検針員さんも覗くんです。
いやらしいね全く!で、デモ仕事ですから。ハイ。

(岐阜市内)

ニットな家

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♪あなたのお家はニットなる、
 あなたのお家はニットなる~
 ニットニトニト~

そんなコマーシャルにぴったりのお家が見つかりました。
でも、ちょっとお口開けすぎかな~

(岐阜県神戸町)

作品34K5号

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駐車場の生け花。
34K5のコード番号にはなにか隠された秘密があるのか。

この暗号を解読して君に対するメッセージを読み解く。
それとも無意味な文字の羅列にすぎないのか。

そのことには無頓着で
排水溝のグレーティングを剣山に見立てて
可憐で逞しく、そしてひっそりと生きている。

でも、心配なのは
きれい好きの管理のおじさん
そして気まぐれなガキ達さ。

頼むからそっとしといてくれよ。
(岐阜県大垣市)

2006年6月17日 (土)

徳山村はいま!

昭和61年に移転し村が消えた。
いまどうなってるのか。
うす曇のなか、現地(岐阜県揖斐川町)へ行った。

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ダムの形はほぼ完成している。
ロックフィル式、さすがにでかい。

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最後まで残っていた小学校が寂しそうだ。
工事関係者のダンプやらが走り回っているのと対照的だ。

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映画「ふるさと」が製作された記念碑がひっそり建っている。
途中、工事関係者からこの先の進入は止められたが
記念碑までならOKということだった。

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映画「ふるさと」は徳山の自然がいっぱいで、認知症の老人や
やさしい子供たちが普通にふれあう懐かしい映画だった。

増山たづ子お婆ちゃんの写真をみると、楽しい暮らしをしていた
お金はなくとも、心は豊かだった。穏やかだった。

あのころの生活はどこへ行ってしまったのか。
モノに溢れ、何かを失ってしまった僕らの生き方。

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この橋を見つめていると、当時行き交った人々の話し声や笑いが
聞こえてくるようだ。

もはや、永遠に渡ることがない。
ガードレールがむなしい。

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ダムに水が貯められ、湖底が沈むと
この近代的な橋を観光バスが走り、

かつてここに村があり人々が生活していたことを
昔話のようにガイドするだろう。

しかし、人々の哀しみは、いつまでも湖底の石に残って
決して日の目を見ることはないだろう。

オートバイ。その名は「陸王」

おやじの背中(4)

親父は、けっこう新しいものにはまっていた。
「陸王」と呼ばれるオートバイもその内のひとつだ。

僕らはリコーと呼んでいた。
エンジンを掛けるとボトボトボトと逞しくも重厚な音がした。

丸いヘッドライト、全体が丸みを帯びた青い躯体のオートバイ。
一度止めたままで乗ってみたことがある。

両手でハンドルを支えて、ボディにやっとまたがると
僕の小さな体がふわりと乗っかっている状態だ。危うい。

親父は笑った。
そんな格好じゃな。ダメだ、と言うわけだ。

田舎町にはこんな最新の乗り物に乗ってる人も珍しい時代だった。
親父は小柄な体で乗り回していた。

小学生のころだったと思う。
生まれつき病弱な僕を後ろに乗せて
知多半島の新四国八十八ヶ所霊場めぐりに行った。

夕方になり、途中、知多半田の駅前だったかオートバイを預けて、
1週間後に電車で半田まで来た。

あわて者の親父、オートバイのキーを忘れた。
仕方なく、そこで合鍵を工面してもらい、何とか出発した。

おやじの背中にくっついて「陸王」は風を切りながら走った。
どんなところをお参りしたかはよく覚えていない。

しかし、背中に必死につかまっていたことは忘れていない。
このオートバイをいま街で見かけることはまずない。

小さな主張

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あれ まあ~
こんなところにも顔を出しているんだ。

わかったよ。
君が一所懸命に生きてることは認めるよ!

でも気をつけてね。
君を取り巻く敵はいっぱいいるから!

(名古屋市東区)

恥ずかしいポスト

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郵便ポストは数あれど、こんなに過保護なのは珍しい。
強い日差しや厳しい嵐にはとても耐えられそうもありません。

このポストの存在すら薄れていってしまいそう。
でも、彼にお手紙の返事を出したり、

妻に内緒でサラ川を投稿する人には
重宝されていますよ。

隠れたフアンがいるんですよ。
(愛知県津島市)

2006年6月11日 (日)

通勤電車は夢空間

三上(さんじょう)と言います。

つまり、馬上、枕上、厠上のことです。
考えたり、文章をまとめたりするのに最適な場所のことで

馬の上、寝床の上、トイレの上(中)。
馬の上は、今で言うと電車や自動車の中ということだろう。

通勤電車は、確かに何かを考えるには良い場所だ。
朝、見てごらんなさい。

あるスーツ姿のサラリーマンは会社の書類を見て、今朝の営業のことを考えている。
男子高校生はテストの暗記もので、ノート見て呪文らしきものをブツブツ。

日経新聞、中日スポーツ、朝日新聞広げているくたびれ年配男性。
化粧するOLたち。だんだんメイクが出来上がる過程が真剣そのもの。

目をつむり瞑想するもの、腕組するもの。
車窓をぼんやりみているもの。

仲良し旅行に出かけるおばさんのうるさいおしゃべり。
眠りこける学生。

ケータイでのメール打ちに忙しいミニ女子高生。
ドアにもたれてディバッグ肩にかけ文庫本を読む旅行者風中年。

まさしく人間社会の縮図そのもの。
満員電車の中ではすべてが他人。

これから始まること、待ち構えていること、など
車内は、夢、希望そして不安、恐れで充満している。

どう立ち向かっていくのか思索し、夢想し、
そして自分を励まし決意する。

そうした人々を目的地へ運んでいく夢列車。
朝の通勤列車は霧に包まれたそれぞれの未来に運ぶ夢空間。

いったい何が待ちうけているのだろうか!

無意味な階段?

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出ました!
これぞ まさしく純粋階段。

つまり、トマソン的世界では、有名な無用の長物第1号指定!
でもね、世の中、以外に多いのよ。こういう類はねぇ~

木製だから取り外しは簡単なのに。
きっと、主人のプライドが許さないんだよ。

わかるわかる、ウンウン。

(奈良県桜井市)

2006年6月10日 (土)

木に気をつかう

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どこまでもお構いなくすくすく伸びていく

家主も木には勝てません
仕方なく、塀が遠慮して!

まあ、あきらめて木のすむようにさせています。
太っ腹な家主に拍手!
パチパチ!!

(滋賀県米原市)

2006年6月 9日 (金)

看板

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子供のころから
電車に乗ると窓の外に映る風景を見ているのが好きな少年だった。

「おきあがり」の次が「さいちゅう」かな?
ず~と疑問だった

「もなか」と読むことを知ったのは中学生のころ。
大人になった今でもこの看板を見ると口の中ではつい「サイチュウ」と読んでいる。

国鉄がJRに変わり、田んぼや畑が住宅、道路になって
この種の看板がほとんど消えた。

しかし、この「起き上がり最中」は今だ健在である。
岐阜の名物菓子として駅売店にもある。
(愛知県一宮市)

悩むドア

「お入りください」と言われてもね~
200662_007jpg 押してみて
引いてみて
ノブを回すの

気が狂うよ~

(名古屋市北区内)

2006年6月 8日 (木)

残ったお隣さん(1)

20024_008jpg1ホントに
仲良しだったの、お隣さん。

いつも僕にくっついてお互い支えあってきたのだ。

よる年波には勝てず、壊れてしまったんだね。
でも、その骨の一部をちゃんと残してくれたからな。
いつまでも君のこと忘れないよ。

よけいな事ですが
この撤去された物体が隣接する壁面に残されたものを
トマソン的には「原爆」と言っています。

(岐阜県北方町)

上野の西郷さん

おやじの背中(3)

母の実家・福島へ家族で行った時のこと。

東京の上野駅で常磐線に乗り換えることになった。

おやじは駅の壁に掲げてある時刻表を見て
「まだ時間がある、西郷さんを見に行こう」と上野公園へ行った。

犬を連れた西郷さんがどんな人かも分からないが有名な銅像だけに見とれていた。

やがて、予定していた時間に駅に戻るとややや
汽車はすでに出た後だった。

大きな時刻表は上野駅の到着時間だった。大チョンボ!

とにかく次のに乗ろう。
水戸駅から水郡線に乗り換え。しかし途中駅でストップ。

仕方なく知らない田舎の駅前旅館で1泊。
小さな旅館の手ぬぐいが汚かった。

おっちょこおやじの真骨頂。

でもそれがまた懐かしい。

謎の靴

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どう説明したらいいの?

  この状況を!

酔っ払いが犬に追っかけられた?

いや家人から締め出しくらって、

これを踏み台にして夜中に家に入ろうとしたのか?
放置された片足「紳士靴」もどこか恥ずかしげ。

いや~推理はつきない。

(岐阜県岐阜市)

鶏も大暴れ

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  いやあ、牛肉になりたくないよ~って
 脱走した牛くんもいるけど
  鶏だって同じだよ!

  だって、死にたくないもん!

  トリ肉になりたくないよぉ

看板まで大暴れして、吉田鶏肉店主も困ってます。ハイ!

(岐阜県八百津町にて)

神さまも災難

どうしたことですか。おいたわしい。トホホ。

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せめてもっと土台ぐらいは
頑丈にして欲しかったのに

なんか地についた感じがしないんだ

夏は涼しいけど、
冬は下から寒風が吹き上がって風邪を引きますよ。
クシュン!

(岐阜市内で発見)

落花生

おやじの背中(2)

駅前商店街にたった1軒落花生を売る露店があった。

仕事帰りおやじはよく落花生を買った。それも薄皮付きのものだ。歩きながら手でつまんでこするようにして薄皮をむく。それを口にポイッと放りこむ。香ばしい匂いがする。

さすが全部は食べきれないので残りは家にもって帰るのだった。ポケットから落花生の入った茶色の袋を「ほい」と言って子供たちに渡してくれる。

薄皮が時々ついて畳に落ちる。おやじの真似して食べるとぽくぽくして美味かった。

私が成人してからのこと。1軒しかないその店で買ってみた。店のおばさんは袋に入った落花生に少しおまけをしてくれた。おやじと同じようにして歩きながら食べてみた。少し恥ずかしかったが何ともいえず良い気分だった。

今では、その店も閉鎖されて跡形もない。
たまにその通りを歩くとおやじのことが少し思い出される。

2006年6月 6日 (火)

「あんとくいん」

おやじの背中(1)

おやじは、昭和52年に66歳で亡くなった。

今のような高齢化社会になる前でもまだまだ若かった。性格はきわめて温厚で、少しおちょこでめったに怒ることはなかった。照れくさそうな笑顔が印象的だった。

こんな話を叔母から聞いたことがある。

おやじは甘いものが小さい頃から大好きだった。おやじがまだ子供のころ家で法事があった。当時は野菜を型どった饅頭が引き出物だった。

それが足りなくなっていた。どうしたのか問われても知らぬ存ぜぬを決め込んでいたが、突然ゲロを吐いてばれてしまった。

いつの間にかおやじはもうひとつの法名「あんとくいん」がついた。
そして親しみをこめてこの名が今でも呼ばれるようになった。

恥ずかしながら、少しおっちょこで愛すべきおやじ。
薄らいでいく記憶の中から、断片をたどりつつ
おやじのエピソードを順次紹介しよう。

2006年6月 3日 (土)

水上 勉 の西美濃

地元とは全く遠い存在と思える著名人でも、あるとき身近に深い関係があることを知ると何となくその人が急接近してくる。そして親しみを感じることがある。

ある著名人にとっての「にしみの」とはどんな存在で、どう描かれ、どのように感じ取られているのか興味深いところがある。

そうした事例をすこし掘り起こしてみました。

今回は水上勉です。「金閣炎上」や「飢餓海峡」など有名ですが、2004年9月に亡くなりました。85歳でした。

近くの図書館で水上勉の著作から単行本「たそ彼れの妖怪たち」をぱらぱらめくっていたら偶然にも、「美濃のおいずる」という短編が目にとまった。

「美濃の笈摺(おいずる)」とは、西国33ヶ所霊場巡礼の最後の札所谷汲山華厳寺における花山天皇御製のご詠歌に「いままでは、親とたのみし、おいずるを、脱ぎておさむる、美濃の谷汲」からきている。私もこの御詠歌だけは知っていました

水上勉が京都・等持院で小僧をしていたときの友人・衣斐陽三(いび・ようぞう)のことがこの話の中心となっている。

衣斐は美濃池田の生まれで故郷のことを水上に自慢していたという。「赤坂山にマッチ石の出るとこがあるんや。よく乗合馬車で遊びに行ったもんだ。近くには、揖斐という大きな川があるぞ。それから観音さんの祭ってある谷汲さんがあるねん」

陽三は2歳年上にもかかわらず妙に気があった友である。

等持院でふたりが小僧をしていたあるときとんでもない事件を起こしてしまう、なんと本堂の下で、池の鯉を喰って、和尚にみつかり、門の外に放り出されてしまうのである。

すぐさま、水上は若狭から大工の父が、衣斐は美濃池田から養母が京都に来て平謝りしてやっと許されたというのである。

その後ふたりは別々の道を歩んだ。水上にはその後衣斐の消息が不明だった。

そして終戦から7年後に陽三が死んでいたことがわかったのである。結核だった。そのころ後輩にあたる西尾勇司が「どうせ死ぬなら美濃で死にたい」という陽三の願いを聞いて40度近い熱のある陽三をやっとのおもいで美濃池田に送り届けた。

しかし、1年後再び京都に戻り終戦の年の春、等持院で死んだという。

一時的に美濃の池田にもどり静養していた頃、禅寺・瑞巌寺でも静養していたらしい。

水上は、京都で死んだ陽三のこころはきっと美濃の在所で眠っているのだろうと思うと哀しくなる。

陽三の愛した故郷の道を一度歩いてみたい。水上はそうしてこの地を訪ねたのである。

衣斐には出生の秘密があった。「わいのおっ母は、メカケやった。お父つぁんは学校の校長さんであった」「養母のタバコ屋で世話になっていた」それ以上のことは話さなかった。

水上の旅は大垣駅から始まる。タクシーに乗り、赤坂山、池田山を見て、神戸に入り、揖斐川を渡り、再び神戸(ごうど)から谷汲山へと向かう。そして最後に禅寺の瑞巌寺を訪ねたようだ。

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そうした中、水上は「やはり陽三が病躯を押して衣笠山から、美濃の故郷へ帰りたかった心には、単に帰巣のこころばかりでなく、誰かにひきよせられたのだと思える。誰かとは観音であるか、谷汲山の幟にふきつけていた風の音であったか。私にはわからない。」と締めくくっている。

確かに近江から美濃にかけては観音信仰が盛んだといっていい。

無意識の中にも、病苦や、死の苦について自然と手を合わせる信仰が今でも根付いているのかもしれない。

私も谷汲さんは、毎月のようにおまいりする。特に願掛けをしているわけではない、日常生活の延長のような自然な気持ちである。にしみの人がとりたてて信仰深いということを意識していない。ただ、多くの巡礼者が風のように表われそしていずこへと去っていく異邦人に観音さまの生きづかいを感じとっているのかもしれない。

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2006年6月 1日 (木)

はじめまして

はじめまして、今日からブログをスタートします

子供のころ、よく夢を見ました。

ひ弱な少年が、ガキ大将をやっつける夢であったり、どこへでも飛んでいける飛行機に乗ったり、大木に中が秘密基地で、ノートにその見取り図を書いてみたりの夢多き懐かしい時代が走馬灯のようにぐーるぐる。

今では、浅い眠りの中で突然恩師が登場したり、仕事でとちったりして冷や汗かいたり、まさに夢はおもちゃ箱。

通勤時の車窓には、昔の風景が二重写しとなったり、寂れた街を散歩すれば奇妙なオブジェがたち表われ、山の中を歩けば風の又三郎が駆け抜けたり、夢はふいに現れます。

夢か現かの境界線を生きている私の日常をいろいろな形で書き写していきたいと思います。

よかったら、たまに見てください。そしてコメントもください。

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